フォックスガーデンの正体
「それにしても、ホント、いったい何があったんだろうな、ここで」
康介が改めて衣類が散乱する惨状を顧みた。
「ただの人間じゃないと言えば、さっき運ばれていった人たちの方がよっぽどそうだよな。拳銃とか刀とか持ってたし、ここで何かの映画の撮影でもやってたのか?」
「いや、さすがにそれはないでしょう。機材とかなかったし、こんなところで倒れるまで撮影なんて、誰もやらないよ」
「あははッ! 分かってるって、冗談冗談。……でもさ、これがガチで何かの抗争とかだったらさ、マジでいるんじゃね? 産業スパイ」
「さ、産業スパイ?」
康介の口から飛び出した突拍子もない単語に、静夜は目を丸めた。
「……また、何かの冗談?」
「いやいやいや! こっちはマジの話だぜ? なんでも、最近ここで起きている遭難事件は、産業スパイが《スノーフォックス》の商品を調べるために、スキー客を襲ってるんじゃないかって、噂になってるんだよ!」
「また噂話か……」
「でも、この話はあながち間違ってもないと思うんだよなぁ。だって、『フォックスマジック』は確かにすげぇけど謎が多くて、正体を突き止めようとしている企業や団体は多いって言うし、ライバル会社の内情を調べるのに裏では非合法な奴らを使ってるなんて、都市伝説みたいだけど、案外あり得そうな話だろ?」
静夜がうんざりする一方で、康介は表情を喜々として高揚させ、楽しそうに笑っている。
「きっと、ここで産業スパイとそいつらを追っている組織が鉢合わせして銃撃戦になったんだよ!」
「……じゃあ、その後で気を失った人の衣服を脱がせて、ボロボロに破いて散らかした理由は何?」
「そりゃあ、あの人たちが着ていた《スノーフォックス》のスキーウェアを奪って研究するためさ! 必要以上にボロボロにしたのは、猪とか熊とか、動物の仕業に見せかけるためとか! でも、すぐに人が集まって来たから、偽装工作も中途半端になったんだ!」
康介の理論は大雑把でツッコミどころも多いように思えたが、静夜は何も言わないことにした。
確かに、倒れた男たちが拳銃を持っていたら、戦っていた相手は人間と考えるのが普通だろう。動物が相手なら持っている銃は猟銃のはず。それに、産業スパイとそれを追っている組織、という対立構造の妄想は奇しくも的を射ていた。
ただし、彼らが追っているのは産業スパイではなく、人や動物でもない、化け物、妖だ。
現代の陰陽師は、妖を退治するのに拳銃を使う。それに、現場には妖力の痕跡も見られる。
普通の人間には分からないが、陰陽師である静夜たちと強い霊感を持つ栞にははっきりと分かる。
《スノーフォックス》のスキーウェアを狙っているのは、妖だ。もっと言えば、奴らが欲しがっているものは『フォックスマジック』、その力の源である『果て無き
「……でも、どうして、今更……」
その首に巻いた純白のマフラーを強く握りしめながら、妖花は破られたスキーウェアの残骸を見下ろしていた。
「たぶん、このスキーウェアに掛かっている魔法は、本当の『フォックスマジック』じゃないんだよ」
「え? ……そ、それは、どういうことですか、兄さん?」
静夜は妖花の隣に歩み寄って、他の誰にも聞こえないように声を潜める。
「今まで、《スノーフォックス》のニット製品を身に着けていて、妖に襲われたという事件は一度も起きたことが無い。それは、冬樹さんの作り上げた『フォックスマジック』のシステムが、『悠久の宝玉』の気配を上手く隠すように出来ていたからなんだと思う。でも、《スノーフォックス》と《陰陽師協会》はニット製品以外にも『悠久の宝玉』の力を使おうとして、『フォックスマジック』のシステムを崩した。その結果、ここでレンタルされているスキーウェアからは『悠久の宝玉』の力の名残みたいなものが漂っていて、それが、妖を引き寄せている」
「……それは本当ですか?」
「ごめん、ただの憶測だ。でも、僕にはそんな予感がする。それに、名前を持たず、そこら辺をふらふらと彷徨って、いつ消えるとも分からない弱い妖にとって、『悠久の宝玉』は喉から手が出るほど欲しい秘宝のはずだよ」
「……それは、確かに、その通りですね」
悲しい現実を受け入れるように、妖花は小さく頷いた。
「ケホ、ケホ、……すると、この『フォックスガーデン』というスキー場は、とんだ箱庭だな」
兄妹二人の会話に割り込んできた舞桜は、冷めた視線でホテルとスキー場の責任者である吉田のことを盗み見る。
吉田は無線機でどこかに連絡を取っており、相手がいるわけでもないのにへこへこと頭を下げ、遭難事件の対応に追われていた。
舞桜が言わんとすることは、静夜にもすぐに察しがついた。
「つまり、ここは実験場だったんだ。開発したスキーウェアを一般の市場に流通させず、レンタル限定で貸し出しているのは、生産が追い付かないからじゃなくて、このスキーウェアが世に出回った時に、何が起こるか事前に調べるためだった。自分たちの手を離れた後で何か事件が起こると大事になりかねないし、信用問題にも繋がる。《陰陽師協会》が火消しをするにしても面倒だ。だから、とりあえずこのスキー場だけに留めて様子を見ようとした。そして、危惧されていた通り、問題が起こった」
「ケホ、ケホ……。協会は早い段階で手を打とうとしたが、返り討ちに遭った。それほど強力な妖がここに巣食っているのか、それとも――」
「――『悠久の宝玉』から力を得たスキーウェアを食べて、妖が力を増しているのか、だね」
「兄さん! ……帰りましょう。今すぐ、ここから」
「え?」
張り詰めた声を上げて、妖花が踵を返す。静夜は咄嗟に止めようとしたが、妖花は義兄の手を振り払うように振り向き、顔を上げ、潤んだ翠色の瞳を見開いた。
「私はここに居ちゃいけないんです! きっと、すぐに協会から応援が来ます。見つかるわけにはいきません。もし協会が、私がここにいたと知れば、《スノーフォックス》も『フォックスマジック』もどうなるか分かりません。私が変に干渉するわけにはいかないんです!」
「でも! このままほっといたら、下手したら『悠久の宝玉』が!」
「それは私たちの仕事じゃありません。それに、今日の私たちは休暇を取ってここに遊びに来ているんです。口を出す理由も、手を貸す義理もありません」
「妖花、お前……」
聞いていた舞桜は怒りを堪えて声を震わす。だが、それに臆する妖花ではない。
「……仕方がないんです。だって、私はもう、雪ノ森妖花じゃないんですから……!」
胸が張り裂けそうなほどの悲鳴を押し殺して妖花は、月宮妖花は笑顔を浮かべた。
何かを誤魔化すように、何かを諦めて、受け入れるように。
静夜にはもう、返す言葉が無かった。
「……嫌だ。そんなのはお前だけの理屈だ。私には関係ない」
舞桜はそんな妖花を軽蔑するように言い放った。雪山の奥へ足先を向け、降り積もった新雪を深く踏み込んでさらに奥へと進んでいこうとする。
「ちょっと、舞桜! どこに行くつもり⁉」
「あの陰陽師たちを襲った妖を探し出す。このまま野放しには出来ない」
「ダメだ! 危険すぎる」
「静夜は! ……お前はこれでいいのか? このままにしておいて!」
「……! ……いいとか、悪いとかじゃない。舞桜、君はさっきより風邪が悪化している。今は引き上げて、休んだ方がいい。無理しちゃダメだ」
「私はこれくらい大丈夫だ!」
舞桜は、いつになくムキになっていた。
おそらく、気に入らないのだろう。妖花の、この態度が。
自らの境遇と今の状況を、涙を呑んで受け止め、何もしないでいる、その様が。
自分よりも強く、実力も実績も、組織の中での地位も、何もかも持っているくせに、どうして、はい分かりました、と、そう簡単に引き下がれるのか?
心の底から願って、少し勇気を振り絞れば、叶えられない望みではないはずなのに。どうして、そんな思いを胸にしまい込んでまで、我慢できるのか?
竜道院舞桜には、理解の出来ない事だった。
それを見て妖花は、物分かりの悪い年下の少女にはっきり告げる。
「やめて下さい、舞桜さん。私たちに、その権利はありません」
「……権利、だと?」
「はい。……誰かから何かを奪い取って、自分の思い通りにしようなんて、そんな傲慢を振りかざす権利は、誰にもないんです。……たとえ私が、人ではないとしても、実の父の最後の望みを踏み躙るわけにはいきません」
「そんな、こと……!」
舞桜は何かを言い返そうとして、その時、身体から力が抜けて崩れ落ちた。静夜が慌てて彼女の身体を支えると、頬に触れた手が火傷しそうなほどの熱を感じて驚く。
「……舞桜、さすがにこれは無茶しすぎだよ」
「……う、うるさい」
呆れた静夜に言い返す口調も弱々しい。彼女の身体はもう限界のようだった。
「……妖花、とりあえず今は、ホテルに戻ろう。協会の応援もそんなすぐには来られないはずだし、少しゆっくり休んで頭を冷やしてから考えよう? ね?」
優しく諭す兄の言葉に、妖花はコクリと素直に頷いた。
しかし、事態はそれを許さなかった。
「静夜君! 今の聞こえた?」
突然、顔を青くした栞が切迫した声とともに静夜の方を振り返る。
「え? 何が?」
静夜も、妖花も、そして星明さえも、栞が何を言っているのかすぐには理解できなかった。だが、一流の陰陽師以上に強い霊感を持つ栞だけは察知する。
「あかん! みんな逃げて! 速く!」
声を張り上げ、訴えた直後、――新雪の地面に亀裂が走った。
ゴゴゴゴゴゴゴ、と山が揺れるような低い音が轟き、揺れる。そして次の瞬間、自然に降り積もった雪の塊が崩落し、雪崩を起こした。
「妖花!」
咄嗟に静夜が手を伸ばす。足下が崩れたのは、妖花の立っている場所から下の部分。彼女より斜面の上にいた人間は自らが踏み締めた雪の上にちゃんと立っている。
少し離れた位置にいた妖花だけが雪山の脅威に飲み込まれようとしていたのだ。
「に、兄さん!」
雪が滑り、沈み、身体は瞬く間に落ちて行こうとする。妖花も手を伸ばすのが精一杯だった。同時に伸びた兄妹二人の手は、互いが引き寄せ合うように近付き、静夜は妖花の手を掴む。
すると続いて、静夜の足下の雪も遅れて崩れた。
「静夜君! 妖花ちゃん!」
「ダメだ、三葉さん! 危ない!」
後ろからの声が、どこか遠くに聞こえる。
静夜は無我夢中で妖花の手を引っ張った。自らの身体を支える地面が滑り落ちてなくなり、一瞬の浮遊感に身の毛がよだっても、決して妹だけは落とすまい、と力を振り絞る。
突如として発生した雪崩は、瞬く間に雪山の斜面を削り、飲み込み、喰らって、奈落の底へと落ちていった。
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