雪と狐の紋様
「すごい。……すごい、すごい! ほんまに、こんなに高そうなホテルに泊まってもええの?」
「もちろん! しかも、今回用意したのはここの最上階、ロイヤルスイートルーム! 俺のコネと優待券をフル活用したから、値段はタダ同然! 気兼ねすることなく、思う存分に楽しんでくれ!」
雪の白さにも負けないほどのきれいな歯を見せ、サムズアップする坂上康介。ロイヤルでスイートという言葉の響きに浮かされた栞は更に瞳を輝かせ、簪に付いた〈厄除けの鈴〉をチリンチリンと躍らせている。
舞桜は表情にこそ出さないが、着替えを詰めたボストンバックを肩にかけて早く中に入りたそうにしていた。
しかし、それどころではないものが、二人。
月宮静夜と妖花の兄妹は、とある一点を見つめたまま固まっていた。
「うん? どうした? 月宮のご兄妹は驚きと感動のあまり、声も出ないか?」
二人の反応を勘違いした康介は、興奮を掻き立てるつもりで兄妹を煽る。
静夜は無言のまま、右手をゆっくりとあげ、エントランスに飾られた雪と狐のエンブレムを指差した。
『フォックスガーデン』。狐の庭。そして、銀色の六花と白い狐の紋様。このシンボルが示すものは一つしかない。
「……このホテルは、もしかして《スノーフォックス》が経営してるの?」
「おっ! 目ざといねぇ。……ご明察、と言いたいところだけど、ちょっと違うな。ここを経営してるのは、《スノーフォックス》の親会社の《スノーフォレスト》だ。子会社の《スノーフォックス》が有名なニットブランドに成長したおかげで、苦しかった《スノーフォレスト》の業績も回復したからな……。この冬からは《スノーフォックス》のブランド力を前面に押し出して、スキー場経営とホテル事業を再開させることになったのさ!」
「……こ、康介は、《スノーフォックス》か《スノーフォレスト》の関係者なの?」
「いいや? 俺は《スノーフォックス》の株を少し持ってるってだけで、別に関係者ってわけじゃねぇよ? でも、俺の父親が《スノーフォレスト》のコンサルタントを請け負ってるから、その筋でちょっとな。実は、経営者一族の人たちとは、何度かご飯を食べたことだってあるんだぜ?」
「へ、へぇ、……それは、すごいね……」
自慢を隠さない康介は饒舌に話すが、それを聞く静夜は愛想笑いが引き攣り、声も若干震えている。
何ということだ。
まさか、《スノーフォックス》だけでなく、親会社の《スノーフォレスト》までもがこの事業に関わっているとは。それに、康介が経営者一族と顔見知りだったなんて、知らなかった。
「……兄さん」
妖花が義兄の背を掴む。縋るようなその声は、普段の彼女からは想像も出来ないほどに弱々しく、不安に押しつぶされそうになっていた。
妖花の胸中はおそらく、静夜とは比べ物にならないほどに吹雪いて、心臓は今にも凍り付いてしまいそうになっていることだろう。
「……大丈夫。きっと、大丈夫だから」
静夜はなんとか声を絞り出して、彼女の流れる銀髪を優しく撫でて宥めてやるくらいのことしか出来ない。
それで、妖花の表情が晴れることはないと分かっていても。
「よし! それじゃあ中に入ろう! このままここに居たら邪魔だし、なにより凍え死ぬ!」
みんなの反応を楽しみ終えた康介は、胸を張って恐れることなくホテルの中へと入っていく。栞はスキップで彼を追いかけ、咳を堪えていた舞桜は、凍える身体を抱いたまま火の灯る暖炉の方へと惹かれて行った。
静夜は少し遅れて中に入り、妖花は義兄の背中に隠れたまま、眩しいほどに輝く王城へ足を踏み入れた。
「お待ちしておりました! 康介様!」
五人がロビーのカウンターに近付くと、それを待ち構えていたかのように、奥からスーツを着た初老の男性が飛び出して来た。
髪はほとんどが白く染まっていて、今日まで生きて来た年月の苦労を感じさせるが、背筋は綺麗に伸びており、足取りと声は若々しく、活力にあふれている。縁の薄い丸眼鏡からこちらを覗く穏やかな眼は優しそうで、彼の人の良さを表していた。
「吉田さん、お久しぶりです。今日はお世話になります」
「康介様こそ、お変わりないようで何よりです」
吉田と呼ばれた彼と挨拶を交わして、康介は連れて来た友人たちを手で示す。
「早速、紹介しますね。こっちの二人が俺の大学の友達で月宮静夜と三葉栞。あっちの暖炉で暖まっている小柄な女の子が、竜道院舞桜ちゃん。そして、最後にこちらの、綺麗な銀髪の美少女が月宮妖花ちゃんです」
「初めまして! よろしくお願いします!」
康介の紹介に続いて、栞が無垢な笑顔で会釈する。
それを受けて、吉田と呼ばれた男性は深々と頭を下げ、返礼した。
「皆様、ようこそおいで下さりました。私は、このホテル『フォックスガーデン』の支配人を務めさせて頂いております、
「吉田さん、いきなりですみませんが、先に部屋へ案内してもらえませんか? 少し休みたいんです。それと、出来れば彼女に、風邪薬を」
康介が舞桜の方を目で示すと、吉田はすぐに意図を察し「かしこまりました」と言って、また頭を下げる。それからカウンターにいる受付にあれこれと指示を出したあと、静夜たちから荷物を預かり。光沢の美しいカードキーを取り出して客人たちを促した。
「お待たせいたしました。それでは参りましょう。お部屋までは私がご案内いたします。……おや?」
突然、何かに気付いた吉田が目を丸くする。妖花はそれを過敏に受け止め、身体を小さくして静夜の背に隠れた。
「三葉様のお召しになっているそれは、弊社のマフラーでございますね?」
「え? あ、はい。そう、ですね……」
「いかがですかな、弊社自慢の『フォックスマジック』は」
「え? あ、はい。……とっても温かくて肌触りもいいですし、何より、そのまま洗濯機に入れても色や形が変わらないので、すごく驚いてます」
唐突な問い掛けで驚いたのか、それとも慣れない歓待を受けて緊張しているのか、栞の言葉からはいつもの関西弁が消えて、声も少し上ずっている。
吉田は、栞からの感想を受けて満足そうに微笑み、「それはよかった」と安堵を漏らした。
「そのマフラーが気に入って頂けたのなら、きっとここ、『フォックスガーデン』のサービスにもご満足いただけるかと存じます。何しろ、今日これから皆様にお貸しするスキーウェアやグローブ、スキー靴などにはすべて、身も心も暖めてしまうと言われる狐の魔法、『フォックスマジック』が掛けられているのですから」
「……え?」
喉の奥から声にもならない戸惑いを溢したのは、義兄の背に隠れたままの妖花だった。
いったい今日は、何度驚かされるのだろう。義妹と同様に、一時の思考停止に陥った静夜は、困惑したままの声で問いかける。
「……よ、吉田さん、それはまさか、あの『フォックスマジック』が、毛糸やニット製品以外のものにも適応されているということですか?」
質問に振り返った吉田は、まるでそれを誇るかのように、穏やかに笑って頷いた。
「はい。長年の研究と商品開発の末、我々は遂に、あの
背中を握る義妹の拳に力が籠る。
その事実は、静夜はもちろんのこと、あの月宮妖花でさえも驚く、技術の進歩の素晴らしい栄華であった。
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