狐の庭

 2月10日、早朝。

 トンネルを抜けると、そこはまさに銀世界だった。

 山間から差し込む朝陽が降り積もった雪に反射して眩しい。葉を散らした裸の木々は雪と氷を纏って白銀の輝きを放っている。


 冬の山道を登る車の中でぐっすり眠っていた静夜は、その光景が放つ美しさに自然と瞼が開いて、寝ぼけまなこを思わず細めた。


「兄さん、おはようございます。もうすぐ着くそうですよ?」


 助手席に座る妖花が後ろを振り向き笑いかけて来る。隣の運転席でハンドルを握る康介は、バックミラー越しに後部座席の様子を一瞥した。


「お、静夜もやっと起きたか。夜通しで運転してる俺を差し置いて、しかも可愛い女の子たちに挟まれた席でぐっすりとは、全くいいご身分だよな。妖花ちゃんは寝ずに俺の話し相手をしてくれてたっていうのに」


「朝からいきなり嫌味な奴だな」


「まあまあ、兄さん。坂上さんは、長時間、長距離の運転を引き受けて下さっているんですから、文句を言ってはいけません」


「それくらい分かってるよ。……ちゃんと休憩とかは取ってるの?」


「ああ、それなら妖花ちゃんが俺の隣でしっかり管理してくれたからな。実はちょっとだけ仮眠もとって、体調はバッチリ元気だぜ! むしろ妖花ちゃんの方が大丈夫? って感じだ。別に助手席だからって気を使わなくても良かったんだぜ?」


 静夜の時とは打って変わって、妖花に対しては優しい言葉遣いになる。

 妖花は心配ご無用とばかりに、屈託のない笑顔で首を横に振って答えた。


「お気遣い下さりありがとうございます。でも大丈夫です。私は一晩くらい徹夜しても全然平気ですし、坂上さんには私の都合で京都から遠回りして迎えに来て頂いたので、その分のお返しをしないといけませんから」


「うわぁ~、妖花ちゃんってホントにいい子だよな。静夜の妹とは思えねぇわ」


「それはどういう意味だよ」


「言葉通りの意味だけど?」


 康介が惚けた顔で嫌味を返すと、妖花は何がおかしいのか、込み上げる笑いを堪えている。


 静夜の義理の妹、月宮妖花は、《陰陽師協会》の特別派遣作戦室とくべつはけんさくせんしつ、通称・特派とくはの室長を務めており、さらに半妖という生まれの為、《平安会》の許可なく京都の街に入ると、後々で面倒なトラブルになりかねない。

 そこで、今回のスキー旅行では康介に頼んで道中を少し迂回してもらい、滋賀県の電車の駅まで妖花を拾いに寄って貰ったのだ。


 それに、半妖の妖花は眠るとき、身体が無意識のうちに白銀の狐の姿に変化してしまうため、事情を知らない康介の前で迂闊に寝る訳にはいかないのだ。幸い、妖の血が入っているためか夜の間ずっと起きていることは別に苦ではないらしいので、静夜は気兼ねなく、妖花に助手席の役割を任せていた。


「せやけどほんまにありがとうな、康君、妖花ちゃん。ウチも車の免許は持っとるんやけど、高速道路とか雪山の道とかはどうしても不安やったさかいに、全部任せっきりで、おまけに、ウチもさっきまでは静夜君とおんなじようにぐっすりやったし……」


 静夜の右隣から栞が申し訳なさそうに前の席を覗き込む。


「いいっていいって! これくらいの運転は、俺も慣れたもんだからさ!」


 スキー場へと続く曲りくねった山道は、除雪がされているものの、溶けだした雪水が凍って、早朝のこの時間はかなり滑りやすくなっているだろう。康介の操る五人乗りSUVは、スタッドレスタイヤにチェーンをしっかりと巻いて対策を施し、馬力のあるエンジン音を吹かせて、パワフルに雪山を登って行く。

 康介のハンドルさばきにも迷いはなく、彼が日常的に車を運転していることが見て取れた。


 大学に行くときはいつも自転車を使っているはずなのにこれほどの運転技術があるとは、頻繁に女性とドライブデートにでも出かけているのだろうか、と静夜の頭にはそんな下賤な勘繰りが浮かんだ。


「ケホ、ケホ、……お前ら、もう少し静かに出来ないのか? 私はまだ寝足りないんだが……、ケホ、ゴホ……」


 静夜の左隣に座って大人しく外の景色を眺めているのは、竜道院舞桜。静夜の部屋で昨年末から居候をしている《平安会》の家出娘。

 最近少し風邪気味らしく、彼女はその小さな顔を大きなマスクで覆って、頻りに咳込んでいる。


「スキー場についたら、先にホテルに入って舞桜ちゃんに薬でも飲ませるか。部屋はもう用意してもらってるから、そこに荷物も置いてちょっと休んで、それから滑りに行こうぜ?」


 アクセルを踏み込みながら、康介はまた気の利いた提案をしてくれる。


 今回のスキー旅行の準備や手配をすべて一人で完結させてしまった康介は、その他の細かいことにまでよく気が回る。イケメンで金持ちで、軽薄そうなふりをしているくせに実は気遣いの出来る好青年とは、全くどこまでいっても隙が無い。


「うん、そうだね。悪いけどそうさせてもらえると嬉しい。妖花も栞さんもそれでいいかな?」


「はい。私は大丈夫です」


「ウチも賛成や。康君ご自慢のホテルがどんなんかちょっと気になるし、はよぉ見てみたいわ」


 心優しいこの二人から反対意見など出るはずもなく、一行はひとまず、スキー場に隣接する宿泊予定のホテルを目指すことになった。


 そして、それからちょうど三十分後。


「……なあ、ほんまにこれが、今日ウチらが泊まるホテルなん?」


「……ケホ、ケホ。……いったい、坂上康介というのは何者なんだ?」


 一同は、雪山を切り開いて整備された広大なスキー場と、その雪原をすべて抱きかかえているかのような、壮大かつ絢爛豪華なホテルのエントランスの前で、口を開けたまま立ち尽くしていた。


 期待通りの反応が見られて嬉しいのか、康介は悪戯の成功を喜ぶ無邪気な子供のような顔で大仰に両手を広げてみせる。


「ハ、ハ、ハッ! 刮目せよ! これこそが、俺の持つ数あるコネクションの中でも指折りのレジャースポット! この冬、スキー場とセットでオープンしたばかりの高級ホテル! その名も『フォックスガーデン』だ!」


 陽光と雪の照り返しによって見るもの全てが眩しい輝きを放つ銀世界の中で、堂々と聳え立つ荘厳かつ煌びやかなその建造物は、まるで王様が住まう宮殿。

 ガラス張りのエントランスから中を覗き込むと、ロビーにはふかふかで温かそうなソファが並び、暖炉の火がゆらゆらと揺らめいている室内は、外の寒さから隔絶されて暖かそうだ。天井には大きなシャンデリアがつるされ、奥へと続く大きくて広い階段は、おとぎ話に出てくるような王城に招待されてしまったかのような夢を見させてくれる。


 一見しただけですぐに高級ホテルと分かる華やかで美しいその建物は、白雪はくせつと極寒が支配する虚無の世界で圧倒的な存在感を放っていた。

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