第1話 狐の庭
春休みのご予定は?
大学の期末試験は、終了のチャイムを待たず、回答を終えた者から退室してもよいことになっている。
静夜、栞、そして坂上康介の三人は、今学期最後の試験を15分の時間を残して提出し、揃って試験会場の大講義室を後にした。
「試験、どうやった?」
栞は清々しく晴れた表情で男二人の顔を覗き込む。
「俺はバッチリ! 静夜は?」
「うん。栞さんのおかげでなんとかなったよ。ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
「おいおい静夜~、お前はまた栞ちゃんに助けて貰ったのか? ちょっとぐらいは自分で頑張らないと、身にならないぞ~」
「康君、そない意地悪なこと言わんといたって。静夜君、最近はほんまに忙しくって、ウチが試験勉強大丈夫? って勝手にお手伝いしただけなんやから」
年明けからの約一ヶ月、月宮静夜の毎日は多忙を極めていた。
理由は、昨年の大晦日に新たに設置されることが決まった《陰陽師協会・京都支部》。
静夜は正式に、京都支部の支部長に就任することが内定したのだ。
それが、京都の陰陽師たちを束ねる《平安陰陽学会》の提示した京都支部設立のための条件である以上、静夜に上からの人事を断る権利はなく、彼はこの大役を慎んで承り、支部の設立と稼動に向けて奔走している。
各種書類の整理から、《平安会》との会議、会合、《陰陽師協会》への報告、議事録の作成、提出、新たに下される業務命令の遂行や補充される人員の選定などなど……。やるべき仕事の量は膨大で、責任は重大だ。
今まで《平安会》が頑なにその自治権を主張し続け、《陰陽師協会》の干渉をほとんど許さなかった京都の土地に、初めて協会の拠点が置かれる。
それは陰陽師の業界全体を揺るがす一大事と言っても過言ではない。
そんな重要拠点の責任者となってしまった静夜の苦労は言うに及ばず。
加えて、彼には日頃の家事や居候を続ける家出娘、竜道院舞桜の世話もあり、とてもではないが勉強どころではなくなっていた。
最近では大学の授業もサボり気味になる始末で、もし栞が手を差し伸べてくれなかったら、今期の静夜の試験の出来栄えは目も当てられない、悲惨なものになっていたことだろう。
「でも、そのおかげでテストの方は無事に乗り切れたし、仕事の方も思ったより順調に進んでるから、本当に、栞さんには感謝してるよ」
「もうッ! ほんまにお礼はええってば! そんな真面目な顔で言われると、ウチもちょっと恥ずかしくなるさかいに……、それに、これはウチが好きで勝手にしたことなんやから、静夜君はそんな気にせんといて……」
急に照れ臭くなったのか、栞は頬を赤らめて、夏でもないのに両手で顔の辺りを扇ぎ始める。
それを見てニヤリと笑う康介。
「そうだぜ、静夜! 栞ちゃんはお前のことが好きで世話を焼いてるんだから、思う存分甘えてやればいいんだ! その方が栞ちゃんだって嬉しいだろ?」
「康君? それを言うんやったら、静夜君の世話を好きで焼いてる、やろ?」
「え、あ、はい。そうですね、すみません」
悪ふざけを言ったせいで、栞の声音が一気に冷え込む。
静夜と栞の関係は相変わらず曖昧なままだ。この件については、第三者はしばらくそっとしておく方が賢明なのかもしれない。
「……そ、そう言えば、二人は春休み、何か決まった予定とかはあるのか?」
康介は栞の凍てつく笑顔から逃げるように話題を転換した。
試験を終えた静夜たち三人は、既に二カ月間もある長い大学の春休みに突入している。
学生たちはこの期間を利用して、サークル活動やアルバイトに精を出したり、時には旅行や遊びを楽しんだり、中には留学やボランティアなどに取り組む者もいる。
持て余してしまうほどの自由時間。普通の大学生なら飛び跳ねて喜ぶところだが、静夜の顔を覗き見る栞の表情は暗かった。
「ウチはこれと言って特になんも決まってへんのやけど、静夜君は春休みも忙しいとちゃう?」
「いや、実はそれがそうでもなさそうなんだ。妖花に聞いた話だと、支部が本格的に始動するのは春ごろからになる予定で、今はいろいろと準備があって忙しいけど、もう少ししたらそれも一段落して、しばらくは僕もゆっくりできるみたいなんだ」
「え⁉ ほんまに?」
「まあ、元アルバイトの名ばかり支部長に期待されていることなんてたかが知れてるからね。あとはもっと上の人間が勝手にいろいろと決めちゃって、後で決まったことだけを事後報告で伝えてきて、無理難題を押し付けて来る、いつものパターンだよ」
だから少しくらいは学生らしい春休みを過ごさせてほしい、と思わず本音が漏れ出る。
静夜は、京都支部の支部長に就任する関係で、《陰陽師協会》内部での立場も、非正規登録のアルバイト陰陽師から、正規のCランク陰陽師へと昇格することになった。
しかし、正式に《陰陽師協会》の陰陽師として認められたところでいいことなどは一つもなく、むしろ仕事の負担と課される責任の重さが、増えた給料以上に割増しになっていく始末だ。
上に立つ人間も、現場の声を真摯に聞き入れるような人たちではないので、今後も現状が改善される望みは薄いだろう。
労働の陰に隠れる世間の闇を垣間見たような気がして、静夜は重いため息をつき、栞は苦笑いを浮かべながら同情を示して彼を慰めた。
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