第6話 散りゆく花に火を灯す

二度目の対決

「さあ、続いての決闘は、正真正銘、今年最後の大一番!」


「《平安陰陽学会》代表、竜道院舞桜様と、《陰陽師協会》代表、月宮妖花様の決闘です」


「ルールは先程と同様。審判も引き続き我々、蒼炎寺の三つ子が務めさせていただきます」


「舞桜様が勝った場合、《陰陽師協会》はこの京都の地から直ちに手を引き、今後一切のスパイ行為、工作員の派遣等による京都と《平安会》への介入を行わない事を約束して頂きます」


「妖花様が勝った場合、《平安会》は《陰陽師協会》に対し、京都支部の設立を認め、竜道院美春様と舞桜様の身柄をお引渡し致します」


「ただし、美春様は健康状態が回復されるまで、《平安会》の監督の元、竜道院のお屋敷で保護することといたします」


「以上の条件に異論がなければ、宣言の上、前へお願い致します」


 会場が落ち着くのを待って、メインイベントの口上が述べられる。


 妖花は、身体と精神を落ち着かせるように深呼吸をすると、竹刀袋から覇妖剣を取り出して腰に差し、白いコートとマフラーを取り払った。


「それでは、行ってきます。兄さん」


「……うん」


 意識を取り戻し、栞の隣の椅子に腰かける静夜は、虚ろな瞳をしたまま、治癒の呪符で身体の傷を治していた。


「静夜君、ほんまに大丈夫?」


 栞は、泥と砂と血と汗で汚れた静夜を心配そうに見つめ、何かを手伝いたそうにそわそわとするが、何も見つけられずに行き場のない手を泳がせている。


「致命傷はないし、出血も思ったほどじゃないから、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」


「せやけど……」


「そんなに近いと、せっかくの晴着が汚れるよ?」


「そんなことより、静夜君の方が大事やろ?」


「……」


 汚れや服などを気にすることなく、むしろ怒った顔でさらに近付かれて、静夜は返す言葉を失くす。

 妖花はそれを見て、少しほっとしたような安堵の表情を浮かべた。


 振り返って闘技場を見る。屋敷の前でたむろして観戦していた人たちが左右に分かれて道を譲ると、その間から竜道院舞桜が堂々と歩いて前に出る。鬼気迫る剣幕と険しい瞳で、妖花の事を見据えていた。


「妖花、……こんなこと、言いたくないけど、……勝ちは譲ってあげて欲しい」


 静夜が絞り出すような声で訴える。悔しそうに唇を噛み締め、俯いた顔を上げることは出来ず、とても妖花の顔を見て言うことが出来ない。情けなくみっともない、敗者の姿だった。


 妹はそれを聞いて、一瞬だけ悲しく表情を崩すが、すぐに気を引き締め、背にした部下を突き放すように厳しい言葉を残す。


「……私も、こんなことを言いたくはありませんが、……残念ですが、今の私に求められているのは、結果なんです」


「……」静夜は押し黙った。全くもって、その通りだからだ。


 要求されているのは勝利のみ。組織の代表として任務を帯びてこの京都に来ている以上、結果を持って帰らない事には、たとえ妖花でも立場を失う。

 現実とはそういうものだ。


 妖花はもう一度、今度は静かに息を整えると、一歩足を踏み出した。

 妖花と舞桜、二人が決闘の場に揃い、向き合う。


「条件に、異論はありません」「私も、ない」


 その答えを待って、決闘の鐘は鳴らされた。


「それでは、はじめ!」


 健心の言葉と共に太鼓の音が、――ドン! とこだまする。

 二人の立会いは、先程の兄たちとは対照的に、静かに始まった。


 妖花は腰に差した覇妖剣をゆっくりと引き抜き、その刀身を見せつけるように月光に晒す。

《平安会》の陰陽師たちの視線は、彼女の代名詞となりつつある月宮一族の宝剣に集まった。その神々しさと禍々しさに、抱く印象は人それぞれ。

 妖花は抜き身の覇妖剣を、しかし構えることなくそのまま降ろし、舞桜に目配せをして時間を譲った。

 意図は分かり切っている。舞桜は夜空に輝く月を確認し、こちらもまた見せつけるように手を伸ばし、声を張り上げた。


「――我が名に集え。我が身を満たせ。我が魂を犯して染めよ! されば汝の切なる威光は我が命に宿りて報いるべし! 開門!」


 天より舞い降り、少女を包み込むのは妖しい光。

 妖を纏いて、長い桜色の髪を北風に靡かせ、少女はその姿を初めて、《平安会》の陰陽師たちに披露した。


 会場は呆気にとられ、息を呑むような静寂がしばらく続いた後、不穏な騒めきがじわじわと蠢き出す。

 それは、妖花の覇妖剣や、竜道院羽衣を見るような、畏怖や畏敬の念とはまるで違う。

 悍ましいものを忌諱し、疎んじ、唾棄するような、そんな視線。


「……あれが」「あれが憑霊術」「本当に大丈夫なんか?」「一度暴走したんやろ?」「あのような力で、あの九尾の忘れ形見を本当に倒せるんやろか?」「竜道院家は何を企んどるんや?」


 耳に入る言葉のひとつひとつを、舞桜は強化された聴覚と加速された思考速度で聞き分けて行く。予想通りの反応とは言え、浴びせられる嘲笑と軽蔑に、唇を噛まずにはいられなかった。


「……もう、いいですか?」


「ああ、待たせて悪かった」


 妖花は覇妖剣を正眼に構える。

 舞桜も左手に銃を取り、スライドを引いて薬室に弾を押し込んだ。

 顔を上げる。相手を睨む。

 ――パン! という乾いた銃声が舞桜の手から鳴って、二人の戦いは始まった。


「……なあ、静夜君、……これ、どっちが勝つと思う?」


 次第に苛烈さを増す二人の攻防を目で追いながら、栞が問う。

 呪符の癒しに体を預ける静夜は、少し考えて、正直に答えた。


「妖花、かな。……舞桜には悪いけど、あの子が負けるなんて思えない」


「やっぱり?」


 栞も複雑だろう。どちらか一方だけを応援することが出来ない。二人が勝ちを譲れない理由も分かるから、尚更に。


 舞桜は先日仁和寺で対峙した時よりも必死に妖花に喰らい付いていた。言霊を乗せた呪符や銃撃で距離を保ち、覇妖剣の間合いに捉えられないようにしている。妖花が上手く一撃を加えようとしても、有り余る法力で強引にそれを捌き、また距離を取って主導権を渡さない。堅実かつ慎重な立ち回りを見せていた。


「……なあ、ほんまに舞桜ちゃんに勝ち目はあらへんのかな?」


 隙を伺うような舞桜の戦い方を見守りながら、栞はそれでも期待を捨てきれずに静夜の顔を覗き込む。

 しばらく思案を巡らせるが、答えは変わらなかった。


「……無理、だと思う。……理由は主に二つ。一つは、舞桜の憑霊術がまだ不完全だから。妖から借り受ける力の量に月の満ち欠けは関係しないけど、今の舞桜があの妖のすべてを引き出しているかと言うとそうでもない。あの憑霊術にはもっと上の段階があるはずなんだ。それが使えない時点で、妖花を相手取るには決定的に力不足なんだよ」


 先日の平安神宮での戦いにおいて、舞桜は〈桜花刈おうかがり〉という神器を召喚し、その力をほぼ完璧と思える程に使いこなしていた。だがあれは、静夜の〈護心剣〉を外付けの器として纏える力の総量を増設したから出来た一種のドーピングのようなもので、現在の舞桜一人の器だけでは、まだ〈桜花刈〉を顕現させる段階に至っていないのだ。

 あの日以降、舞桜の憑霊術は着実に進歩し、その力も強化されつつあるが、それによって向上した身体能力や〈法力の最大値〉にもまだ不慣れが残っており、全体的に粗が多いこともまた事実。

 はっきり言って、今の舞桜は妖花と戦うには早すぎる。陰陽師としての完成度が違いすぎるのだ。


「それに、妖花は対人戦闘に特化している。月宮流陰陽剣術もそうだし、妖花が持っているもう半分の力だってそう。相手が人間なら、たぶん妖花が負けることはあり得ない。……それがもう一つの理由。舞桜が妖花に勝てないと思う、最大の理由だよ」


「――月宮流陰陽剣術、六の型・〈水薙月みなづき〉」


 妖花の呪詛が、覇妖剣の刀身を黒い闇で覆い尽くす。

 舞桜は大きく後退して躱そうとするが、大上段から振り下ろされた一撃は虚空を歪ませ、強力な衝撃波を起こして襲い掛かる。


 吹き飛ばされまいと、舞桜はその場に踏み止まって耐え忍ぶが、同時に動きも止まり、間合いを詰めた妖花の追撃は舞桜の桜色の髪を掠めた。


「……現代にまで残る陰陽術は大きく分けて二種類ある。……妖を倒して発展した術と、人を殺すことで発展を遂げた術の二つだ」


「え?」


 静夜の言葉に、栞は耳を疑い、目を見開く。静夜はその表情を一瞥するも、そのまま淡々と続けた。


「僕たちが使う月宮流陰陽剣術は、後者。妖よりも人間の血を多くすすって、屍の山を築き、血塗られた歴史の上に立っている陰陽術なんだ」


 月宮流陰陽剣術は、平安時代の終わりに生まれ、その後の武士の時代、戦乱の時代に隆盛を誇ったと言われている。

 平安の時代、人々がまだ大戦を知らず、平和に暮らしていた頃は、日常の中に潜む怪異や得体の知れない妖たちが、人間たちの敵として強い存在感を持っていた。

 当時の陰陽師はそれを相手に戦い、人々を守ることで、時代に居場所を作り、術法の発展と一族の繁栄を成していた。


 しかし、時代は移ろい、人の敵は人となった。武士が台頭し、戦国の乱世が始まると、人々の眼はより現実を、目の前の戦いを見るようになってしまった。妖や怪異などと言った超常のものはただのまやかし、幻想として軽んじられ、同時に陰陽師たちの力も世間から必要とされなくなっていったのだ。


 そんな時代に生きた陰陽師たちは、継承した異能を妖にではなく、人に対して行使するようになった。それは決して邪悪に身を堕としたというわけではない。ただ時代に乞われ、それに応えたまでの事。時の人々に必要とされるために、また、戦乱の世を一日でも早く収めるために、彼らはその力を戦に利用し、戦い抜き、生き延びたのだ。


「……竜道院家をはじめとする京都に古くからある陰陽師の一族は、天皇や貴族たちと強い繋がりを持っていたから、その手を人の血で汚すことなく発展と繁栄を続けたそうだけど、それにあぶれた陰陽師たちはそういうわけにもいかなかったんだ。月宮の一族もその一つで、かなり有名な一族だったそうだよ。……そして月宮妖花は、現役時代『斬殺鬼ざんさつき』として恐れられていた第81代当主、月宮兎角つきみやとかくから月宮流陰陽剣術のすべてを受け継ぎ、極めている。それを一対一で切り崩そうっていうのはかなり難しい話だし、たとえそれが出来たとしても、妖花にはもう半分の力だってある。今は使用を禁じられていると言っても、その気になれば、決着は一瞬で着くだろう。……だから僕には、妖花がただの人間に負けるところなんて、想像出来ないんだ」


 次第に、舞桜はジリ貧になっていく。攻撃の回数が減り、防御に回ることが多くなる。大きな力を使って強引に攻めようとすれば隙をつかれて出鼻をくじかれ、逆に妖花の隙を突こうとしても、突破口が見つからない。呼吸も荒くなる。弾薬の数も残りは多くない。


 対して妖花は涼しげな顔で舞桜を見下ろしている。覇妖剣を包む闇は月の光さえ呑み込むが、その隣で優美に佇む銀色の少女は凛々しく刀を正眼に構え、翠色の瞳は油断も隙もなく桜色の少女を捉えていた。

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