挑戦

 鹿苑寺を回り終えた静夜たちは、大学の方へ戻って、次に龍安寺の園内を巡った。有名な枯山水の中庭をはじめとする風情ある名所を見物していると、足の早い冬の日はあっという間に沈み、夜の闇が次第に空を覆い始める。残念ながら、妖花の初めての京都観光はそこまででお開きとなってしまった。


 康介は「夜は用事があるから」と言って一人先に帰っていき、静夜たちは大学近くのラーメン店で食事をとることにした。学生たちも昼休みなどによく利用する人気店の味には妖花も満足したようで、舞桜に至っては替え玉も注文していた。


 店を出るころには、夜の藍色が夕暮れの面影さえも呑み込んで、冬の北風がより一層冷たくなる。道を歩く人も目に見えて少なくなっていた。


「……妖花ちゃん、ほんまにごめんな? もうちょっと時間があればもっといろんなところを案内したかったんやけど……」


 栞が申し訳なさそうな顔で妖花に謝る。かじかむ両手に息を吹きかけながら、きまりが悪そうに少し口元を隠していた。

 その一方で、二件しか観光できなかったというのに、妖花は屈託のない笑顔を浮かべて首を振る。


「いえ、こちらこそ、案内して頂きありがとうございました。栞さんと京都の街を回れただけで本当に楽しかったです!」


 興奮とラーメン店の熱で身体が温まっているのか、純白のマフラーを軽く巻いているだけでも、妖花は暖かそうだった。


「はぁあ、ほんま、妖花ちゃんってええ子やなぁ……、なあ、静夜君、妖花ちゃんを今日からウチの妹にして貰ってもええかな?」


「ダメ」


「え~!」


「栞さん、栞さんが兄さんと結婚すれば、私を正式に栞さんの妹に出来ますよ?」


「え⁉ け、結婚⁉」


「妖花、栞さんをからかうのはやめなさい」


「冗談で言っているわけではないんですけど?」


「……頼むから、そこは冗談にしておいてくれ」


 栞が暗闇の中でも分かるほど頬を真っ赤に染めるので、静夜は思わず目を逸らしてしまう。

 彼女が自分の事を悪しからず想ってくれていることは静夜も十分に理解しているつもりだ。だが、その気持ちに応えられるほど、静夜は未だに自分自身を許せていない。

 宙づりになったままの二人の関係は、どこまでも曖昧で、中途半端だった。


「……茶番はそこまでにしてもらおう」


 浮かれた様子の彼らに冷や水を浴びせたのは、夜空に浮かぶ半月を仰ぎ見る少女。


 上空の風に吹かれて、厚い雲は目に見える速さで流れて行く。地上を吹き荒ぶ北風は少女の黒髪を靡かせ、頬を撫で、身体を凍えさせる。半妖の客人を睨む朱色の瞳は、研ぎ澄まされて鋭く光っていた。


「只人は立ち去った。遊びの時間はもう終わりだ」


 舞桜は告げる。ここからは違うと。


 大学で、そして観光名所で、はしゃいでいる妖花を見ているとつい忘れそうになるが、彼女はこの京都に遊びに来ているのではない。

 彼女はこの街に、この陰陽師の街に、大切な仕事をするために来ているのだ。


 妖花は、舞桜の方に向き直ると妖しい笑みを返した。ずっと肩にかけていた竹刀袋の中身がカチャ、と音を立てる。


「……〈覇妖剣はようけん〉。全ての妖に覇を称える、月宮一族に伝わる霊剣、……だったな」


「これに、興味がありますか?」


 妖花は竹刀袋に手を掛ける。翠色の瞳には静かな闘志が宿り、朱色の瞳は月の光を宿してその中にある秘宝を見据えた。


「……正直、今日は疲れた。大学は騒々しいし、鹿苑寺も龍安寺も、初めて見に行ったが、噂に聞くほどでもなかった。だが果たして、お前はどうなのか」


「ずっと不機嫌そうにしていましたが、それでも黙って私たちに付いて来ていたのは、このためですか?」


「それ以外に何がある? ……お前も、兄の拙い報告だけでは物足りないだろう?」


 冷たい風が、銀の髪と黒の髪を攫う。栞も二人の間を流れる気迫に息を呑んだ。


「……やっぱり、こうなったか」


 静夜は思わず頭を抱える。なんとなく康介がいなくなったらこうなるのではないかと予想はしていたが、まさか妖花があっさりと誘いに乗るとは思っていなかった。双方ともにかなりやる気になっている。


 仕方がない。


「栞さん、駅まで送るよ。明日に備えて、今日は早く休んだ方がいい」


「静夜君、ウチはまだ帰らへんで?」


「え?」


 栞を先に帰そうとした静夜のその手を、彼女は拒んだ。予想外の反応に目を見開く。

 向かい合い、闘志を燃やす二人を見つめたまま、栞は断固として動かなかった。


「ウチもちゃんと見なあかんと思うねん。いい加減、目を逸らさんと、静夜君たちがどんなふうに戦うんか。静夜君たちのおる世界がどんなところなのか。ウチもちゃんと勉強せなあかんと思うねん」


「で、でも、それは別に今日じゃなくても……」


「静夜君、前にうちに言うやろ? 見知った陰陽師が静夜君だけやからって、盲目的に信じて頼るのは良くないって。せやから、ウチも自分の目で見て、見極めたい」


 意思の籠った芯の強い声。簪の鈴もそれを励ますようにチリンと鳴って、これはもう止められないと静夜は悟り、諦めた。


「……分かったよ。じゃあとりあえず場所を変えよう。ここからなら、仁和寺がちょうどいいかな」



 仁和寺は京都市右京区にある真言宗御室派の総本山である。886年(仁和二年)に建立されたといわれ、世界遺産にもなっている京都の観光名所の一つだ。


 人除けを済ませた境内の金堂の御前で、舞桜と妖花は向かい合う。


 静夜と栞は金堂に腰かけ、張り詰める空気を見守っていた。


「二人共、ほどほどにね。間違っても相手を殺さらないように! あと、僕たちの後ろにあるのは国宝建造物だから、傷つけるのもダメだからね?」


「うるさいぞ静夜、集中が乱れる」


「……」


 静夜の忠告に耳を貸すそぶりもなく、舞桜は淡々と38口径の拳銃に対妖専用の弾を込めて行く。妖だけを撃つ弾丸で人が死ぬことはないが、妖花は半妖。まともに当たればただでは済まないだろう。


「大丈夫ですよ、兄さん。気を付けます。手加減もします。ですが、一度この目でちゃんと、噂の憑霊術を見ておきたいんです」


 一方の妖花はそう言いながら、竹刀袋から覇妖剣、つまり真剣を取り出している。鞘から引き抜くと、鋭い霊気を発する刃が月明かりに煌めいた。


「……もうどうなっても知らないからね?」


 妖花は覇妖剣を正眼に構える。刃の右側面には日輪と青龍、朱雀、南斗六星の紋様が刻まれている。


 舞桜は夜空に浮かぶ半月を仰ぐ。瞳を閉じ、禁忌の扉に手を翳した。


「――我が名に集え。我が身を満たせ。我が魂を犯して染めよ! されば汝の切なる威光は我が命に宿りて報いるべし! 開門!」


 月の明かりに導かれ、舞い降りた妖は少女を包む。漆喰の如き黒髪は鮮やかな春の色へと変化し、舞桜は妖の力を顕現させた。左手には銃を、右手には呪符を取り、纏う妖力を整える。

 覇妖剣が纏う呪いの闇にも負けない瘴気。刃の鋭さにも劣らぬ鬼気。白銀の美しさをも霞ませるその妖気。桜色の舞桜が今、妖花と相対した。


 妖花の手にも力が入る。


「……いつでもどうぞ?」


「……遠慮なく」


 舞桜は腰を低く落とし、構えた。直後、妖花の背後に回り込んだ舞桜が呪符を放つ。


「速い!」


「――〈除霊滅鬼符じょれいめっきふ〉! 急々如律令!」


 妖花は呪符を刀身で受ける。覇妖剣に触れた呪符は火がついて焼け散った。


 舞桜は後ろへ飛び退く。距離を取って発砲。至近距離からの弾丸を、しかし妖花は素早い動きと正確な身のこなしで躱して見せる。


「ちょこまかと! ――縛れ!」


 言霊が妖花の動きを封じた。舞桜は両手で銃を構え、狙いを定める。銃声が鳴り響く。


「――月宮流陰陽剣術、八の型・〈破月はづき〉」


 覇妖剣の呪いは言霊の呪縛ごと凶弾を斬り、風を裂く。


 妖花が自分から仕掛けるべく距離を詰めた。舞桜は銃撃で牽制しつつ、間合いを保ってさらに隙を伺う。攻防は一進一退だった。


「……なぁ静夜君、今ってどんな状況なん?」


「さあ? 正直、僕にもよく分からない」


 栞は二人の動きを必死に目で追いかけようとしているが、静夜はそれすらも投げ出し、栞の問い掛けに首を振っている。

 舞桜と妖花の競い合いは静夜の目でも追い切れないほどに速く、苛烈だった。

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