もう一度、月下の静寂に狂い咲く

 ――ズドーン!


 妖力の砲弾を咄嗟に護心剣で受け止める。何とか防ぎ切るが、舞桜を覆う球体は静夜を睥睨してゆっくりと近付いて来ていた。完全に目を付けられた。


「そうはさせません!」


 と、割って入って来たのは美春の叫び声。静夜の意識は一気に地上へ引き戻される。

 気配を感じてさらに視線を落とすと、既に懐には一匹の妖犬が牙を剥いて飛び掛かって来ていた。大きく飛び退き、護心剣を構えて、静夜は気付く。

 薙ぎ払った陰陽師たちの代わりに、今度は妖犬の大群が彼を取り囲み、その行く手に立ち塞がっていたのだ。


「この役立たずども! こうなったら、自分の手を汚すまでです!」


 倒れた陰陽師たちに罵声を浴びせると、彼女は懐から銀色の犬笛を取り出し、それを口に咥える。


 ――ピィイイイイ!


 耳を塞ぎたくなるほどの高音は、まさしく、静夜たちが闇市で耳にした笛の音だ。


 主人の命令を受けて、妖犬たちは一斉に走り出す。その動きは笛の音色で統率され、静夜の集中を乱し、隙を伺って飛び掛かって来る。


 だが、静夜には既に立ち止まっているだけの時間が残されていない。


 右手に拳銃を取り、静夜は強引に包囲網の突破を試みる。前方に銃を撃ちながら走り、道をこじ開ける。無防備になった背中を一匹の妖犬が襲うが、それは振り向きざまに護心剣で斬り伏せる。今度は死角からさらに三匹の妖犬が襲い掛かるが、二匹を銃、一匹を護心剣で仕留め、走り続ける。


『――静夜、上!』と、突然、舞桜の声が再び脳内に響いた。


 見上げると頭上から、妖力の砲弾が驟雨の如く降り注いでくる。


 静夜は手にした護心剣を触媒に、自らの法力を強固な結界へと変化させた。


「――〈堅塞虚塁〉、急々如律令!」


 護心剣の力を借りて展開された結界は、妖力の砲弾を難なく弾く。


 するとまた、舞桜の声が静夜の頭に直接響いた。


『そうか。……だから静夜は、いつも印だけで結界を……』


 この、脳内に声が響いて聞こえる現象に、静夜はいささかの不審感を抱く。舞桜の方を見上げると、キョトンとした顔の少女と目が合った。


「舞桜! 聞こえるか?」


 と、静夜は声を上げると、舞桜は動揺したのか『え、何?』と慌てるような念が静夜の頭で反響する。


 やはり、舞桜の念が声となって、静夜の意識に伝わっているようだ。舞桜の方は無自覚のようだが、今は細かい仕組みや理由などを分析している暇はない。


 静夜は結界で砲弾を防ぎながら訴える。


「一瞬だけでいい! 君の力でこの攻撃を止められないか?」


『そんなこと、出来るならとっくにやっている!』


「そっか、やっぱり無理か」


 予想通りの返答に項垂れる静夜。舞桜はそれを見て『は? 私はまだ何も言ってないぞ?』と状況を悟れずにいる。


「そんなことは今どうでもいい。……でも分かった。君の脱出は僕一人でなんとかする。だから、母親の事は任せるよ?」


『は? いや、でも、私には……』


 戸惑う表情に影が差す。彼女が言わんとすることは分かるが、彼にも残された時間は僅かしかない。それに、……。


 静夜は自らの焦りを隠し、落ち着いた口調で、舞桜に問うた。


「君は、このままでいいの? このまま、こんなところで終わって、本当にいいの?」


 舞桜の心は今、折れかけている。

 母親に見捨てられ、憑霊術の制御も失い、彼女は今、自分を守っていたちっぽけな意地すらも見失いかけている。


「まだ、君には出来ることがあるはずだ」


 静夜の言葉も、今の舞桜には届かない。弱々しい声で、少女の想いが届く。


『……何かしたところで、そこに意味が生まれるとは限らない。何かを成したところで、誰かが私を認めてくれるわけじゃない』


 少女はただ夢を見ただけ。己を信じ、理想を信じ、弱いはずなのに強がっただけ。

 意地と見栄の裏に本音を隠して、自分を保つために、自分を偽っただけ。


 それなのに、その夢は厳しい現実を前にして、儚く脆く崩れ去った。


 少女は己の無力さに打ちひしがれて、膝を折る。あの時の少年と同じように。


 青年は、その絶望を知っている。


 故に、月宮静夜は少女に願う。


「それでも、……僕は君のことを見ているよ」


『……え?』


 舞桜が戸惑ったその一瞬、妖力の砲弾がその威力を弱める。


「解!」


 静夜は結界を解いて飛び出した。舞桜を覆う妖の攻撃で地面に釘付けとなった妖犬たちを置き去りに、空中で〈禹歩〉を一歩。静夜は最後の力を振り絞り、護心剣に祈りを込めた。


「――月宮流陰陽剣術、」


 刃先が舞桜を向く。少女を覆う妖力の球体は、神々しく呪われた霊剣を、されど拒むことなく迎え入れた。


 やはり、この妖は、舞桜を守ろうとしている。


 妖の暴走は、舞桜を守るため。そして、舞桜を侮辱されたことへの怒りの現れ。

 静夜の直感は間違っていなかった。


 故に、静夜は意思を示すべく、護心剣を突き刺していく。こちらにも彼女を敬い、守る意志があることを、彼らに分かってもらうために。


 霊剣の銘は〈護心剣〉。誰かの心を護る剣。


 そして、その刀身に込められた呪いは、相手の怒りを鎮める祈り。


「――十の型・〈神凪月かんなづき〉!」


 護心剣が舞桜の心臓を刺し穿つ。そこに鮮血はなく、痛みもなく、悲鳴もない。


 傷口から溢れ出したのは、静夜と舞桜を包み込む暖かな光。妖力の奔流はその光と入れ替わるように舞桜の中へと帰っていく。束ねられた桜色の輝きは、次の瞬間、満月の冬空に弾けて広がった。


 光の粒は、まるで桜の花弁の如く、夜空に舞い散り、降り注ぐ。


 静夜は光に弾き飛ばされ、護心剣は彼の手を離れて地面に突き刺さる。

 空中に残された舞桜は、ゆっくりと湖面に降り立つ精霊のように、優雅で軽やかな着地を見せた。


 髪は桜色に靡き、満月に照らされたその身はより一層、鮮やかな妖気に包まれている。


「そ、そんな、嘘よ……!」


 美春は、舞桜が憑霊術の制御を取り戻したことに驚き、狼狽えている。

 舞桜はその澄んだ朱色の瞳で、母を見つめた。


「……母上。どうしても、ここで私を殺すとおっしゃいますか?」


 穏やかな声音に驚いたのか、美春は一歩たじろぐも、負けじと再び娘を睨む。


「……と、当然よ! 私の悲願なの! あなたさえいなくなれば、私はこの呪縛から解放されるの! それに、私を倒したところであなたに帰る場所なんてないわ! 《平安会》は決してあなたを認めないのですから!」


 その叫び声は、恐怖を威勢でかき消すようだが、妖犬たちの群れはまだかなりの数が残っている。数的有利は美春のものだ。

 だが既に、少女にも迷いはない。


「……分かりました。……では母上は、私の敵だ」


 静かに敬語を掃ったその声は、少し寂しそうで、やはり悲しそうで、それでも、確かな決意を宿していた。


「静夜、……この護心剣、借りてもいいか?」


「……え?」


 突然の問いに静夜は戸惑う。


 光に投げ出された彼には、既に立ち上がるだけの力も残っておらず、護心剣を使って戦うことなどは確かに出来ないだろう。だが、舞桜の意図が静夜には読めなかった。


「ふん! その霊剣をあなた如きが扱えるわけがないでしょう?」


「私は、静夜に訊いている!」


 嘲笑する美春の言葉を、舞桜は力強く遮り、真っ直ぐに静夜を見つめて、じっと返事を待っている。

 そんな目を向けられたら、静夜には断れるはずもなかった。


「……君の思うままに、やればいい」


「……ありがとう」


 意外な言葉を聞いた気がして、静夜は驚く。でもきっと、聞き間違いではない。


 舞桜の表情は凛々しく引き締まり、突き刺さる護心剣に手を伸ばす。

 護心剣は舞桜の妖気に反応したのか、彼女を拒絶するようにガタガタと震え始めた。


「やはり、頼んでも聞いてはくれないか」


 それを見て、「ほら、やはりあなたには無理なのよ!」と美春は嗤う。


 舞桜は、一つ息を吐き、呼吸を整えた。


「頼んでもダメなら、――私が命じる!」


 直後、舞桜の身に纏う妖気が護心剣の霊気を凌駕した。


「――我が名の下に命ず。今宵、汝を器とし、我らの威光を呼び醒ます。顕現せよ、〈桜花刈おうかがり〉!」


 護心剣を力づくで握り締める。月からは更なる妖力が導かれ、舞桜と護心剣は目を覆いたくなるほどの輝きで満たされた。


 そして、光の中から現れた舞桜を見て、静夜の口からは思わず恐怖が溢れ出た。


「……し、死神」


 護心剣は巨大な大鎌に変化して、妖気は花霞のように揺らめき、姿を惑わせる。

 闇の中、鎌を携え、月下に佇む少女はまるで、桜色の死神であった。


「……護心剣に、妖を憑依させたのか……?」


桜花刈おうかがり〉。そう呼ばれた大鎌は、法具でも呪具でも、もちろん霊剣ですらなく、あれはおそらく、神器。


「……母上、お覚悟を」


 桜花刈を構える舞桜。その迫力に美春の表情からは血の気が引いた。


「……それでも、倒されるのはあなたの方よ!」


 ――ピィイイイイ! 犬笛の音が彼女の怯えをかき消す。妖犬たちは動き出し、攻撃を仕掛ける。しかし、


 舞桜が一息ついた、その刹那、桜色の死神は美春の背後に現れ、携える大鎌の刃は彼女の首元に迫っていた。


「嘘!」と、叫ぶ瞳に死が映る。


 ピィ! と短い犬笛が走った。一匹の妖犬が風の速さで美春を突き飛ばし、代わりに桜花刈の刃を受ける。妖犬は頭と体が分かれ、桜色の光となって霧散した。


 これを皮切りに、舞桜を囲んでいた妖犬たちは統率を捨てて舞桜に襲い掛かった。それは敗北を直感した獣の最後の悪あがきの如く、無秩序でがむしゃらで、あっけなかった。

 舞桜は襲い掛かる全ての妖犬を大鎌一つで斬り払う。その華奢な身体で桜花刈を軽快に振り回し、奴らの命を刈り取っていく。すべての妖はまるで桜の花びらの如く散り、中心で舞い踊る少女の表情は微動だにせず、穏やかであった。


 妖犬たちは無策のまま祓われ、その数が例の二匹を残すのみになってようやく攻撃をやめ、舞桜の乱舞も収まった。


「……これで、終わりか?」


 舞桜の一言に、美春は腰を抜かして尻餅をつく。その顔は恐怖に引き攣り、絶望に落ちていた。

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