夜桜は散るか、朽ちるか、狂い咲くか
漣輪
第1章 狂い咲く夜桜
第1話 破門された陰陽師
飛び込み仕事
――師走。
張り詰めた夜の静寂が、初冬の寒さを際立たせている。
不意に吹き荒ぶ木枯らしは、黄色く染まった銀杏の葉を攫い、京都の街から鮮やかな秋を奪い去る。
夜空に浮かんでいるはずの月も、今は厚い雲に隠れて寒空は暗く、無駄に広い大学のキャンパスを照らしてくれるのは、仄かな外灯の頼りない光だけだった。
「……《陰陽師協会》の遣いというのは、お前か?」
少女の声が聞こえて、青年は朦朧としていた意識を素早く引き戻す。危うく寝てしまうところだった。
人のいなくなった大学の中庭。人工芝の緑は無機質な色で味気ない。腰かけていたベンチは夜風に冷えて、まるで氷でできた椅子のようだ。
さりげなく腕時計を確認すると、時刻は22時を少し回っている。指定された時刻は三時間も前に過ぎていた。
やっと来たのか、と心の半分は安堵する。このままずっとここで待たされていたら、翌朝には穏やかに眠る凍死体になっていたところだ。
そして心のもう半分は、これだから飛び込みの仕事は嫌なんだ、と呆れていた。時間通りに対象者が来るとは思っていなかったが、まさか死ぬ直前になるまで待たされるとは。目覚めた直後は本気で危なかった。
青年は、込み上げて来たため息をなんとか呑み込み、引き締まった顔を作るとゆっくり顔を上げ、少女を見やる。
「……はい。……お待ちしておりました」
目の前にいたその少女は、思ったよりも小柄で華奢な中学生くらいの女の子だった。
暗闇の中でもはっきりと分かる鮮やかな朱色の瞳が印象的な、可愛らしいお嬢様。見た目から推測される年齢は14歳ほどで、着ている制服は彼女が通っている中学校のものだろう。制服のデザインや使われている生地からは、その学校が品格のある名門私立中学であることを窺わせる。
しかし、少女の表情は険しく、青年を見つめる視線は刃物のように鋭く光っていた。整った目鼻立ちも手伝って彼女の佇まいは凛として美しく映る。
青年はベンチから立ち上がると、マフラーに埋めていた顔を晒して、相手に最低限の敬意を示した。
「……あなたが、《平安陰陽学会》の名門、
「……」
確認の問い掛けに、少女は何も答えなかった。首を振って主張することもない。
それでも、真っ直ぐにこちらを見つめる朱色の瞳が、自身の存在をはっきりと示して、ぶれなかった。
「……えっと、自分は今回、
青年、月宮静夜は立場を弁えた言葉遣いで自己紹介をし、頭を下げる。これも仕事だ。年下に敬語を使うことにも抵抗はない。だが、
「……お前、階級はいくつだ?」
「……え?」
初対面の相手を「お前」と呼び、さらには偉そうな口調で不躾な質問をして来る少女に、静夜は思わず唖然としてしまった。
彼女、竜道院舞桜は、先程と変わらない険しい表情で鋭い眼光を飛ばして来る。
「えっと、何のことでしょうか……?」
「だから階級だ。協会の陰陽師には、一級とか、二級とか、実力に応じた位があると聞いたんだが……?」
「……階級? ……ああ」
(ランクの事か?)
「残念ですが、私にそのような位はありません。《陰陽師協会》所属と言っても、僕は非正規の、……分かりやすく言うと、アルバイトのような立場ですので、強いて申し上げるならランク外です」
「な、何……⁉」
そこで初めて少女は表情を変えた。悪い意味で。信じられない、とでも言うように目を見開き、期待外れだ、とでも言うようにため息をついたのだ。
この反応には、さすがの静夜も頬が引き攣った。
(……なんなんだ、この子は?)
とある少女の身柄の保護。それが今回、彼に与えられた仕事だった。
上司からのメールを最初に読んだ時は、簡単な仕事だと楽観視したが、詳しい情報を見てみると、そこに記載されていたのは保護する対象者の名前と生まれのみで顔写真はなし。仕事の指示も『本日19時に大学の中庭で対象者と合流し、詳しい話を聞いて下さい』の一文だけだった。
こんなにも大雑把な仕事の振り方は久しぶりだ。おそらくは上司よりもさらに上からの指示なのだろう。あの上司であれば、もう少しまともな命令文を送ってきてくれる。
静夜はとりあえず、講義が終わったあとも大学に残って、指示された19時からは暗くて凍える中庭のベンチに座り、ずっとその対象者が現れるのを待っていた。強い北風が吹いても、冷え切った夜空に星が流れようとも、仕事を全うしようと律儀に待ち続けたのだ。
しかし、三時間も待たされた上に、ようやく現れた少女はこの態度。
いくらあの竜道院家の次男の長女だとしても、また、今回の仕事の依頼人だとしても、これほどまでに相手への敬意を欠いた、生意気な年下の中学生に、どうして自分は愛想笑いと敬語で丁寧に対応しなくてはならないのか。
仕事だから、と割り切る気持ちは霞の如く消え失せ、それでも年上の大学生である静夜は、胸に渦巻く不満を全て呑み込み、話を進める。
「……えぇこの度は、あなたが《陰陽師協会》に身柄の保護を申請したということで、僭越ではありますが、アルバイト陰陽師のわたくしが、協会からの指示で、お話を聞かせて頂くことになりました。詳しい事情や今後の方針につきましては場所を変えて、暖かいコーヒーでも飲みながらお話ししましょう」
静夜は準備していた言葉を並べ、ひとまずこの極寒の中庭からの脱出を試みる。
舞桜はまだ何か言いたげだったが、これ以上ここで抗議をするのは無意味だと悟ったのか、最後に厭味ったらしく大きなため息をつくと、目線で先を歩くように訴えて来た。
突き抜けるほどの失礼さに、静夜は少女の育ちを疑う。
対象者の名前を聞いた時からずっと疑問に思っていたことだ。
舞桜。そんな名前の娘が、あの竜道院家にいるという話を、静夜は今日、この仕事を受けるまで知らなかったから。
暗闇の中、目を凝らして少女を探るように見つめる。すると、
――不意に現れた妖しい影が、視界の隅を駆け抜けて、こちらに迫り来るのを見た。
「危ない!」
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