第20話 狡猾なる牙

 オークの里に近づくにつれ、状況はかなりの急を要するようになった。


『まずいぞ春吉はるきち。雨じゃ……』


 通信先のキンマが、小さく悪態を付く。

 神様でも天候の気まぐれと言う奴は、想定外なのだろうな。

 そうでなければ、ここまで悪循環は続くまい。


『ぶひああ……! ぶぎゃあ……』


「微かに聞こえた! 悲鳴だ‼」


 ハルハルの人間離れした聴覚。

 それは魂であり、操作を介する俺にも直接届けられた。

 間違いない、大勢のオークたちの悲鳴だ!


『奴め、雨が近いこともあって、こそこそと狩ることも止めおったな!』


「森を急いで突っ切るしかない! 間に合えよーーっ‼」


 なんて、言った手前である。

 ハルハルの三輪車が、森林の坂を物ともせずに乗り上がっていく中で――突出した岩の頭に車輪を持ち上げられ、ものの見事に態勢を崩していく。


「ええ⁉」


 猛スピードの反動で、ハルハルはその身を宙に投げた。

 少し考えれば分かっていただろう、三輪車で森の中を進む危険性など。


「うごおおおお‼ やばい、止まんな! おぶう‼ げふうっ⁉」


 それからは、しっちゃかめっちゃかだ。

 ハルハルの丸型の体系が、ピンボールのように木にぶち当たり、跳ね返され、そしてまたぶち当たる。

 痛みを感じないはずの俺は、ハルハルのダメージに合わせて、つい悲鳴を上げていた。


『ええい、こそばゆい! そのまま付き進めハルハル‼』


「体勢を、まずは体勢を整えないと‼」


 木々の障害物に足裏を合わせて、蹴り上げる。

 スピードの勢いに抗うためにも、そのまま枝を足場に突き進んでいく俺の分身。

 ハルハルは見た目こそ、ひ弱そうな呑気面だが、それとは裏腹に身体能力、戦闘能力は人間の比ではない。

 その動きにも余裕が生まれて来た。

 これなら次の、葉っぱが密集する枝木を足場に止まれそうだと。


 ぐにょり!


「あの、キンマ。俺の足場にしている木々が、なんだかすごい弾力感を」


『ジグザール科の木々じゃな。速く降りんと、吸収した衝撃が跳ね返って来るぞ?』


「いや、もうすでに地面すれすれまで枝が伸びて、ひいいいいいいいい‼」


 忠告は無に帰した。

 葉っぱの絨毯は、枝がしなりにしなり、10メートル下の地面すれすれまで垂れ下がる。

 そして今まで受けた重量を跳ね返す様に、伸縮して、元の位置に戻っていく。

 自然の織り成す、強力なトランポリン。

 ハルハルは上空20メートルの真上に到達した。


『いくら急いでいるからと言っても、これでは逆に遠回りじゃぞ』


「望んでこんなことになるかああああああああああああ~~~~ッッ⁉︎」


 重力に従って、俺は落ちていく。




 数分前までの晴れた天気が、曇りに飲まれ、大粒の雨で大地を濡らす。


 土地の窪みに水たまりが生まれ、水面に黒い蛇の胴体が通り過ぎた。


「ぶいぶひ! ぶっひ‼(速くしろ! 奴が来るぞ‼)」


「ぶうぶ、ぶひひ!(逃げるったって、何処に行けば!)」


 言い合う二匹のオーク。

 彼らの足元が黒く濁り、ヤラムルチの顔面が口を大きく上げて天に延びた。

 二匹いっぺんに飲み込まれ、それを遠目に、他のオークは絶望に青く染まる。


「ぶ、ぶうぶーーっ‼(も、もう駄目だーーっ‼)」


 ヤラムルチは、水の中にもぐることなく、次の獲物に飛びついた。

 対象は子供オーク――メム。

 自身が逃がしたであろうメインディッシュにかぶりつこうと、口を大きく広げた。


「ぶぶ~っ⁉(誰か~っ⁉)」



「うごああああああああああああああああーーーーっっ‼」



 自分の叫びすら塗りつぶす、誰かの絶叫。

 上空からそいつは現れ、ヤラムルチの後頭部に直撃した。

 ばちゃり‼ と、黒い飛沫が弾け、ヤラムルチはずぶ濡れの地面へ溶けていく。




 命綱の無いスカイダイビングが終了し、そしてハルハルの頑丈さを改めて理解する俺。


「いてって。い、生きてる⁉ 俺は生きてるぞ‼」


『ハルハルの耐久力は中々のものじゃな? もしやエレベストから落っこちても、大丈夫じゃないか?』


「どこのハードル上げてんだ⁉」


 機会が有ったって、ぜってえ試さねえ‼

 やがて心を落ち着かせるや、周囲の混乱具合に、やっと気づく。


「これって……」


『すでに襲撃された後じゃったな! 気を付けよ春吉! 奴はここに居るぞ!』


 気を付けるったって!

 ハルハルの皮膚に、雨の水滴が汗の代わりに滴り落ちた。

 周りは完全に、相手の土壌であった。水が有りとあらゆる場所に点在する。

 つまり相手は、どこからでも不意打ちが可能なのだ。


『目を凝らせ春吉! お主の目は、ただ風景を映すだけではない! マミヤやシシリーにとて見えない、が、お主には追えるはずじゃ!』


「敵意の、瘴気!」


 手裏剣の特訓で試したアレか⁉︎


 言われ、ハルハルに全神経を集中。


 地面の水溜まりから、くぐもった息遣いが微かに聞こえた。

 ハルハルの背から、30メートル後方。



 徐々にこちらに近づく息遣いと、『黒い瘴気』が蒸気のように立ち込め、正確な場所を知らせてくれた。



『見えたか? それが奴の瘴気の色じゃ』


「特訓の成果か⁉ よしこれなら‼」


 コントローラーからハルハルに武器を転送。

 玩具のようなデザイン銃を装備させて、相手へと向き直るが。


「相手の影が、もの凄い勢いで回り込んだ!」


 地面から漂うヤラムルチの影が、トカゲじみた速度で、水溜まり場を移動していく。


『ヤラムルチめ。何がなんでも、お主の背後を取るつもりじゃぞ?』


「なんていやらしいマジムンだ! こ、こうなったら!」


 後手に回ればやられかねない。

 だったらこっちから仕掛けてやる!

 俺はハルハルに銃口を構えさせ、魂の俺にしか見えない、武器から照射されるカーソルの光で相手の残影を捕らえる。

 充分な距離まで、こちらから近づき発砲。

 攻撃は地面の土を巻き上げて、狙った位置に命中した。


「く‼ マジムンがまた、素早く移動している⁉ 利いてないのか⁉」


『奴が自ら境界線を飛び越えぬ限り、ダメージは与えられんのかもしれん。こちらから仕掛けても体力の無駄じゃぞ、春吉!』


「攻撃を喰らってからじゃあ、どっちみち遅いだろ⁉」


 俺は躍起になっていた。

 相手の位置を血眼で追う最中――銃口の斜線上がオークに止まる。


「子供のオーク! 何やってんだ⁉ 速くこの場から離れろ!」


「ぶぶ、ぶぶひ~!」


 駄目だ、完全に腰を抜かせている。

 それにマジムンは悪知恵を働かせて、オークの身体を盾に、直進で突き進んできた。

 コレでは引き金を引けない!


「そこは危険だ‼」


 ハルハルを半ば強引に突撃させ、子供オークを横に突き飛ばす。

 謝ってる間も無かった。

 相手が、直前の水たまりから牙をむき出しに、ハルハルを狙う。

 俺は銃で応戦するが、ヤラムルチは危機感を瞬時に察して身をひるがえし、銃口の斜線上から回避した。

 俺の攻撃は、僅かに黒い蛇体の鱗を剥がす。


「浅い‼」


 ヤラムルチは俺を通り過ぎ、水溜まりにダイブして姿を眩ます。

 鱗は地面に落ちるや、空気に蒸発するように、乾いて消えた。


「これじゃあ、ダメージを与えているのか分からない。アイツは、無敵なのか……?」


『気負うでない、春吉! どんなマジムンにとて、一番効果的なのがお主の持つ神具なのじゃ! お主に倒せないマジムンではないはずじゃ!』


 そ、そうは言われても!

 実際に目の辺りにしての相手の特性は、想像以上に厄介だ。

 せめて、マミヤさんが居てくれれば。


「ぶっひひ‼」


 不意に、ハルハルの腕を誰かが掴む。

 オークだ。俺が振って来る時に、マジムンに襲われそうになっていた子供オーク。その身は小刻みに震え、伝わる体温も異様に低く感じた。


「この子の逃げ場はっ⁉」


 俺と子供オーク、二人の周りに奴の影が漂っていた。

 サメ映画のワンシーンのように、蛇体を円として、俺たちを内側に囲い込む。

 相手の黒い瘴気が背ヒレ代わりに、間隔を詰めていた。


「ぶ、ぶぶぶ!」


「せめてこの子だけでも‼」


 俺は賭けに出た。

 光弾を漂う瘴気の噴出地へ、ダダダダッ‼ と、ばらまく。

 それにヤラムルチは、こちらへ攻撃に身をひるがえした。


「よし、食いついた!」


 標的は俺に絞られた。

 その間に子供オークを抱き起こし、そのままスイングしてハルハルから引きはがす。

 どこからでも来い! 今度こそ出てきたところで、迎撃してやる‼

 魂の俺がコントローラーを持つ手に汗を滲ませることは無かったが、ハルハルには緊張が伝わったのか、指にかけるトリガーがほんのり震えていた。

 相手の瘴気は俺の真下にまで近づいてくる。

 股の下からの攻撃を勘ぐるが、相手はそこを通り過ぎ。


「死角から攻撃か‼」


 進行方向に視線を合わせるが、相手の狡猾さは俺の想像を置き去りにした。


「ぶ、ぶひいいいいいいいい⁉」


「なっ‼」



 相手はあろうことか、子供オークを咥えたまま、こちらに突っ込んできた。



 コイツ、人質を‼

 俺とサシで勝負すると見せかけて、実際は人質を狙っていたのか‼ 俺が、子供オークを守ろうとしていた行動を逆手に取るなんて⁉


「く、くっそおおおおおおおおおおおおおお~~~~っ‼」


 今撃てばオークの子を傷つけてしまう。

 俺は、どうしてもトリガーに指を掛けられず。


 ヤラムルチは俺ごと捕獲し、暗い水面に引きずり込んだ。

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