第18話 屋良無漏池《ヤラムルチ》

「む⁉」


 制服の袖に腕を通してたところで、わらわの行動は停止した。

 同時に、脳天にそびえる癖ッ毛がピンとおっ立つ。


「キンマ様~どうしました? 制服の付け方をお忘れですか?」


「そんな単細胞では無いわ、うふそー(馬鹿)め! 妙な気配じゃ‼ 間違いない……これは!」


 それと同じくして、扉の先の廊下から、ドタドタと慌ただしい足音。

 ドアを開け放ち、春吉はるきちは息を荒げる。


「キンマっ⁉ 単刀直入に言う! 街で不可思議なこと、が……」


「分かっておるわ。そう声を荒げるでない」


 そしてわらわは、すぐに制服を脱ぎ捨て、柔肌を晒す。


「き、着替え中⁉ ってか、どうして服を脱ぎ捨てた⁉」


「今はそんな場合ではなかろう? マジムンめ……ついに本性を現してきおったな」


 などと騒がしくしているもので、洗面所に行っていたシシリーが顔を出し。


「なっ⁉ 病原人、貴様‼ 私たちの住まいに乗り込んだ挙句、キンマ様のお着換え中に‼」


「わ、悪い! こっちも動揺して急いでて、ん?」


「な、何よジロジロ見て……ちょっと気持ち悪いから、やめなさいよ‼」


 額を青くするシシリー。

 春吉はシシリーの制服姿を頭から足先まで見渡して。


「シシリーお前。パジャマの上から制服着てないか?」


「え?」


 そして本人も、自分の身体を見渡した。

 確かによく見れば、上半身の裾からはパジャマの生地がはみ出し、下半身のスカートに至っては、長ズボンの上からそのまま着込んでいる。

 こやつ、とんだうかっとゅ(うっかり者)じゃのう。


「っっっ⁉ さっさと出て行けや、こらああああああ‼」


 羞恥を忘れ去るように、シシリーは逆上。

 容赦なく春吉へ食器や炊飯器を投げつける傍ら、わらわはいつもの装束に着替え終える。




「――と、言うわけなんだけど‼」


「『神隠し』。いや、それにしてはやり口が雑じゃのう」


「私も、食材の買い足しがてら住民の話を聞きました。どうやら行方不明者は百人にも及んでいるようで」


 俺は全ての事情をキンマに話し終え、途中帰宅してきたマミヤさんも首を傾げる。

 事態は、かなり混迷を極めている。

 百人近く。いや、それが人間だけの数なら、オークなどを含めた他種族もひっくるめば被害はより多く拡大する。


「これだけの者を攫って、一体何が狙いでしょうか?」


「魂を喰らうにしても、これだけの暴食の数々。よほど図体がデカくなければ、無理な話じゃが。そんな巨体さを、わらわが見抜けぬはずが無い」


「た、魂を喰らうって! それじゃあ、昌司しょうじは……」


 顔を青くする俺に、キンマは「いや」と首を振る。


「話から察するに、被害が出始めたのは昨日からであろう。そこからいきなり、これだけの狩りを始めたのは、別の意図があるはずじゃ」


「ど、どっちにしたって、やばい事には変わりないだろ⁉ 何か、相手の出所が分からないか? 気配とやらを追ってさ!」


「そんなことできたら、苦労はしねえっつってんですよ⁉ 少しは落ち着いたらどうですか?」


 などとシシリーに窘められるが、俺は気が気になれない。

 クラスで一番親しくしてた奴が、むざむざ連れていかれたんだぞ⁉

 そのことばかり頭を過り、ついにはキンマたちとの温度差にも、むず痒さと苛立ちを覚えてしまう始末。


「落ち着けというのも、無理な話か。なれば春吉よ。お主は友人が連れ去られた地で、何か気になる点は無かったか?」


「気になる、点?」


「神出鬼没といっても、何もないところから獲物は狙えまい。奴には共通の、自身の身体に適した“出入り口”があるはずじゃ。そこを見極めん限り、被害は再現なく繰り返される」


「気になるっていても、俺が振り返るまでの極わずかに、昌司は連れ去られていた」


 それはもう、瞬間移動でもしたかのように……。

 本人も、悲鳴さえ上げる暇もないところをみるに、本当に一瞬だったのだろう。


「周りは民家。なのに堂々と相手は実行している。こんなに事件が多発しているのに、なぜみんな実態が掴めていない」


「なれば、身近な出入り口が有るというわけよ。もっと他に無かったか? 妖というものは、条件さえ揃えばいろんな場所から出没するぞ? 大地の力が集中する神樹の根元やら、鏡なんかは、稀に奴らの世界を映す境界線にもなりえる」


 そんな大層な樹木なんて、あそこには無い。

 しかしもう一つの境界線とやらには、引っかかる物があった。


「『鏡』。⁉」


 思い出す。

 あの道路にもあった。鏡とまではいかないが、あらゆるものを映す場所。


! あそこには『水』が流れてた‼」


「そういうことか。マジムンめ、随分と用途の広い出入り口を見つけたものじゃ」


「水は当たり前にありふれています。これが本当であれば、突如、行方不明になったのも頷けますが」


「同時に、マジムンは何処からでも出没する危険性があるってわけですか。かなり厄介な条件ですね」


「これじゃあ、対策の仕様が⁉︎」


 昌司が――街の住人たちが、このままでは全部餌食にされてしまう……。

 居ても立ってもいられなかった。

 俺は立ち上がり、玄関を目指す。


「待て春吉! 何処に行くつもりじゃ?」


「マジムンを、止めに行きたい。このままでは、みんな!」


「お主一人では重荷じゃ。奴の足取りが掴めるまで、ここに残れ。無闇に奔走してなんになる?」


「敵の素性が分からない以上、我々もキンマ様のお側を離れるわけにはいきません。春吉様、どうか冷静になって下さい」


 マミヤさんは、平坦に言う。

 俺以外、みんなこの事態に余りにも冷静すぎた。

 割り切れる者とそうでない俺との違い。マミヤさんやシシリーは元々キンマの護衛だ。それをおろそかには決してしない。

 キンマも、ことマジムン相手では神の力を行使できない。

 ならば俺も、彼女らと行動を共にするのが、最も効率的なのか?

 いや……やはり、割り切れるものじゃない!


「犠牲者が出てからじゃ、遅いんだ‼︎」


 戦士や天使、神様と違って、俺は一般人なのだ。

 これから押し寄せてくるであろう後悔に対し、少しでも抗うために。

 俺は自分本位に、歩を進めた。




「行ってしまいましたね、春吉様」


「数少ない友人が連れ去られて、頭に血が上っておるな。アレでは止めようもない」


 わらわは嘆息。

 お主の気持ちも分からんではないが、ここで冷静さを欠けば、餌食になるのはお前なのじゃぞ? 春吉よ。


「心配せずとも、奔走するのに懲りたら帰ってきますよ。あんなヒョロっちい人間の魂なんて、マジムンも求めやしないでしょうし!」


 卓上にあったお菓子を口に放りながら、シシリーは笑う。

 マミヤは呆れ目になった。


「シシリーさん、笑い事ではありませんよ? キンマ様。少ししたら、私も春吉様の元へ駆けつけてもよろしいでしょうか? 今回の相手は、嫌な感じがします」


「ふむ、そうじゃな」


「心配性ね〜マミヤっちは。あ、そうだキンマ様! 実は昨日、マミヤっちが美味しいケーキ屋のお菓子買ってきてたんですよ。これから一緒に食べましょう!」


「呑気じゃな、お主? それでも護衛かえ?」


「張り詰めてると、それこそ身が持ちませんよ。と言うわけでマミヤっち、冷蔵庫から取ってきてくれない?」


「仕方ありませんね」


 マミヤは渋々、台所まで赴き、冷蔵庫のドアを開ける。



 ふとそこで、わらわの肌が騒ついた。



「ええっと、確かケーキはこの奥に……」


「マミヤよ! 今すぐ冷蔵庫の戸を閉めよ‼︎」


 わらわが叫ぶと同時であった。

 マミヤが持っていた緑茶のペットボトル内から、黒々とした瘴気が芽生え――。



 容器を破裂させ、中身の液体からは3メートルはあろう『黒い大蛇』が、牙を剥き出しにわらわへ迫り来る。



「なっ! なんですかこやつは⁉︎」


「ボサッとするでない! 結界じゃ、シシリー⁉︎」


 反射的にシシリーはわらわの前に立ち、神力を宿すエネルギーの壁を築く。

 それを前に、大蛇は牙を突きつけ食いつくが。


「キンマ様⁉︎」


 マミヤが機転を利かせ、台所の包丁で、飛散した液体から繋がっている相手の身体を切り裂いた。

 身体が切断されるや、大蛇はグズグズに形を崩し、体積を縮めながら落下。

 バチャリと、居間の床を黒い液体で濡らし、元の緑茶の色へ戻っていった。


「お怪我はありませんか、キンマ様⁉︎」


「うむ、問題はない。しかし“これ”に関して言えば、問題だらけじゃな」


「キンマ様。まさか今のがマジムンの正体?」


 わらわ頷き、相手の正体を口にした。


「『屋良無漏池ヤラムルチ』。それも随分と下卑げびた個体じゃな。わらわの不意を突こうなどとは」


「すみません、油断していました。ここまで好戦的とは……。シシリーさん、今すぐここらに結界を貼ってください。こんな輩のことです。また襲ってきますよ」


「直ちに、貼ってきます!」


 二人はテキパキと、わらわの身の保護を固める。

 このマジムン……どうやら想像以上に、悪辣な奴じゃ。果たして春吉は、一人で大丈夫じゃろうか……。

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