第5話 突然ですが、世界は生まれ変わりました。

 世界変換、一日目。


 次の日の朝は、普段とは違う。陽気な日の光がカーテンの隙間からこぼれ、柔和な目覚めで持て成してくれた。

 俺にありがちな、夜更かしの疲れや眠気の残留感が、丸っきり無かったのだ。

 歯を磨きに洗面所に向かうと、取り付けられた鏡に自分の上体が映る。

 いつもながらに、これといって特徴の無い顔立ちだ……肌荒れやニキビが無い分、見せ方によっては活発そうに見えそう? と頭を悩ましたところで、同級生の昌司しょうじが過ぎり苦笑い。

 改めて自分の容姿を昌司と見比べ、自分が平凡すぎる人間だと思い知らされる。

 168センチの身長。体格もほんの少し痩せ気味で、黒髪短髪の髪型も地味め。

 せめて髪型だけでも? などと思っても、イメチェンによっての周囲の反応が怖い……。

 結局、自身に対する解答を見出せぬまま、俺は歯磨きを終えて居間に戻る。

 朝食のパンを齧る合間に、薄型テレビを付けた。


『今日の天気は極めて快晴ですね~。こんな日にピクニックに行ければ、大盛り上がりじゃないですか? 西野さん』


 ニュースキャスターの陽気な言葉。

 窓から刺す陽の通り、今日は天気が崩れる心配も無いようだ。

 キャスターの言う通り、こんな日にピクニックに行ければどれだけ幸福感が味わえるのだろう。一緒に行く相手は、残念ながら居ないけど……。


『そうなんですが、昨日まで雨が続いてましたからね。この時期は「スライム」の活動も活発になる頃ですから、会社通勤の人や学生は襲われないよう気を付けて外出なさってください』


「ん?」


 はて、俺の聞き間違いか?

 ニュースキャスターがいささか、不穏な物言いをしたような気がする。

 襲われないよう、どうとか。


「あ、やべ。もうこんな時間」


 しかしそんな懸念も、テレビの左上に表示された時間を見て、一気に切り替えられる。

 食事を終え、手早く着替え終えるや、1LDKのアパートを後にした。

 外の日差しに負けぬよう、速足で駆けた甲斐あって、バスにはギリギリで乗車。


(なんだか今日は、停留所までの距離がいつもより長く感じたな)


 そう思いながら席を探す。

 車内は一般住民や、俺と同じ学生がちらほら。

 そして、ふと違和感を覚えた。


(なんだアレ。“短剣”?)


 空席を跨いだその先の席で、俺と同じ学生服の女子の鞄から、剣に当たる鍔と酷似したを発見する。

 相手が視線をこちらへ向けると同時に、俺は窓の外へと逸らす。

 横へ流れていく景色が停止する。

 バスが赤信号で止まっている間際、外の住民たちの声を微かに拾った。

 なにやら言い合っているようで……。


「おい! そっちに『オーク』の子供見なかったか⁉ あいつら、人様の畑を勝手にあらしおって~ゆるせん!」


「子供の合間は、他種族との境など理解しておらんよ。追いかけるより、畑に対策しておいた方が賢明だぞ~?」


 助言を授ける男性は、この通りで見覚えのあるおじさんだ。

 問題はその先。

 西洋で見るような『甲冑』を纏って、地団太を踏む男性が一人。

 近所の住民も、半笑いでその男と交流しているのだが――。


「んん~?」


 俺は不自然に、眉を中央に寄せていた。




 やがて俺の通う高校が目に入り、バスから降りて、校門前を足早に過ぎていく。


「見てみろよコレ。新しい新装備だ! これで『ミノタウロス』も怖くねえ」


「そんな盾で、どうやってあいつの突進を耐えるんだよ~」


 談笑する男子生徒二人を流し見。


「お嬢様、行ってらっしゃいませ」


「ええ、帰りはいつもの時間に」


 西条さいじょうさんが、今時馬車(それも馬二頭は額に角を一つ生やしている)で通行する風景を尻目に。


「おはよう、宇良うら春吉はるきち君。今日はちゃんと眠れたか?」


 玄関前に設置されていたシーサー(獅子に似た伝説上の生き物)の銅像の問いかけに、俺は「ええ、どうも……」と小さく相槌を打って、素通りして。


 教室に到着し、自分の机に着くや、思うのだ。



「んんんんんん~~~~っっ⁉︎」



 両肘を机に付けて、頭を抑える俺。

 どういうことだ⁉︎ 俺は、何か、夢でも見ているのか⁉︎

 もはや何に対して追い込まれているのかさえ、漠然とし始め――そんな追い詰められた俺に、声をかけてくる者が現れた。


「どうした春吉。何をそんなに唸っているんだ?」


「しょ、昌司」


 登校してきた昌司に、俺は不安な表情を晒していた。

 学生服をある程度着崩し、変化の無い昌司の容姿に、俺は安堵。


「いや、朝から少し目まいのするような事案が多発していて! だけど昌司に変化が無いのを見て、安心したよ」


「ん? まあ、なんのことかは分からないが、どうやら重症ってわけじゃなさそうだな。あんまり抱え込んでると、人生しんどいぜ。楽に行こうぜ楽に」


 気の軽い昌司に諭され、俺はとにかく一息付く。


「そ、そうだよな。きっと今日の光景だって、何かの見間違い――」



「そう言えば今日の体育は『マッドオーガ』の対処法だったな。お前、ちゃんと新調したベストアーマー持ってきたか?」



「前言撤回! 一体なんだよ『マッドオーガ』って⁉」


 聞きなれない単語に、俺は居てもいられず立ち上がっていた。

 度を越えたリアクションに、肩をびくりと震わす昌司。


「どうしたよ? え、お前まさか知らないの? 『マッドオーガ』――いわゆる3メートルぐらいの鬼なんだけど」


「さらりと怪物の説明されたよ! え、何⁉ もしかしてそんな怪物が、学校に居るの⁉」


「居るどころか、そこらの森でも時たま見かけるじゃん」


「うっそ!」


 いよいよもって脳みそが追い付かなくなってきたぞ! 一体どうなってやがる⁉︎


「本当にどうしたんだお前? 今日おかしいぞ?」


「本当におかしい! 俺ではなくが! まるでその、俺だけ取り残されてるような気がする!」


「冬の持久走の時も、一人取り残されて『ヘルドッグ』に囲まれたことあったよな、お前」


「マジで⁉ 記憶に全然無い!」


 俺の必死さに、昌司も異常を悟ったのであろう。少し考え、こう提案してきた。


「ふ~む、やっぱりなんか重症っぽいな。もう今日は学校サボっちまえば? 教師には俺が口裏合わせておいてやるぜ?」


「さ、さぼったとしても、どうにかなるようにはみえないんだけど……」


 頭を抱え、不安渦巻く心中を必死で押さえつけていた。

 どうすればいいか、改善点が何一つ浮かばない。

 それらが不安を助長させ、悪い鼓動が心臓を直撃する。


「そういうところも含めて、一日休んで考えてみればいいじゃん。今のお前、気が滅入ってるように見えるし、いろいろ溜まってたんだな~」


 人の気苦労に、勝手に相槌を打つ昌司。

 否定してしまいたくもあったが、その根幹を調べずして、事態は好転しそうにない。

 俺は息を整えて鞄を持った。


「その、それじゃあ教師には気分が悪くなったと言っておいてくれ。今日は素直に帰るよ」


「おう、無理すんなよ~」


 何かと気遣ってくれる昌司の対応は、この機においても頼り易い。

 俺は言葉に甘えるように、帰宅を開始した。

 少しでも早く、自分が置かれている立場を明確にするために。

 そう意気込んで玄関に直行した、その瞬間であった。



「あらあら、春吉さんではありませんか? もうすぐホームルームが始まりますわよ? どこへ行かれるのですか?」



「さ、西条さん」


 天敵に遭遇した。

 最悪にも、彼女の妖艶な瞳の奥は、おもちゃを見つけたように意地悪く光っている。


「ちょうど良いところに居ましたの。実は今、先生方からプリント配りを率先して承ったのですが、少し重くって」


 などと言って、両手で紙束を振ってみせる。

 明らかに押しつけがましい提案であった。

 こんな時でも平常運転。取り残されたこの現状に、俺としては喜んでいいのか、悲しんでいいのか。

 と、そんなことはどうでもいい!


「す、すみません西条さん。俺、実は気分悪くて、それで今から早退で」


「あら、それは本当?」


「え、ええ」と、ぎこちなく首を垂れる。

 正直なんと嫌味を言われるか。いや、このお嬢様なら専門医師を読んで、俺を仮病のサボり魔と断罪したとしても、おかしくはない。


「それは仕方がないですね。お体は労わりませんと、春吉さん」


 反して、予想だにしない、西条さんの親身な心遣い。

 普段とは違う、聖母な微笑みで簡単に引き下がったのだ。


「それでは今日は私から教師に言っておきますわ。お体に気を付けて、春吉さん」


「え、ええ。有難う、西条さん」


 多少、不気味に感じながらも、ヒシヒシと伝わる相手のおもんぱかり。

 そうだよな。こんな何もかもに困惑した状況の俺なんだから、西条さんでも流石に気を利かせたりするよな!


「それはそうと春吉さん。私、最近になって新しいボディガードを付けましたの」


「ん?」


 突然の話題転換。

 そしてコロリと態度を戻す西条さんの背後から、巨大な影が歩み寄り。



「『オルトロス』のウーラとサーラですわ。右の首が『ウーラ』。左の首が『サーラ』。見た目は怖いですけど、純情なんですのよ」



『グルルルルル……‼』


 ドス! ドス!


 重い足音を響かせ現れたのは、全長5メートルはあろう顔と首が二つもある、犬に酷似した生物。


 突き出た犬歯やかぎ爪は、研ぎたてのナイフのように鋭く。


 四つの鋭い眼光は、獲物を狙う肉食獣そのもの!


「いや、ちょっと待って西条さん! 貴方いつからそんなおっかないボディガードを!」


「最近は危険な魔物も多いことですし、護身用ですわ」


「いや! そんなレベルじゃないでしょ‼ 抜き身の刀よりも危なくない⁉︎」


「あら失礼ね。これでも人にはなつき易いのですよ。お~よしよし、どうしたのそんなに喉を鳴らして。え? ?」


「ええ⁉」


 西条さんの眼光に、ぎらついた怪しい光が横切る。

 嫌な予感がふつふつと。

 あからさまなその感情が、俺の顔に現れていたのだろう。

 西条さんは、にっこりと笑い。


「それじゃあ午後までは遊んでいらっしゃい。あんまり羽目を外しちゃだめよ?」


『わおーーーーん‼』


「いーーやああああああああああああっ‼」


 決死の鬼ごっこが始まった。




 今日は厄日だ。

 人生最大最凶。

 きっとこれから歩むであろう道から振り返っても、これ以上のものなど想像できない。

 いや。それかもしかしたらここが、俺の終着点だったのかな?

 現在俺は、目前で迫って来る怪物を前に腰を抜かす。

 化け物に襟首を加えられたまま、現在一角の路地へと追いやられてしまっていた。

 四方はコンクリブロックの壁で遮られ、逃げられる道は無い。

 つまりは――。


「もう、駄目だこれ……!」


『ごああああああああああっ‼』


「だ、誰か助けてくれええええ!」


 大口が二つ、飲み込まんと迫る。

 享年十六の春。まさかこんな形で人生を遂げる日が来るなど。

 それも、こんなホラー映画のモブのような最後で終わってしまうなんて!



「駄目ですよ~。その人を食べてしまったら」



 絶望と混迷。

 視界を瞼で黒く塗りつぶし、ただ食われるのを待つだけの矢先に、やけに間延びした声が届けられた。

 女性だ。それも子供を優しく咎めるような声色。

 俺は瞼を開き、



 瞬間、犬の怪物が何かに引き寄せられ、誰かに後方へと放り投げられていた。


 

 軽々と、巨体を物ともせずに……。

 視界に映る相手の細いシルエットから、どうやったって生み出せる力とは考えられない。

 俺と対して歳も変わらない女性となれば尚更、空いた口が塞がらず。


「突然ですいません。貴方が宇良春吉様でいらっしゃいますか?」


「えっと……そうですけど……。貴方、は?」


「マミヤと申します。初めまして。キンマ様のめいにより、貴方をお迎えに上がりました」


「え? 『キンマ』?」


『ぐるるるる! ワオーン‼』


 名前に反応をくれる暇も無く、後方の化け物が起き上がり、歯を剥き出しに威嚇する。

 完全にご立腹の様子だ。

 それを前にマミヤと名乗る女性は、物怖じすることなく。


「全く、しつけがされていませんね。少しお時間を下さい春吉様」


「え、でも、ちょっと!」


 静止を聞く耳も無く、彼女は化け物の前に立つ。

 毅然と、そして一息つきながら。



 素手で化け物をぼこ殴りにしたのであった。



『ガっ⁉』『ひいん!』『きゃうん‼』――響くは、怪物の可愛く泣き叫ぶ悲鳴。


 びんた一発で怪物の身体が宙を浮き、巨体を簡単に背負い投げ、更には容赦なく顔を地面へ踏みつけ反撃を許さない。

 それぐらいに明確ながあった。

 さきほどまで搾取される側だった自分でも、動物虐待なのかと怪物に同情を寄せるぐらいに……一方的な弱者への蹴落とし方。


『きゃん! きゃんきゃん‼』


 マミヤという女性は、ものの数秒で怪物を追っ払ったのであった。


 当然、その身には傷一つ無く。

 ほんのり乱れた葵色の髪を撫でながら、彼女はこちらへ笑顔を向ける。


「それでは行きましょうか、春吉様」


 それを前に、俺は取るべき行動を選択した。



 ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい‼



 黄色い悲鳴を心の内に挙げて、本能の赴くままに全力ダッシュ。


「何なんだ一体! こんなの普通じゃない‼」


 通り過ぎていく風景や、近くで暮らす見知ったおじさん、おばさんたち。

 別に変わったところは無いというのに、この狂ってしまった世界観を、これまでそうであったように享受している。

 明らかにおかしい!

 それに取り残された俺は、自分の一人暮らしの部屋に戻り、鍵を掛けて外と別離した。


「これって夢なのかな? そうだきっとそうに違いない。一度眠れば治るさ、きっと」


 もう考えるのも面倒だ。

 俺は眠いよパ〇ラッシュ。そう布団までゾンビのように彷徨い歩く俺。



「ふむふむ。やはりここはこうか」



 六畳間の居間には、先客が来ていた。

 俺の所持するゲーム機を起動させて、一人テレビの前で頷く幼女。

 画面と説明書とを交互に視線を泳がし、かなりの熱中具合で入り込んでいる。

 そして俺は、今日何度目かになるか分からない喪失感を味わう。


 果て、どういうことだ?

 俺は遂に、自分の住んでた場所まで、この世界から奪われてしまったのだろうか?


「む?」


 などと思案中、相手はようやく俺に気づく。

 140センチ前後の身長。銀髪長髪の頭には一本の癖ッ毛が綺麗な曲線で生い立ち、更に装飾なのか王冠らしき物を乗っけている。

 巫女服のような袖の長い白の衣装に、金と銀の装飾が施された場違いな姿。

 それらを上塗りするぐらい、輝かしい笑みで、少女は言う。


「来たか宇良春吉。感謝するがよい! わらわが、自らお主の元へと赴いてやった!」


「えっと、君、誰? どうして俺の部屋を勝手に」


「なんじゃ、マミヤの説明を聞かなかったのか? わらわとお主と仲じゃろう」


 と言われても。

 幼女の知り合いなぞ、もった覚えは――。


「わらわの名は『キンマ』。こうして対面するのは初めてじゃな? 『ハルハル』 わらわが用意した世界の居心地はどうじゃ」


 相手の名と、自身のもう一つの名。

 ネットコミュニティで作られた偽名を口にされ、俺は相手が誰かをやっと納得したのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る