第3話 春吉の日常

 俺、宇良うら春吉はるきちという存在を、一言で表すとなれば『無味乾燥』。

 自分を押し出そうとする意志も無ければ、その評価を自ら覆してやろうっていう気概も皆無。

 不甲斐ないと感じるほど、消極的だった。

 その理由の根幹には、俺のトラウマも絡んでいた。

 小学校の頃――ちょうど六年生に上がった時期の頃だ。


 俺はイジメにあった。


 一人の女の子が、男女グループに泣かされていた。

 俺はそれに対し、ヒロイズムに酔ったのだ。加害者たちと対立し、教師という最強の矛を介入させて。

 それからは数の暴力だった。

 男女グループは俺に逆恨みし、同級生の生徒たちにあることないこと吹きこんでいった。

 結果、誰もが俺を無視するようになった。

 中には逆らいたくはないために、同じ態度を取るしかない子もいただろう。

 しかし子供の俺に納得などできず。

 そして俺は、他人と溝を取るようになった。

 中学時代も小学時代から引きずった関係が生徒間で流れ、見知らぬ同年代の人間でひしめき合う高校に進学しても変わることはなかった。

 親の意向で進学校への入学を機に一人暮らしを開始し、やるべきことが増えていった。

 元々頭が良い方でもないのに学力に取り残されないようにと奮闘し、慣れていなかった一人暮らしに悪戦苦闘。

 結果友達を作るどころではなく……そして自分から話しかけようとする気概さえ消失。

 そんな折、俺は唯一よりどころとなる場所に出会った。

 

 それは何の変哲もない、ネットコミュニティ。

 

 主にチャットを通じて、皆でPCゲームを楽しむフラットな関係。

 それが俺にとっては、どうしても心地よかった。

 相手の言うことにもごもごと相槌を打って、自分の意見を押し殺すより、文章として現れる自分の言葉は、別の誰かが話しているようで気が楽であった。

 暇さえあれば、その場所に依存するようになり、やがて俺はそのサイトの主と親しく接するようになった。


 まさかその相手が『神様』であったなど、果たして誰が予想できたであろうか……。


 あの時の俺は知らなかった。

 画面の向こうの陽気な自分が発してしまった一言で、世界の価値観が丸ごとひっくり返る大事件に陥ってしまうなど……。




 世界変換、一日前。


「なあ聞いたか? 誰も未だにクリアしたことのない、とあるゲームのステージ。クリアされたことで記事になってるぜ? それも、妙な攻撃法を使われてさ」


違法改造チートか。恥ずかしげも無く、そんなんで有名になりたいんかね」


「それが問題でよ。開発者でも、認知していない攻撃法でやられたみたいだぜ? 相当、手の込んだ改造でよ。自らエフェクトとか技を生み出してる」


「へえ~」


 つい立ち止まり、廊下の窓際に立つ生徒の会話を流し聞く。

 俺自身もつい昨日、認知したばかりの新鮮な話題だ。

 願うことなら話の輪に入って、花を咲かせたいところ、なのだが。

 他人という壁。

 そして相手が話題に熱心じゃないこともあり、すぐに次の話題に移行され、俺は取り残された感覚を味わいながらダンボール荷物を運びこむ。

 自分の教室のドアを開くと、そこには複数人の女子が集っており。


「それじゃあ、西条さいじょうさん。また明日~」


「ええ、御機嫌よう」


 お嬢様にお別れの挨拶をして、帰宅する女子たち。

 清楚に手を振って見送る西条さんの姿は、まさに理想のお姫様なのだろう。

西条さいじょううらら』。

 容姿端麗に大富豪のお嬢様であり、いつでも清楚に黒髪ロングをたなびかせる姿は、優雅という他ない。

 俺とは縁遠い存在――なのだけれど。

 短く嘆息し、教室の端に荷物を置いた。

 そそくさく自分の鞄を背負い、帰宅を始めようとするのだが……。


「あらあら、どこへ行かれるのですか、春吉はるきちさん。まだ仕事は残ってましてよ?」


「う!」


 西条さんに呼び止められて、つい呻いてしまった。

 近づいてくる足音が、嫌に鼓膜に響く。


「クラス委員の仕事は、終わりのはずだよ? ちゃんと運ぶ荷物は教師と確認したし」


「あら? 自分のことだけを目に付ければ、それでよろしいのですか? こんなか弱い女性を一人残して」


「西条さんに任せた仕事って、プリント用紙やチョークの補充とかだけだよね? それぐらい普通に終わってるんじゃ」


「先ほどの学友との交友で、時間が取れませんでしたの。それに私、これから習い事がございますので、時間を掛けていられません」


 ざっくりと、切り捨てられる。

 俺がこの人のことを苦手としている理由が、これだ。

 表面は誰にでも優しい、清らかなお嬢様。

 でも俺を前にした時にだけ、その態度は微塵も出しはしない。

 小学生の頃から、続けられた関係だ。

 俺を見下し、ただただ雑用係にこき使ってくる。

 そもそも俺が、不向きなクラス委員なんて立場にさせられたのも、この人に半ば強要されて立候補されたからなのだ。


「西条さん。貴方は自分からクラス委員になったんですから、少しぐらいは精を出したっていいんじゃないですか? いつも俺に雑用を押し付けて」


「あら、私に指図するつもりですか? 春吉さんの癖に。私に盾突くことがどういうことか、ご存知でしょう?」


 そう言って、西条さんが懐から取り出したのは一枚の写真。


「それって」


「貴方がいじめグループから、私を助けてくれた時の写真ですわ」


 俺は息を詰まらせた。


「私に盾突いた輩共への報復用にと撮った写真ですけど、まさか貴方のような貧相な騎士に助けられるなんて思ってもみませんでしたわ。これがきっかけで、クラスから孤立してしまいましたよね、貴方」


 その時の写真を、西条さんはペラペラ仰ぐ。


「本当に滑稽で面白いわ。もうそれ以降、私以外に話す人もおらず。なんとまあ、ヒーローの哀れな末路ですこと」


 恍惚と、写真を見せびらかす西条さん。

 その態度に、流石の俺もムッとなった。


「もう帰ります! 俺は貴方の雑用係でも、召使いでもありませんから!」


「雑用? 召使い?」


 視線を厳しく細め、西条さんは俺の襟首を掴んで、至近距離で顔を向き合わせた。

 彼女の冷たい鼻息が、間近にかかる。


「違いますわ。貴方は私の『奴隷』。いついかなる時でも、貴方が必死になっていいのは私に対してだけ。そのところをまだ、ご理解されてないようですわね?」


 背筋が凍った。

 西条さんの暗く冷たい瞳が至近距離で詰め寄り、そこに写る自分の表情が軽く引きつったものになっているのが分かる。


「理解って。感謝さえされど、どうしてこんな仕打ちを⁉」


「まあ。男女間のトラブルさえ理解できていないなんて、無遠慮すぎて呆れてきますわ」


 そ、それは貴方にも言えることじゃ⁉︎

 さっきまでの態度から途端に普通に戻り、俺を解放する西条さん。


「とにかく、逆らうならそれ相応の覚悟をしていらして。貴方、今でも学校で孤立気味なのに、変な噂を立てられて将来さえ奪われるのは、自分でも惨めに思わない?」


「う、噂って⁉︎」


「色々と想像力を働かせることですわ」


「ふふーん」と、涼しそうに鼻を鳴らす。

 そうでなくても、西条さんの影響力なら、この学校で随一だ。彼女が俺にセクハラされたみたいな訴えを広めたりされたら、それだけで今後の人生にまで影響が及ぶ。

 それを惜しげも無く……とんだ悪魔だなこの人‼︎


「さあ。そうと分かれば、手早く済ませて頂戴。私の下僕さん」


 手を叩いて、急かしてくる。

 そんな西条さんの意に応えたのは――俺ではなかった。



「おう。用紙とチョークを補充すればいいんだな?」



「っ⁉」


 一瞬、肩をびくりと震わせて、西条さんは後方を向く。

 そこには一人の男子生徒が、俺のやるべき仕事を率先してこなしていた。

 背が高く、スポーツ刈りに似合った男前な顔立ちと、学生服の代わりに自身の部活服であるバスケットウェアを着込む。我がクラスのムードメーカー。

比嘉ひが昌司しょうじ』は手早く二つの仕事をこなし、手に付着したチョークの粉をパンパンと払う。


「うっし! 仕事完了。これでもう嫌味言うこともないだろ? 春吉を解放してやったらどうだ、西条」


「あら、どういうつもりでして? 私たちの仕事を勝手に取ったりするなんて」


「外でお迎えが待ってるぜ。あんなにでっけえ送迎車が来てたら、他の部活の邪魔になるからな。帰らねえってんなら、せめて車は別の所に移してくれよ」


 西条さんに反論は無かった。

 静かにバッグを持ち、西条さんは教室と扉の境に立って、背中だけで語る。


「今日のところはこれくらいにします。それから、教師に玄関口のゴミ出しも頼まれましたの。そちらの方も、代わりに片付けといてくださいまし」


 最後に仕事を押し付けて、去っていく。

 俺は、溜まっていた心労を溜息に吐き出した。


「気苦労が絶えんな、春吉」


「えっと、昌司、君。助かったよ。まさか君に助けられるなんて」


「『君』はよせよ、席が隣同士のよしみだ。それに言うだろ? 『ヒーローは遅れてやってくる!』。っつっても、ただ単に教室に忘れ物取りにきただけなんだけどな!」


 そう言って、昌司は自分の席から、財布を取り出しニカッと笑う。


「めちゃくちゃ重い忘れ物じゃん」


 そう言って俺も、はにかんでみせた。

 昌司は誰に対しても気さくだ。

 全く他人と会話しない俺にも、前の席という理由で話しかけてきてくれる。


「にしても、あのお嬢様。お前にだけは、やたらめっぽう厳しいよな? お前、どんな恨みを買うような真似を?」


「そ、それが、自分でもよく分からない。小六の時にちょっとしたきっかけは有ったけど、アレは僕が彼女を助けたって意味で。でもその後はあんな、嫌味な性格に」


「男女のもつれってやつか?」


 変なことを言うもので、俺は高速で首を振る。


「そんな大層なもんじゃないよ! きっと俺を弄り甲斐のある奴だと思って、楽しんでるんだと思う」


「なるほどね。見た目は美人だって言うのに、心は根暗なんだな~お嬢様って」


 昌司はそう納得に至る。

 俺はリュックを背負って、帰宅の準備を進めた。


「とにかく助かったよ、昌司。それじゃあ俺、このままゴミ捨てに行ってくるから」


「ついでだし手伝っていくよ。あれ結構重いだろう?」


 な、なんて優しい人なんだ、この人は!

 随分とご無沙汰していた人の温かみに触れて、俺は心底そのご厚意に感服していた。


「何から何まで、ありがとう」


 精いっぱいの感謝を込め、この日の学校生活は幕を閉じた。

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