【8本目】ちいさな独裁者(2018年・独)
【あらすじ】
第二次世界大戦末期の1945年4月、敗色濃厚であったドイツ軍を脱走した空軍兵、ヴィリー・へロルトは、逃亡中偶然乗り捨てられた軍用車両の中にナチス将校の軍服を発見する。何の気なしに軍服を身にまとったへロルトは、その服を利用して本物の大尉になりすますことを決意する。借り物の権力を手に入れた脱走兵と、その追従者による、偽りの秩序の暴走が始まった―――
【感想】
紹介文に「国バラバラ」って書いてるのにハリウッド映画ばっかりでは看板に偽りありなので、今回は最近のドイツ映画でいきます。【RED】などでハリウッドでもメガホンをとっているロベルト・シュヴェンケの監督による、第二次大戦中のドイツでの実話を基にした歴史映画です。
身にまとうもの(衣服や鎧など)が意思を以て、纏っている本人すら操る、という展開を、日本だと少年漫画や特撮ヒーローものでよく見ます。もちろんそういう場合衣服や鎧は魔法や超能力などの力によって意思を持っているわけですが、この映画でキーアイテムとなるナチスの軍服は、正にそういう意思を持った存在として登場しています。
いや、実話をもとにした歴史映画でそんなことありえないだろ、と言われるかもしれませんが、この映画を見てもらったらわかります。もう軍服が意思を持って脱走兵のへロルトに自分を着せ、大尉のふりをさせ、へロルトを通して自分の権力を振りかざしているようにしか見えないんですよね。
この映画の原題は【Der Hauptmann(大尉)】という意味で、要するに劇中のへロルトに対する呼び名がタイトルになっているわけですけど、映画では最序盤と最
終盤のシーン以外では素の彼、つまり脱走兵・ヴィリー・へロルトとして見られることは一切ないんですよね。つまり劇中で人々が【大尉】として見ていたのは、大尉の地位を表すあの軍服であって、それを着こんでいたへロルトの素性とかはどうでもよかったわけです。そういう意味では、へロルトよりもあの軍服の方が、劇中ではより主体的な存在だった、と僕には思えるんです。
例え偽りの称号であっても【権力】を手に入れた人間(この場合人間に憑依した【権力】が、の方が正しいかも)がどれだけ暴走するか、そしてどれだけ周囲の人間も狂わせていくのか、という、ある種スタンフォード監獄実験的な、非倫理的社会実験を見ているような映画でした。
【好きなシーン】
序盤で大尉への変装を始めたヘロルトが、移動中立ち寄った町の住人たちに頼まれて、脱走兵の処刑を自ら行うシーンですかね。
本編ではその直後に【Der Hauptmann】のタイトルが表示されるので、まあその処刑はへロルトにとって【すべての始まり】ともいえるシーンなんです(実際そこから、へロルトとその取り巻きの殺戮は始まります)けど、その処刑が自分から、とかじゃなくて、自分を頼る人々に頼まれて、というのが、なんというか独裁というシステムの一側面を物語っていると思えました。
いや、ついこないだ見た映画で【モレク神】っていうヒトラーを扱ったロシア映画があるんですけど、その映画では「独裁者」「総統」という立場に苦しみ、愛人のエヴァに弱音を吐く人間・ヒトラーが描かれるんですよね。あれを見て以降、独裁体制で真に人々を支配しているのは独裁者ではなくシステムであり、そのシステム内では当の独裁者すらも部品の一つに過ぎないんじゃないか、と考えたことがあったんですけども。この映画の人々に煽られて処刑を行うへロルトの姿は、まさしく軍服に操られるようにして【独裁者】としての権力をふりかざすへロルトを、哀愁を込めて描いたシーンとも言えました。
そのほか最終盤の裁判で、既に軍服も剥がれて変装もばれたのに、軍服の持っていた意思が憑依したかのように着用する前と変わらず堂々とした態度ではきはきとしゃべるへロルトや、エンディングの【あなたの身の回りにもへロルト即決裁判所がいるかもしれない】と思わせるような場面など、下手なホラー映画よりもゾッとさせるような演出が多い映画です。
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