第3話
夜も更けた頃、降ってきそうな星を眺めながら小菊は大きく息を吐いた。火を熾そうとさっきから延々と木と木を擦り合わせているのだが、一向に火が点く気配が無い。家にいた頃は火打ち石を使っていたのだが、この辺りでは見当たらなかった。近所の年寄から「昔はこうやって火を起こしていたんだよ」と教えてもらった事があったのでそれを思い出してやってみたが、煙すら出ない。諦めてその場に突っ伏すると、何処からか聞き慣れた声がした。
「何をしてるんだ?」
顔を上げると、あの面がこっちを見ていた。辺りが暗いので不気味に感じるが、それでも嬉しくて涙が出た。
「蛙捕まえたから焼いて食べようと……」
「いや、そうじゃなくて」
小菊は涙を拭いながら彼を見つめた。
「村へ行く道は教えただろう。何で山を下りない? 村へ行けば誰かが面倒みてくれるだろう」
「はあ……世の中そんなに人情に溢れた人ばかりだったなら私もこんな所には居ないんだろうなぁ」
面からは表情こそ読み取れなかったが、深い溜息が聞こえた。毛むくじゃらの中から包帯を巻いた二本の腕が出て、左手が右手の包帯を取ると人間の指が顕になった。その右手の人差し指で地面に何か文字を書くと急に小さな火が燃え上がり、暗い森の中を照らした。
突然目の前に火が出た事に驚いた小菊は盛大に尻もちをついた。面は何事も無かった様に火に木の枝を焚べている。小菊はどうやったのだろうかと訝しんだ。ひょっとしたら本当に妖しの類いなのだろうかとも思ったが、多分、驚かす為に何か細工をしていたのだと考えに至った。
今度は毛皮の中から小刀を取り出して小菊が捕まえていた蛙の内臓を取って木に刺し、炙る様に火の側に立て掛けた。手慣れているなぁと感心する。
「どうして親切にしてくれるの?」
何かを考え込んでいるのか、暫く沈黙が続いた。
「……家を追い出された時に翼をもがれた。血が止まらないので自分で傷口を焼いて塞いだが、そこから膿んで腐ってくるから、人の皮を剥いで傷口に貼るんだ。その為の人間が必要だっただけだ」
家を追い出された時に大怪我をした。話し相手が欲しかったのだと小菊は脳内変換した。
「じゃあ私、もう少しここに居ても良いですね」
「お前、話聞いてたか?」
「ちゃんと聞いてますよ〜」
小菊が誂う様に言うと、面は呆れたのか溜息を吐いた。毛皮の中から今度は本を取り出すと小菊の目の前に放った。
「読み書きは?」
「……いえ、全く」
「じゃあ教えるから、その本一冊読め」
「何でですか?」
「知恵がついた人間の脳の方が美味いんだ」
人間の脳が薬として売り買いされている。そういう話を聞いた事はあった。
「病気なの?」
「ああ」
小菊は本を手にするとそれをじっと見つめる。
「なる程、これで会話の内容を考えろと」
大きな溜め息が闇夜に消えた。どうやら何を言っても無駄だと思ったらしい。彼の隣に座り直して焼けた蛙を食べながら本を開く。
「何て書いてあるの?」
墨で書かれた文字を指し示すと、彼は手の包帯を巻き直しながら本を覗き込んだ。小菊はその包帯が気になった。
「何で包帯をしてるの?」
「乾燥するし、腐って虫が寄ってくるから樟の葉を巻いてる」
艶のある葉を見せながら教えてくれた。それで樟の香りがするのかと納得する。樟は鎮静剤にも使われるので怪我をしているというのは嘘ではないのだろう。
彼は根気良く丁寧に小菊の疑問に応え、文字を教えてくれた。小菊が眠りにつくまでずっと側に居て話をしてくれた。
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