第94話 甘い言葉には裏があります。

「大人しくする気はない、と……。では、ワテくしはワテくしのすべきことをするだけにござります」


 セシル達の好戦的な態度を見てとったアスピスは、腰に提げていた剣を抜きました。


 おそらく彼女が手にしているのは、三種の神器のひとつ、神剣。


 鏡の持つ禍々しい雰囲気とは違い、それ自体が光を放っているかのような白い刃。


 柄には青い宝石がはめ込まれ、華美になりすぎない、気品を感じさせる装飾がほどこされています。


 きっとアスピスの着ているローブの裏には、残された神器、神玉もあるはずです。


 女神ゾーディアの熱烈な信者らしいセシルは、三種の神器を使い倒されているのが鼻持ちならないご様子。


「三種の神器は必ずボクが取り返す。アスピスと言ったね。キミに一対一を申し込む!」


 彼女は剣先をアスピスに向け、またも無謀なことを言い出しました。


「もー、なに言ってるんですか。あなたひとりじゃ勝てないですよ!」


 さっき軽く攻撃をいなされたばかりでしょうに。あれで力量差がわからないんだったら、冒険者を続ける資格ありません。


「失礼だな! そんなの、やってみなきゃわからないだろ!」


 けれどセシルは聞く耳持たず。頭に血がのぼってるのと、神器を取り返すという謎の使命感で、どうやらハイになっちゃってるようです。


「いやいや……。ローゼリアも黙ってないでとめてくださいよ」

「えー。こうなったらどうせ聞かないんだから、とりあえずセシルの好きにさせてあげようよ。本当にヤバくなったときに助けたらいいじゃん?」


 こっちも適当なこと言って……。知りませんよ、どうなっても。


「やれやれ、身の程知らずもいいとこでござります」


 その呆れ声に呼応するように、アスピスの抱えていた鏡のフレームが生きたツタのように変形し、左手に巻き付きました。手の甲から肘までがすっぽりと覆われた格好になります。


「フン……、鏡の盾ってわけかい」


 セシルはニヤリとほくそ笑みます。


「それが【神鏡】の真の姿か。うん、キミは正しいよ。盾を使わなきゃ、ボクの剣を受けきれないと判断したんだろ?」


 どうやら彼女はそんな些細なことが嬉しかったようです。最近、プライドを傷つけられるようなことばかりでしたからね。


 でも、それはぬか喜びにすぎませんでした。


「勘違いしないでほしいでござります。これはただ収納しただけ。そなた相手には、鏡を使う必要がないと判断したのでござります」


 真実は全くの逆であると、アスピスはしらけた顔で言います。


「ああ、安心してほしいでござります。神剣の力も使いませんから。そなた程度、丸腰でも勝てるでござります。【鈍器姫】が相手ならそうはいかないでござりますが」


 アスピスは私のほうをちらりと見ました。なんと、私が誰かまで把握されてたみたいです。


 まあ、こんなデカいハンマーを持ち歩いている女の子なんて、そんなに多くはないのでしょうけれど。……って、多くないどころか私だけですよね。


 しかし彼女、さっきからセシルの逆鱗に触れるの上手すぎます。こめかみに血管を浮かび上がらせんほどの怒りを両目に込めて、セシルは神器使いの少女をにらみつけました。


「ボクが一番キラいなことを教えてやろうか……! そこのハンナ・ファルセットと比較されることだァ!」


 床を蹴り、剣を突くセシル。その速度は、まさに光。移動に伴うステップの音、剣が空気を切り裂く音が遅れて聞こえてくるほどでした。


 けれどそんな神速の突きを、アスピスは首をひねり、顔の位置をずらすことで躱しています。


 紙一重。いいえ、わざと最小限の動きで対処してみせた――そんな印象を抱きました。


「はっ! うまく避けたもんだね! でも一撃ならともかく、連撃ならどうかな!?」


 セシルは身体をのけぞらせるように剣を引くと、連撃を繰り出します。


「剣技【リインカーネーション】!」


 ぶわっと、彼女の手元から剣の花が開きます。もちろん、比喩です。花びらに見える一枚一枚は、バラバラの角度に放たれた攻撃。非常に避けにくく、かつ一撃一撃が必殺の威力。


「へぇ……」


 私はちょっと感心しました。セシル、また強くなっています。どうやら父親に見捨てられて、ただへこんでいたわけではないようです。血のにじむような努力のあとを、剣筋から感じ取ることができました。


 けれど、相手はそれよりはるかに上をいってました。さすがに全てを体さばきで避けきることは難しかったようですが、アスピスは宣言通りに盾を使わず、手にした剣でいなしていきます。表情には余裕すら漂わせて。


【七本槍】スラッド・アークマンほどではありませんが、冒険者ランクでいえば多分Aには軽く達しているレベルでしょう。


「ちっ、これならどうだ! 剣技【ホーリーエンド】!」


 セシルの剣先から、光の束が放たれます。彼女の奥の手である【ホーリーエンド・レクイエム】よりも威力は落ちますが、その代わりにタメの時間を必要としない剣技。流れのなかで使われれば、なかなか躱すのは至難です。


 が、それも効果はありません。アスピスは剣を縦横、十字を書くように動かすと、迫りくる光の束を四分割に斬って捨てます。しかも朝飯前といった雰囲気で。


「はぁ。これが本当に全力なんでござりますか? ワテくしごときに勝てないんじゃ、バゼルに愛想をつかされるのも当然にござります」

「くそっ! くそくそくそっ!」


 細身剣による攻撃をなお続けながら、悔しさを表に出すセシル。きっと今の剣技で相手に盾を使わせるつもりだったんでしょうね。


「では、そろそろこちらからも行くでござります――剣技【ウインドアリア】」


 ドンッ! アスピスの剣から放たれた衝撃波が、セシルの身体を後方へ吹き飛ばします。


「ぐっ!?」


 セシルは驚きを隠せません。なぜなら【ウインドアリア】は彼女の得意技。けれども威力はアスピスのほうが明らかに上。


 攻勢にまわったアスピス。頬に刻まれた焼印が、彼女の本気度を表すかのようにじわりと赤く染まりました。


「剣技【ブラッド・ベルベット】」


 アスピスが剣を振ると、ズアッと正面に真っ赤なカーテンが生み出されました。高密度の魔力障壁、といったところでしょうか。それはうねりながら、物凄い勢いで空中にいるセシルへと襲いかかります。


 これは――避けられませんね。うーん、不本意ではありますが、助けてあげることにしますか。


「鈍器スキル【土壁造つちかべづくり】」


 ハンマーを床に叩きつけ、地面を立ち上がらせることで魔力障壁を相殺します。が、その加勢が不満だったらしく、着地したセシルは私をにらみつけてきました。


「ハンナ、なんで手を出したんだ!」

「てやんでーです。今のは割って入らなきゃ、怪我じゃ済まなかったですよ」

「別に構わないさ! それくらいの覚悟がなきゃ、決闘なんてできるか!」


 なんで助けたのに責められなきゃならないんですか。カチンときて言い返そうとしましたが、私はその文句を喉元で止めました。


 セシルの瞳から、大粒の涙がこぼれだしたからです。


「正々堂々とした決闘すらできないなんて……! こんなに弱いんじゃ、ボクなんて死んだほうがマシだ……!」


「セシル……」


 最近、情けないところばかり見せられて忘れかけてましたが、元々は自尊心の塊みたいな女の子ですもんね、彼女。


 そりゃ辛いですよね……。学園時代に見下してた落ちこぼれに何度も負けて、最後には命まで助けられて。


 とはいえ、数秒前に時間が巻き戻ったとしても、私はセシルを助けるでしょう。彼女のことは嫌いですが、目の前で人が死ぬのなんてもっと嫌ですし。


 でも、ちょっぴり罪悪感は覚えます。セシルはセシルなりに、強い気持ちを持って格上の相手に挑んだのです。その覚悟を踏みにじったと言われても、仕方のないことだったようにも思います。


 まあ、私が助けなくても、ローゼリアが助けていたでしょうから、セシルの満足の行く決闘には、どっちみちならなかったでしょう。


 私に加勢されるよりは、ローゼリアに救われたほうが心の傷は浅かったかも、ですが。


「弱くたっていいじゃん。それのどこが悪いの?」


 地に膝をついたセシルの肩を叩き慰めるのは、やはりローゼリアです。


「頑張らなくていいから。理事長のことを追いかけるの、もうやめよ? 邪神側についちゃった人なんて、どうだっていいんだからさ。セシルにはほら、このアタシがいるんだし」


 ああ……、その見慣れた光景を目の当たりにして、私はなんだか色んなことがしっくり来てしまいました。


 ローゼリアがここへ私を連れてきた本当の理由。


 それは幽霊の正体を見破るためじゃありません。


 私を使って、セシルをもっともっとみじめな気持ちにさせたかったんですね。


 一緒に冒険すれば、セシルは今みたいに私への劣等感、敗北感を抱くことになる。それが彼女にはわかっていたんです。そして、狙ってそうなるように仕向けていたんです。


 今だって、私より先にセシルを助けようと思えばできたはず。なのに、私に助けさせた。


 そのほうがセシルが傷つくと思っていたから。その傷口が深ければ深いほど、心の中にローゼリアが入り込む隙間が生まれる……。


 なんて歪んだ愛情。いえ、これは愛情と呼んでいいものなんでしょうか。


 独占欲とか、支配欲とか、そういうものに近いような……。


 まあ、それは置いておいて、いずれにせよ彼女にとっては理想的な展開になったわけです。セシルはボロボロ、もうローゼリアに頼り切るしかない――そんな風に見えました。


 けれど、ローゼリアの誤算は、思いがけないところにありました。


「――セシル・ソルトラーク。そなた、本気で強くなりたいんでござりますか?」


 アスピスが小首を傾げながら、セシルに問いかけます。


「ならばワテくしに教えを乞う気はありますか? そうすれば【鈍器姫】なんて相手にならないくらい強くして差し上げるでござります」

「え……?」


 敵からの、思ってもみない提案。ローゼリアの甘言に溺れ、己の弱さを受け入れようとしていたセシルにとって、それは魅力的なものだったに違いありません。


「そなた、あのバゼルに見直されたいんでござりましょう? ならワテくしについてくるのが一番にござります。あなたなら必ず、ゾーディア様の意思を継ぐ【つるぎの巫女】になれる」

「【剣の巫女】……?」

「ええ。そなたも剣士のはしくれなら知っているでござりましょう。【剣の巫女】の言い伝えを」


 ゾーディア様の三種の神器を統べ、邪神を倒す運命を背負う者。邪神が長い眠りから目覚めるとき、人類の救いである【剣の巫女】もまた目覚める……。


 古くから伝わるお話で、ゾーディア教の信者に限らず、とても多くの人に知られています。冒険者、特に剣を使う者にとって【剣の巫女】という肩書は特別なもの。


 真の勇者と同義なのです。


「ボクが【剣の巫女】に……? ほ、本当に……?」

「ええ、嘘ではありませんとも。そなたが望むのならこの【神剣ラケシス】、譲って差し上げてもよいでござります」

「ゾーディア様の神剣を、ボクが……」


 彼女にとっては夢のような話。甘い蜜に吸い寄せられる虫みたいに、ふらふらとアスピスのほうへと歩み寄るセシル。


 ははーん。会ったときからやたらとセシルの神経を逆なでしてたのは、これが狙いですか。まさにアメとムチ。最初は冷たく当たっておいて、突然優しく接する。そのギャップに、単純なセシルはコロッとやられちゃったわけです。


 なにかにすがらなきゃ生きていけない、依存心の強い子なんですもん。【剣の巫女】になれるだなんて言われたら、ほいほいついていくに決まってます。やってることは洗脳ですよ、洗脳。


 セシルを籠絡することにどんな意味があるかはわかりませんが、上手くやってのけたものです。やり方がスマートすぎて感心しちゃいますよ。


 ……あれ? なんかこういうマッチポンプ的なことを、ずうっとセシルにし続けてた子がすぐそばにもいましたよね……?


「ふっ、ふざけないでよ! せっかくここまで追い込んだのに、なに横から救いの手とか差し伸べちゃってるワケ!?」


 案の定、獲物を横取りされたダークエルフは、黙ってなんかいませんでした。アスピスへの殺意をむき出しにして、ローゼリアが叫び声をあげます。


「ロ、ローゼ……?」


 親友の変貌ぶりに、セシルは思いっきりたじろぎました。けれど、怒りに我を忘れたローゼリアは止まりません。


 熟成に熟成を重ねた年代物のワインを、家に侵入してきた強盗に飲み干されたようなもの。そりゃ腹が立ちますよね。アスピスとの距離をずかずかと詰めると、人差し指を胸に突きつけて思いの丈をぶちまけます。


「わざわざハンナに負けさせまくって、人前で恥をかかせまくって、人望を失わせて……、ようやく『お父様』もいなくなったってのに、いきなりしゃしゃり出てこないでよね!? セシルに強さなんかいらない! 地位も名誉もいらない! セシルに必要なのはアタシ! 【剣の巫女】? はぁー???? バッカじゃないの? そんなみんなに愛されそうなものになんか、絶対ならせるもんですか! セシルを愛していいのはアタシだけ! 他の誰にも、渡したりなんかするもんですか!」

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