第93話 幽霊の正体見たり、です。
私は信じられないものを目の当たりにしていました。
絶叫するセシルの隣には、今もなお幽霊が鎮座しています。おぼろげな姿は次第にくっきりとし、大人の女性だということがわかりました。
目を閉じ、真剣にお祈りを続ける美しい女性。まるで生きている人間みたいです。でも、顔や服はうっすらと透けていて、生身でないのは明らかなのでした。
そして、現れた幽霊は彼女だけではありませんでした。教会のなかにはぼんやりとした靄がいくつも出てきて、同じように少しずつ人間の形にまとまっていくのです。
長椅子でぼーっと正面を見据える老人。
祭壇の上に立ち、神の救いを説く司祭。
教会へ花を運び込もうとする商人の男。
隅で泣き出した赤ちゃんをあやす母親。
まるで数十年前の何気ない日常を見させられているかのよう。
「ヤダヤダ、なにこれー」
幽霊達を指差し、ニヤついた表情を浮かべるローゼリア。どうやらセシルと違って全くビビってなんかないみたいです。
それどころか不謹慎にも、楽しんでる雰囲気すら感じますね……。
「剣の神ゾーディア様。ボク達をお助けくださいィィ……。もう嫌いな青パプリカを残したりしませんからぁぁぁ……!」
一方、セシルは完全にダメな子と化しています。ついには長椅子から転げ落ち、頭を抱えてガクガクしちゃってるんですから。
しかし、そんなみっともない姿をさらしているセシルに、霊達はまるで無関心。ただただ、自分達の生前をなぞって行動しているようでした。
「アタシたち、無視されてる?」
「みたいですね。でも、ここまでは昨夜の話と一致してます」
レーゲンベルグを訪れた冒険者達が見たという霊も、来訪した彼らに無関心でした。
ただひとり、少女の霊を除いては。
『――ようこそおいでくださりました』
やはり、です。さっきまで誰もいなかった場所に、いつの間にかフードを目深に被った少女が立っていました。
身長は小柄な私よりも少し高めでしょうか。胸の前に抱えているのは、不気味な髑髏に彩られた鏡です。
『ここは死人の街。生気とは相容れぬ世界。それを承知で留まるのなら、どうぞこの鏡をのぞいていってください』
昨晩聞かされた話をなぞるように、少女は言います。そして、じり、じりとにじりよってくるのです。
よりによって、無防備極まりなくお尻を向けているセシルのほうへと。
「セシル、そこ危ないんで、こっちまで逃げてこれます?」
「あー! あー! 聞こえない聞こえない!」
セシルは手で耳をパタパタさせて、現実逃避の真っ最中。
目を閉じているので鏡をのぞきこむ心配はない……と思いたいところですが、彼女のことです。
肩でも掴まれようものなら飛び上がって、その弾みに鏡を見ちゃう、なんて状況は容易に想像がつきます。
かと言って、無理やり引き起こそうとしても抵抗されるんでしょうね。めちゃめちゃ身体をこわばらせてますし、自分の足で歩くとも思えません。
幽霊のほうをどうにかできたらいいんですが、正直、私もちょっぴり怖いんですよね……。
いや、ついさっきまでは霊なんて全然怖くなかったんですけど、こうちゃんと見えてしまうと、ねぇ……?
今まではどうせ見えないと思ってたから怖くなかったわけでして……。
「ハンナー。アイツ、いっぺん鈍器でブン殴ってみてくれない?」
「は?」
ところが尻込みしている私に、ローゼリアは無茶な注文をしてきます。なんなんですかこの女。どこかの神経ねじ切れてるんじゃないですか?
「イヤですよ! 変に刺激して憑かれでもしたらどうするんですか! それに私、幽霊に通用するスキルは持ってないんですけど!」
「あはっ。そんなスキル要らないって! ただ、ぶっ叩いてみるだけでいいからさ」
「自分でやればいいでしょ! なんで私にやらせようとするんです!」
「いいからいいから。ハンナちゃんの、ちょっといいとこ見てみたい☆」
そう言って、背中をぐいぐい押してきます。もちろん、抵抗しようと思えばいくらでもできるんですが、頑なに拒んでビビってると思われるのも癪です。
あの情けないセシルと同じには……、絶対に括られたくありません。
「わかりましたよ、やればいいんでしょ、やれば!」
「ひゅーひゅー! そうこなくっちゃ!」
いちいちムカつきますね。何百回目かの「ついてこなきゃよかった」をつぶやきながら、私はフードの少女と向き合いました。
「――鈍器スキル【鈍立鈍歩】」
鈍ッ! 床を思い切り蹴って、私は一気に間合いを詰めます。
今、履いている靴は鉄板入り。鈍器判定アリ。
先日、ダンスの特訓で手に入れた思い込みの力により、私は鈍器靴による高速移動を手に入れたのでした。
「鈍器スキル【ぶちかまし】!」
その勢いのまま、思いっきりハンマーを叩きつける私。
が――手応えなし。ハンマーは空を切り、体勢が崩れます。
しかし、やっぱりねとは思いませんでした。
なぜなら、ハンマーは霊体をすり抜けたわけではなかったからです。
『避けられた』のです。フードを被った少女は、なりふり構わず後ろに跳び退いたのでした。
幽霊なのに。
「やっぱりね。あはっ。ハンナを連れてきといて、よかったぁ☆」
ローゼリアだけは予想通りという風に手を叩いて笑います。
「どういうことですか?」
「だってさあ、ハンナにも見えてるんだよね? この幽霊達」
「あたぼーです。なんならローゼリアよりも早く見えてましたよ!」
「だよね。だったらこいつら、幽霊じゃないじゃん?」
「…………ん? どういう理屈ですか、それ」
ローゼリアは自信たっぷりに宣言します。
「だって強くなったとはいえ、ハンナの鈍さは筋金入りじゃん? 霊感なんてあるはずないでしょ。つまり、鏡を持ってる女は生きてる人間、そしてまわりの幽霊どもは魔法によって生み出された幻術ってことだよ!」
「て、てやんでーです! よくもまあそんな失礼な推理をたてられたもんですね!」
根拠がまるっと名誉毀損なんですが!
いや、確かに私だって、自分の霊感に期待してなんかいなかったですよ?
でも、見えて聞こえて、私の感覚もそんなに捨てたもんじゃないなと思い始めてたタイミングで、この仕打ち!
え、てことはなんですか? これが幻術だとしたら、一番先にかかっちゃったのが私ってこと?
私はローゼリアより感覚が鋭かったわけじゃなく、単に幻術への抵抗力が弱いおバカさんだったってことですか?
そんなの、絶対認めたくありません!
「いいですか、あの女の子は本物の霊! まわりにいるのも本物の幽霊! この場には、生きている人間は私達三人しかいないんです!」
「――よく見抜けたでござりますね。確かにワテくしこそ、そなた達に幻術をかけた術者でござります」
ああ! 私が反論している最中だと言うのに、フードの少女はパチリと指を鳴らします。すると、まわりにいた他の幽霊達が、一瞬にしていなくなったではありませんか。
「ちょいちょい、なんであっさりローゼリアの主張を認めちゃうんですか!」
「そう言われましても、実際正解でござりますので」
フードの少女は肩をすくめます。
もう! ローゼリアがほらねって表情をこっちに向けてますよ! 憎たらしい!
「なんなんですか、あなたは! 幻術なんかいきなりかけてきて! 私を小馬鹿にした罪は重いですよ!」
「小馬鹿にしたのはワテくしではないと思いますが……」
そう不満を漏らしながらも、少女はフードを下ろし、顔を露わにしました。赤銅色の長い髪が、ふわりと外に溢れ出ます。
「ワテくしの名はアスピス。ここ、レーゲンベルグの平穏と調和を守る者にござります」
フードの奥にあったのは、なかなか美しい顔立ちでした。
つるんとした額にツンと高い鼻。困ったように曲がった眉の下には、トパーズ色の神秘的な瞳。
なにより目を惹くのは――右の頬につけられた、ハンマーの形をした焼印の痕。
それは邪教徒と見なされた罪人がつけられる印。牢獄につながれたことのある者の証でもありました。
「邪教徒がどうしてレーゲンベルグに、それもゾーディア様の教会にいるんだ!」
おやや。まわりの幽霊がいなくなり、しかもそれらが幻術だったと知ったセシルは急に元気になってます。もうしばらくガクブルしといてくれてもいいんですけど。
「もしかしてその鏡は、教会に祀られていた三種の神器のひとつ、【神鏡クロト】じゃないのか! だとしたら、キミのような邪教徒が持つ資格はないぞ!」
セシルは己の剣を抜くと、アスピスと名乗った少女に斬りかかります! なんてケンカっぱやい! 相手に反論の余地も与えません。
まあ、ゾーディア様を崇めている人からしたら、三種の神器が邪教徒の手に渡ってるなんて、絶対に許せないことなのかもしれません。
私だって、自分の大切なもの、ミラさんやガレちゃんが敵に奪われたら、激昂するでしょうし。
けれど、その怒りは少女には届きません。アスピスもまたマントの内側から剣を半分ほど抜き、セシルの一撃を防いでみせたのです。
「な……!」
これにはセシルも驚いた様子です。幻術に頼るような人間に、自分の剣を止められるとは思ってなかったのでしょう。しかも、相手は鞘から剣身を完全には出し切っていないのです。
「やれやれ。そなたに断罪されるいわれはないでござります、セシル・ソルトラーク」
名を呼ばれて、ハッと顔を強ばらせるセシル。
「どうして、ボクの名前を……!」
「もちろん知ってござりますとも。そなたの父、バゼルとは知己の間柄でござります」
「お父様と……?」
「あ、本当の娘じゃなかったんでござりましたっけ? 失礼失礼」
「貴様……!」
セシルはその言葉に、いたくプライドを傷つけられたみたいです。いいですね、もっとやりましょう……と応援したいところですが、そろそろ収拾をつけないといけませんね。
「アスピス……、と呼んでいいのでしょうか。あなたの目的は一体なんですか? どうやら幻術で人をおどかして、私達以外の来訪者もおっぱらってたみたいですが……。この街で怪しげな儀式でも行おうとしてるんです?」
私の問いに、小首を傾げるアスピス。
「どうやら誤解されてるようですが……、ワテくしは邪教徒なんかじゃござりません」
「嘘をつくな。そんなわかりやすい印までつけておいて!」
セシルは頬の焼印を指差して声を荒らげますが、アスピすは意に介した様子もなく返します。
「これはワテくしが邪教徒と濡れ衣を着せられたときに押されたもの。ワテくしは……、いいえ、ワテくし
ワテくし達――そう彼女が口にしたとき、私は気づきました。ステンドグラスに映る複数の影に。
教会の外はすでに、大勢の人々によって取り囲まれています。廃墟を歩いていたときには、人の気配なんて全然感じなかったのに、です。
「ここ、レーゲンベルグは今や邪教徒とみなされた者達が安心して暮らすことのできる、唯一の都。よそ者には早々に出て行ってもらうしきたりでござります。……が、そなたがたは不運にも、不用意にも、知るべきでないことを知ってしまったでござりますね」
幽霊に怯え、さっさと街を立ち去ればよかったのに――そんな責めるようなニュアンスが混じっていました。
「なればワテくしにも仕事がござります。そなたがたにはこの街で一生暮らしていただくか、あるいは誰にも喋れないようになっていただくか、でござります」
うーん……。要求されてることはメチャクチャですが、彼女、根っこが悪い人には思えません。
いや、だって同情しちゃうじゃないですか。邪教徒の濡れ衣を着せられかけたことなんて、私だって一度や二度じゃないですし、一歩間違えば彼女みたいに囚えられてた可能性だってあったんです。
それで顔に焼印を押し付けられて、罪人として扱われたりしたら、誰も信じられなくなって当然。私達がいくら黙ってると約束したって、解放してくれるわけありません。
だって彼女はどう見ても十代半ば。脱獄囚であるのは明らか。この街に集う人々も似たようなものでしょう。つまり居場所がバレたら絶対にダメな人達なのです。
でも――彼女達の気持ちを理解できる私ならば、説得できるかもしれません。彼女の言っていることが本当で、ここにいる人達が無実の善良な人々なら、売る理由なんてないんですから!
「は? 要は束縛されるか死ぬか選べってこと? アタシ、どっちかっていうと相手を束縛するタイプだし、死ぬのも絶対イヤなんですケドー☆」
「ボクらには第三の選択肢がある。キミをぶっ倒す。そしてお父様について知っていることを全部吐かせる。決まりきったことさ!」
ま、でも話し合いは無理ですね……。話をこじらせることにかけてはこのふたり、セシルとローゼリアは天才ですから。
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