第82話 こんなのスラッドさんではありません。
倒れたエリオン王子の元に駆けつけたのは、私だけではありません。毒と聞き、誰よりも早く反応したのはミラさんでした。
マリアンちゃんの腕に抱かれている王子の額に手を当て、彼女は体温を確認します。
「どうですか、ミラさん」
素人目にも、王子の顔色はどんどんどす黒くなっていってます。それでもミラさんなら、と期待せずにはいられません。
「……よくはない。なんの毒かわからないし、魔法も効かないなら、呪いも一緒になってそう」
「な、治せるのか?」
不安を隠しきれないマリアンちゃんに対し、ミラさんは少し考える素振りを見せましたが、そのあと小さく頷きました。
「がんばる。材料がいるから、エッグタルトに行きたい」
普段は損でしかない無表情も、こういうときだけは頼もしく感じるから不思議です。
「……わかった。エリオンを頼む」
次の瞬間、マリアンちゃんと王子、それにミラさんの姿は、広間からふっと消失しました。マリアンちゃんによる【転移】の魔法です。
ミラさんは王国一の薬師(私調べ)。どんな毒が相手だろうと、彼女に任せておけばきっと大丈夫。
本来ならば、私がマリアンちゃんを守らなければいけなかったのです。それを代わりにやってくれたエリオン王子を、どうか助けてあげてください。
私は私で、この場でやるべきつとめを果たしますから。
「お、おふたりはどこへ!?」
【転移】の魔法について聞かされていなかった近衛兵達は、王族のふたりを見失って狼狽します。
「王子様だけでなく、王女様までも……」
「グ、グラン王国の未来が……!」
「うろたえるな」
ぴしゃりと兵達を叱りつけたのは、グラン王その人でした。
「心配せずとも我々の【双星】は無事だ。それよりも――今はその男をどうするかのほうが重要であろう」
おそらく王だけは、マリアンちゃんの【転移】について知っていたのでしょう。その威厳は保たれ、他の人達よりも随分と落ち着いています。
「は……、ははっ!」
ふたりの父であり、本当は最も不安であるはずの王様に言われては、兵達も混乱してはいられません。
冷静さを取り戻した彼らは他の参加者達の避難にあたります。そして一部の兵達の矛先は、当然ながら王女を殺害しようとし、結果として王子を負傷させたスラッドさんへと向かいました。
「【七本槍】のスラッド、一体どういうつもりだ!」
「この喜ばしい会に参加していながら、王家に仇なすとは、万死に値する!」
兵達は一斉に、スラッドさんを槍で取り囲みます。
もはや逃げ道はないように見えます。けれど、槍を使えば世界最強の彼は、無駄だと言わんばかりにくすくすと笑うのです。
「俺っちのやってること、そんなに変かなあ。ただ邪神のほうに寝返ったって、それだけのことじゃない?」
皮肉にもマリアンちゃんの従者は、私にハンマーを持ってきたように、全ての装備を彼に渡してしまっています。先ほど封じた【スティンガー】以外の六槍を。
スラッドさんはそのうちの一本を持つと、先端で床を強く叩きました。すると槍を構えていた兵達は、突風でも食らったかのように後方へ吹っ飛びます。
「【波動衝撃槍ミーティア】。俺っちを大勢で取り囲むのは、いいアイデアとは言えないねえ」
彼らを襲ったのは、おそらく魔力によって生み出された衝撃波。吹き飛ばされた彼らの多くは床や壁に背中を打ちつけ、立ち上がれずにいます。
「貴様、どういうつもりだ……!」
理事長が野太く、低い声でスラッドさんに凄みます。
「そう怖い顔しないでくれるかな。これは事故だよ、事故。俺っちはちゃーんとマリアン王女を殺そうとしたんだからさ。悪いのは割って入ってきた王子様でしょ?」
事件の黒幕は理事長――それは間違いありません。ですが、この状況は理事長にとっても計算外のはずです。
そもそも、エリオン王子が王位争いのライバルであるはずの王女を守るはずがない。そう考えていた時点で、どうあがいても計算は狂っていたのです。
当初の目論見はとっくに崩壊しています。となれば、理事長が狙うのはひとつだけ。
「殺せ、セシル」
ええ、口封じです。そして彼の娘であるセシルは、すでに準備を整えていたのでした。
神々しいまでの光を湛える、セシルの細身剣。
この騒動のなか、彼女がどうして静かにしていたのか、やっとわかりましたよ。彼女は早々に自身の剣を手配すると、ずっと魔力を溜め、チャンスを待ち続けていたのです。
「――剣技【ホーリーエンド・レクイエム】!」
彼女の誇るユニークスキルが炸裂します。
細身剣がスラッドさんを指し示すと、切っ先から膨大な光の束が解き放たれました。
取り囲んでいた兵達が事前に吹き飛ばされていたのは、不幸中の幸いでしたね……。そうでなければ、巻き込まれて大惨事になっていたに違いありません。
でも、不幸中の不幸は、技を放った相手が世界に十人といない、特A冒険者だったことでしょう。
私ですら破ることのできた【ホーリーエンド・レクイエム】が、セシルの師匠でもあるスラッドさんに通用するはずがない――そんな予想は、現実のものとなります。
「ユニークスキルを使えるようになったんだ。ちょっと見直したよ、セシルちん」
スラッドさんはまるで動じることなく、一本の槍を襲いかかってくる光の束へと投げつけます。すると【ホーリーエンド・レクイエム】の一筋の光は瞬く間に無数に枝分かれし、かき消えてしまいました。
「そ、そんな……」
魔力と集中力が途切れ、膝をついて呆然とするセシル。
「――【魔力霧散槍パトリオット】。魔力による攻撃ならばいかに強力なものも無力と化す」
【七本槍】の異名は伊達ではありません。ひとつひとつの魔槍がすごくても、普通は七本も抱えていたら選択肢が増え、判断が遅くなるもの。
でも、スラッドさんにはそんな隙は一切ありません。今のほとんど不意打ちのような攻撃にすら、瞬時に対応する。特A冒険者、恐るべしと言ったところです。
それにしてもセシルのユニークスキル……、すごいのは明らかなのに、私が見ているところでは不発ばかりですね……。セシルは全然かわいそうには思わないんですが、スキルのことはちょっと不憫に思えてきました。
「殺せだなんてヒドいなあ。腐っても俺っち達、仲間じゃない。なのに自分の娘を使って始末しようなんてよく考えるね」
「……貴様と仲間だったのは、冒険者だった頃の話だ。この期に及んでは敵でしかないな」
「あー、そう? でもそろそろ大人しくしといてよ。じゃなきゃ、俺っちも本当の意味で敵になっちゃうかもよ?」
しばらく静観を決め込んでいた私でしたが、どうやら待っても無駄みたいです。
殺されそうになったにもかかわらず、スラッドさんは理事長が黒幕であることをバラすつもりはないようです。ぽろぽろと口を滑らせているようにも聞こえますが、実のところ肝心な部分は出していません。
どうとでも捉えられるような、後から言い訳がいくらでも立つようなセリフしか、理事長もスラッドさんも吐いてはいないのです。
けれど、今のスラッドさんの言葉は明確な脅しでした。まだ敵対の意思を示すのならば、ここで全てをバラすと言っているのです。
私にとっては願ったり叶ったリなのですが、それを聞いた理事長は歯ぎしりし、黙り込んでしまいました。こういうところでやたらと利口なのですから、タチが悪いです。
「はああ……」
それにしても――不快極まりますね。これ以上は我慢の限界ですよ。
便宜上スラッドさんと呼んではいましたが、目の前にいる男は、私が尊敬してやまないスラッドさんでは、断じてありません。
「あれれ。怖い顔しないでよ、ハンナちん。俺っちが邪神側についたのが、そんなに腹立たしい?」
ハンマーを手に近づいてくる私を見て、おどけたように肩を竦める彼。
「でも鈍器を使う君だって、こっち側に来たほうが生きやすいんじゃないかな? 邪教徒だなんて迫害を受けることもなくなるしさ」
そこまで言うと、スラッドさんはなにかに気づいたようにポン、と手を叩きます。
「いいこと思いついた! 今なら俺っちが邪神や四天王に口利きしてあげる。そうすれば特例ランクアップなんか目指さなくても【魔の大地】に来られるじゃない。レイニーとだってすぐに会えるよ?」
「……てやんでーです」
なにを言っているんでしょうね、この人は。そんな再会を、私達が望んでいるとでも思っているんでしょうか。
「いつの間になりかわったのか知りませんが――スラッドさんのフリをするの、いい加減やめてもらえます?」
「ん……、なに言ってんの? 俺っちはどっからどう見ても【七本槍】のスラッド・アークマンでしょ」
……そう。外見だけは間違えようがなくスラッドさんです。でも、レイニーの信頼する仲間であり、私のダンス練習にも根気強く付き合ってくれたスラッドさんが、こんなことするはずがありません。
だとしたら……、可能性はひとつしかありえないじゃないですか!
「白々しいんですよ――魔人ダウト!」
彼の鼻先に人差し指を突きつけると……、不敵に笑う頬に、うっすらと痣が浮かび上がりました。
それは以前見たダウトの本体――カードに刻まれていた裏地の紋様と、ひどく似ていました。
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