第43話 負けられない戦いがあります。

 フェンリル。


 狼系のなかでは最上位に位置づけられることが多い、強大な魔物。


 レイニーのいる【魔の大地】では群れに遭遇することもあるそうなのですが、少なくとも王国内で出くわすような魔物ではありません。


 アオオオオオオオン!


 フェンリルと化したガレちゃんは、満月に向かって遠吠えます。


 人間としての知性は一切感じ取れません。本能に従い、獲物を狩る――そんな捕食者の眼光です。


「や、ヤバいですよハンナ先生……! 逃げましょう!」


 木の陰に隠れたまま、私に声をかけてくる若手さん。ワイズはその存在に気づき、狼に命令します。


「あそこにも目撃者がいるぞ! ガレ、事の真相を知った連中は皆殺しにしろ!」

「グオオオオオ!」


 その声に応じて、というわけでは多分ないでしょう。この場で最も怖じ気づいている者に狙いを定め、狼は若手さんに向かって突進してきます。


「鈍器スキル【空気の杭】!」


 ハンマーを振り回して魔力で固めた【杭】を生み出すと、それを地面に突き刺して即席の柵を作ります。目的はもちろん、狼の足止めです。


 しかし、それは結果的に、なんの役にも立ちませんでした。狼は【空気の杭】で作った柵をたやすく突き破り、そのままの速度で突き進んでくるではありませんか。


「くっ!」


 仕方なく私は跳び上がると、狼の頭にハンマーを叩きつけました。さすがにこれは効いたのか、狼はぐらりと体勢をよろめかせます。


 けれど私が手加減したのもあって、大したダメージは通っていません。狼はすぐさま口を開くと、炎の息をこちらへ吹きかけてきます!


「鈍器スキル【土壁造つちかべづくり】!」


 私は若手さんの前に立つと、ガン、と地面を叩き、正面に土の壁を作り上げます。


「あちっ! あちちち!」


 壁の左右を吹き抜けていく熱風に、若手さんが悲鳴を上げます。なんとか防御が間に合いましたが、直撃してたらヤバかったですね。現に、たった一撃で森は火の海です。


「いいぞ。なにもかも燃やしてしまえー!」


 馬鹿みたいに喜ぶワイズ。今の攻撃の巻き添えにはなっていませんでしたか。ガレちゃんに理性があるとはとても思えないのに――運のいい人です。


 それにしても、この炎はマズいですね……。煙を吸い込んで意識を失うかもしれませんし、なにより目立ちます。


 さっきの遠吠えだって、招かれざる方々を呼び寄せるには充分すぎるものでした。


「踊れ、踊れ、炎よ踊れ。燃える演舞で荒れ狂え! 【ファイア・ウォール】!」


 再びこちらへ突進をかまそうとしてきたフェンリルの前に、炎の壁が立ちふさがります。森を燃やしていた炎が、まるで意思を持ったかのように一つにまとまったのです。


 そんな芸当ができるのは、ここには当然ひとりしかいません。


「ヤダヤダ、ヤッバーい! ねえ、あれってフェンリル? アタシ、初めて見た!」

「今日は珍しい魔物にばかり会うね。まとめて聖剣の錆にしてあげるよ」


 あーあ、最悪です。セシルとローゼリアが現れました。事情を知らない彼女らは、フェンリルを退治しようとするに決まってます。


「ふたりとも待ってください! この魔物は悪い存在じゃないんです!」


 ローゼリアはともかく、もうひとりにはきっと無駄だろう、そう思いながらも私は叫びます。


「悪い存在じゃない? ふん、魔物に良いも悪いもあるものか。ただそこにいるなら倒す。それがボクのポリシーだ」


 ほら、やっぱりです。ここで話が通じる相手なら、もっと仲よくできてるはずなんですよね。


 炎の壁に阻まれて動きの止まったフェンリルに、セシルは細身剣の切っ先を向けます。


「剣技【ホーリー――」

「させるもんですか!」


 私はセシルの構えた剣にハンマーをぶつけることで、発動しかけた技を途中で止めました。


「この子は傷つけさせません!」


 たとえ姿が獣になろうと、理性を完全に失っていようと、この子がガレちゃんであることに変わりはありません。


 彼女は悪い魔物として、私に退治されることを願いました。けれど、その願いをそのまま叶えてあげるわけにはいきませんし、他の人に退治されるなんて、もっとあってはなりません。


「ハンナ・ファルセット! 魔物を庇うなんて、やっぱりキミは邪神に魂を売り渡していたんだな!」


 これまで以上の憎悪と侮蔑を込めて、セシルが私のことを睨みつけてきます。


「橋を壊すのも、それを守るのも、全ては自作自演。魔物とも最初からお友達だったってわけだ。この悪魔め!」


 状況的にはそう思われてもしょうがない気もしますが、いくらなんでもひどすぎないですか?


 まあ、今さら彼女の誤解が膨らもうと、知ったことじゃないです。私には、もっと大事なものがあるんですから。


「私は決めたんです。自分自身に約束したんです。橋だけじゃなく、この子の笑顔を守るって」


 ハンマーをぎゅっと握り、私はセシルと対峙します。


「だから――あなたがこの子を退治するって言うのなら、私はあなたを倒します!」


「キミがボクを倒す? はっ! 前にボクに挑んで退学になったのは、どこの誰だったっけね!」


 そう。一年前は勝ち目なんてありませんでした。実力もなく、ただ冒険者に憧れるだけだった私。


 しかし、今は違います。手にした鈍器と、ガレちゃんを救いたいという胸の想い。


 その強さは誰にも負けません。


 セシルが剣士としてどれだけ天才だったとしても、負けるわけにはいかないのです!

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