第41話 黒幕はやっぱりあの男です。
ヒュドラの巨体が底に沈んで見えなくなるほどには、スレーン川は深くありません。
「あれえ? さっきの光で蒸発しちゃったトカ?」
首を傾げるローゼリア。
「そんなワケないだろう。いくらボクの奥義でも、ヒュドラクラスの魔物を消してしまえるほどの威力はないよ」
そうなのです。あれだけ大きな魔物が忽然と、その場から姿を消してしまったのです。
「ど、どういうことですか!?」
「それはボクのほうが聞きたいよ。キミの作った水槽とやら、不良品なんじゃないのかい」
「失礼な! ヒュドラの大きさで抜け出られるような隙間なんてないですよ!」
「本当に? 鎖一本一本のあいだには、かなり隙間が空いてるけど」
「そんなとこから出たっていうんですか? 人が通るならともかく、さっきのヒュドラじゃ、首の一本だって通らないですよ! 本気で言ってるなら馬鹿丸出しなんですけど!」
「はあ!?」
「はああああ!?」
私達はいつものように睨み合います。
わかっているんですかね。今、セシルが立っているのは私が用意しておいた鉄柱。その気になれば、今からでも私は彼女の足場を水の中に沈めることができるんです!
いいんですかね、やっちゃっても!?
「もー、こんなときにまでケンカしないでよ。魔物がどこに行ったのか、調べるほうが優先でしょ?」
「むっ」
「それは確かに……」
いけません。大人げなく感情に流されかけました。悔しいですが、今回はローゼリアの言うとおりです。
「ヒュドラを探すよ! 相手は手負い、そう遠くへは行ってないはずだ!」
セシルは鉄柱からひとっ飛びで、橋の付け根に着地しました。
細身剣のレベルが上がると、敏捷性を高めるスキルを獲得できます。鈍器レベルが上がっても、スキルで高くできるのは主に腕力や持久力なので、私には無理な芸当です。
う、うらやましくなんてありませんからね。
ローゼリアもまた、魔法の力でふわりと身体を浮かせると、セシルのそばに降り立ちます。
彼女達は私に見向きもせず、川に沿って上流のほうへと向かいました。
ヒュドラが川から出ていないとすれば、上流、下流のどちらかしか選択肢はありません。
跳ね橋を通り過ぎて下流へと逃げたのなら、大工達の誰かが気づいているはず。そう判断して上流を選んだのでしょう。
まっとうな考えなのではないでしょうか。しかし、私は彼女達を追う気にはなれませんでした。
そもそも、あんなデカい魔物がいきなりいなくなっている時点でおかしいのです。そのおかしな状況に、常識的な行動をあてがっても成果はないように思えたのです。
とはいえ、どうするべきでしょうか……。
「ハンナ先生!」
考えていると、若手の大工さんがこちらへ走ってやってきます。
そうでした。彼にはお昼のうちに、ひとつ頼み事をしていたのでした。
「なにかあったみたいですね」
このタイミングで私のところへ来るということは、多分そういうことなのでしょう。息を整えながら、若手さんは答えます。
「ええ。先生の予想通りでした」
「やっぱり。……で、どうしでそんなに浮かない顔をしているんです?」
この事件の真相を暴くすごい手柄を立てたのに、なぜか彼の表情は固く、まるで誰か大切な人を失いでもしたかのように、眉はこれ以上ないほど垂れ下がっています。
「いえ、それが……。多分、見てもらったほうが早いです。ついてきてください」
どうやら彼が見たのは、言葉にすることすら躊躇われるもののようです。
ならば自分の目で確かめるしかありません。私は彼のあとを追って、セシル達とは逆、下流へと走り出しました。
***
若手の大工さんは川沿いをしばらく下ると、近くに広がっている森のなかへと入っていきます。
「こんなところに、あの人がいるんですか?」
「ええ。この森のなかには小さな泉がありまして。それが地下で川と繋がっているみたいなんですよ。あ、そろそろです。こっから先は、おしゃべりなしで」
若手さんは速度を落とし、体勢を低くします。私もその動きにならって進み、先にある木の陰に隠れました。
泉のそばには、ワイズ・アルセリアが立っています。
私が若手さんに頼んでいたのは彼の尾行。
やはりどう考えても、魔物が出るときにいつもいなくなっているのはおかしいです。それに、いなかったのにまるで魔物を見たことがあるかのような物言いも、実に不自然でした。
「先生の想像通り、魔物を操っていたのはあの男でしたよ」
小さな声で、若手さんが呟きます。
驚きは全然ありません。それぐらいのクズ行為、あのハゲならやりかねないと思ったからです。
「隣国から賄賂でも受け取っていた、ってところですかね」
「へい。おそらくは」
ルドレー橋が壊れているあいだ、ティアレットは物資を主に隣国からの輸入に頼らざるを得ません。
競争相手がいなくなれば、隣国は当然ながら物価をつりあげ、大儲けすることができます。
その一部が橋の再建を監督するワイズ・アルセリアに流れていたとしたら?
彼は当然、橋が元に戻らないほうが儲かる、と考えるでしょう。
けれど、単に工事を引き延ばせば国から無能のレッテルを貼られてしまいます。
そこで考え出したのが、橋を作っては壊し、作っては壊す。つまりは自作自演です。
それもどうしようもないほど強い魔物を出現させ「さすがにしょうがないよね」とまわりに同情させ、疑われないようにする――なかなか手の込んだやり口です。
「けれど、あんなハゲがどうやって魔物を操ってるんですか? そんな魔法を修めているようにはとても思えないんですけど」
魔物を使役する魔法、というのも世の中には存在します。
鈍器と同じく忌み嫌われる、いわゆる邪道に属するような代物ですが、使用するには炎や風を操ったりするよりも遙かに高度な知識が求められると聞きます。
そんな知性、ワイズから感じ取ろうとするほうが無理です。
「しっ……、戻ってきました」
若手さんに注意され、私は口をつぐみます。泉がとぷん、と揺れたかと思うと、そこから顔を出したのはヒュドラの頭でした。
けれど、そのサイズは川で見たときとは比べものにならないほど縮んでいます。それに、頭は八つもなく、一つだけ。もはやただの大きな蛇です。
「戻ったか。ずいぶんと遅かったな」
フン、とワイズが鼻を鳴らします。
「ごめんなさいっス。お父さん」
蛇の頭は、確かにそう言いました。
お父さん? それに今の声は……。驚いているうちに、蛇の頭はゆっくりと形を変えていき――私も知る少女のそれになりました。
「お父さん、だと?」
泉から這い出てきた全裸の娘に、なんとワイズは平手打ちをします。
「人前ではともかく、他に誰もいないところでそう呼ぶのを許した覚えはないぞ!」
な、なんてことを! 自分の頭にかーっと血が上っていく音が聞こえました。
けれども、若手さんが必死になって私を押しとどめるので、ぐっと出て行くのを堪えます。
それにしても、どういうことです……?
これまで橋を壊してきた魔物――その正体は、まさかガレちゃんだったということですか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます