第3話 神様、この一瞬だけで構いません。
「この子の剣がボクにかすめる? ……お父様。万にひとつもありえません」
セシルが剣を抜くと、まわりの空気が歪んだように見えました。ただでさえ長身の彼女が、余計に大きくなったような気がします。
「ボクの動きにはあの【至剣の姫】レイニーですら追いつけない。決まり切ったことさ」
迫力に押され、プルプルと膝が震えます。本当に、生まれたての仔馬になったみたいです。
正面にいるのは、私にないものをすべて持っている子。彼女をみるたび、こんな風になりたかった、とついつい考えてしまいます。
せめて、彼女みたいな子と仲良くなれたら、この地獄みたいな学園生活も天国に変わるんだろうな……。
いつもそんな妄想をしながら遠目に見ていました。
なのに、彼女が私に引導を渡す役? そんなのってひどすぎます。
「このお!」
逃げ出したい気持ちを必死にこらえ、雄叫びとともに踏み込みました。
二年間の全てを込め、剣を突き出します。
けれどセシルはまるで無表情に、攻撃を紙一重でかわしました。
パンッ!
顔面に衝撃が走り、目から火花が飛び散りました。
セシルが剣を持っていないほうの手で私の頬をはたいたのです。
細身剣レベルが上がっても、筋力は大して上がりません。ただ、敏捷性は他の武器と比べて上昇率が段違い。
全武器のレベルがゼロの私とは、ウサギと亀くらいの速度差がありました。
「頑張れー、ドンケツ!」
誰かが入れた茶々に、どっと笑いが起きました。心からのエールではありません。彼らにとって、私はただの道化なのです。
そりゃそうです。セシルは私の攻撃を意に介していません。手にした細身剣を使ってすらいません。
いつでも倒せる、そう思って遊んでいるのです。
攻撃を繰り出すたび、彼女はカウンターで私をはたきます。立ち向かう気力を少しずつ、じわじわと削ぐように。
頬がどんどん膨れ上がっていくのがわかります。
勝てない。また涙腺が緩んできて、 視界がかすみました。
……私の夢は、ここで終わってしまうんですか?
こんなにあっさり、あっけなく……。
ぐわんぐわん揺れる脳裏に浮かんだのは、旅立っていくレイニーの後ろ姿でした。
『達者でな、ハンナ。次に会うことがあれば、そのときはわらわを母と呼んでおくれ』
寂しげにレイニーは言いました。そのときまで知りませんでした。レイニーがお母さんと呼んでもらいたがっていたなんて。
私は自分のことばかり考えていて、レイニーの気持ちになんて全然気づいていませんでした。彼女がいるのは大陸の北。邪神ドルトスが支配する【魔の大地】。
エルフの時間感覚は人間とは違います。待っていたら十年、二十年なんてあっという間。もしかしたら私が生きているうちには帰ってこないかもしれません。
もう一度会い、彼女をお母さんと呼ぶためには、私自身が冒険者となって【魔の大地】へと向かう他ないのです。
「わああああ!」
剣の神様。
あなたが本当にどこかにいるのなら、今こそ振り向いてください。
今、この瞬間だけでも力を貸してくれたのなら、恨み言はやめにしますから!
一撃で、一撃でいいんです。どれだけ不格好でもいい。
繊細な細身剣に似合わない叫びをあげ、私は身体ごとぶつかっていきました。
「……剣技【ウインドアリア】」
セシルが放ったそれは、皮肉にもレイニーの代名詞とも言える剣技でした。
憧れに憧れて、けれども決して放つことの叶わなかった技。
気づいたとき――私はすでに仰向けになっていました。
「ほら、やっぱりダメだった。ドンケツがボクに触れようなんて無理。決まり切ったことさ」
頭上でセシルの勝ち誇った声が聞こえました。息ができません。どうやら私は、セシルの剣が作り出した風に吹き飛ばされ、地面に背中を強打したみたいです。
立ち上がれない。根性がどうとかいう次元でなく、身体が言うことをききません。
「……話にならんな。ノミ中のノミが。今までこんなクズが俺の学園に在籍していたことが腹立たしい」
そう言い残し、理事長が去って行きます。
負け。惨敗。圧倒的敗北です。
「やっぱりこうなったかー」
「あっという間だったな」
「そもそも、勝負になってないし」
「セシルに剣技を使わせただけいいじゃん」
「ばーか。それはお情けだろ」
同級生達のざわつきを先生がパンパン、と手を叩きます。
「はい。授業は終わりです。空模様も悪いですし、校舎に入りなさい!」
興味を無くし、みんなが去っていく足音がします。もう私は、彼らにとって同級生ですらありません。介抱する必要などない、ということです。
しばらくすると、雨が降ってきました。心身ともに打ちのめされた私は、しばらく立ち上がることができませんでした。
「剣の神様……。どうして私のことを愛してくれないんですか……」
涙があふれて、とまりませんでした。
悲しいというより、悔しかったです。悔しくてたまりませんでした。
自分があまりに無力で、情けなくて。
涙と雨が混じり、拭いすぎた頬が痛くて仕方がなくなった私は、ようやく濡れそぼった身体を起こしました。
校舎に戻ると、扉の前に一枚の貼り紙がありました。
『本日付でハンナ・ファルセットを退学処分とする。退寮は一両日中に行うこと』
こうして私は、あっけなく夢に破れたのです。
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