第7話

 久子が会いたがっていることを赤間に伝えようと、国吉は連絡をとったが、なかなか連絡がつかなかった。

二人が再会したのは、久子が国吉と面談に行った裁判所の廊下だった。公判が終わり、FBIの担当官に付き添われて廊下に出た時、赤間が法廷で目に留まった久子に良く似た女性とすれ違ったのだ。今度ははっきりと目が合い、赤間から声を掛けた。

「久し振りだね」

 久子は立ち止まり、赤間を認めてにっこり微笑んだ。

「本当にご無沙汰ね」

 二人はそれぞれのFBIの警備員に事情を話し、外で少しだけ二人だけの時間を作ってもらうことにした。

 二人は雪が舞い始めたマンハッタンの舗道に出て、とあるカフェの扉を開いた。四人の警備員も続いて店に入り、二人を見渡せる離れた席に座りコーヒーを注文した。

「国吉はこれからどうなるの?」

 赤間が尋ねた。

「組織壊滅のための情報をFBIに渡す代わりに、これまでの自分の罪を相殺してもらう司法取引に応じたから、ある時点で自由の身になるんじゃないかしら。ただ日本で犯した罪というか、容疑の方はどうなるのか。日本の警察とICPOとの協議になるだろうし、FBIはどういう見解なのか、そのあたりはよくわからない。ひょっとして、もう時効かもね。だってもう三十年ほど経つもの。そう言えば、赤間君、随分と老けたわねえ」

 久子が繁々と見つめながら頷いていた。君も同じだ、と口に出そうになり、赤間は咄嗟のところで言葉をかみ殺した。久子は相変わらず大学当時の明るさや潔さを失ってないようだ。チャーミングな口元も変わっていない。

 三十年ほど経った今、当時恋人と思い込んでいた久子は、ここマンハッタンで俺の前に座っている。その落ち着き払った様子を眺めていると、国吉と久子を取り合ったことが脳裏をかすめた。

「久子、今ならもう聞いていいだろう? 学生時代、君は国吉を選んだ。あれでよかったのか?」

 久子は口元をすぼめ、一瞬驚いたような表情を見せたが、次の瞬間体を揺すり、大声で笑った。

「赤間君って相変わらず初(うぶ)なのね。突然何を言うのかと思ったら」

 赤間は少し顔を赤らめた。

「いや、ごめん。久子の顔を見た途端、すっかりあの頃に引き寄せられてしまったんだ。許してくれ」

「いいわよ、謝らなくても。あなたの心はあの頃とちっとも変っていないわ。うらやましい!」

「ということは、君はそんなに変ったのか?」

「ご想像にお任せするけど、わたしも本当はそんなに変っていないわ。国吉に対する気持ちはあれから比べると随分変ったけれど・・・・・・」

 久子が思わせぶりな表情を見せていた。

「それはどういう意味か聞いていいかい?」

 赤間は久子のプライバシーを覗いてみたい気がしていた。

「国吉はもうテロリストじゃない。だから、もうわたしのお金は必要ないってことなの」

 久子は平然としていた。

「お金?」

 赤間は首を傾げた。

「そう、闘争資金のことよ。アメリカと日本に別れたまま何十年と夫婦みたいに振舞ってきたけれど、国吉がわたしを必要としたのは革命遂行のための資金をわたしが持っていたからなの。愛情なんかじゃない。彼の革命ごっこを今まで支えてきたけど、もうこれでおしまいよ」

「君はそう国吉に言ったのか?」

「言わなくても彼自身充分感じてるわよ。だからわたし、国吉とは別れるつもり。これで娘と二人で静かに暮らせるわ。だって国吉というだだっ児(こ)がいなくなるんだもの」

 久子はそう言い終えると、コーヒーカップを飲み干した。

「赤間君はこれからどうするの? と言っても、情報機関のオーナーさんだったっけ?」

 久子の目が赤間を捉えていた。

「俺も思いがけず大変な目にあったし、正直疲れ果てた。これからのことを考えるには、もう少し休養が必要だ」

「いずれにしてもニューヨークにはもうしばらく?」

「ああ」

「じゃまた何処かで会うこともあるかも知れないわ。お元気でね」

 久子はテーブルにチップと二人分の代金を置き、立ち上がった。

「いや、ここは俺が・・・・・・」

「いいわよ。じゃあね」

 赤間は久子の後ろに続いた。

「あら、まだ降ってるわ。この分じゃ今夜も降り続きそうね」

 久子は雪を払いながら、カフェの前で待っているFBIの警備車両に乗り込もうとした。乗る前に久子は赤間の方を振り返った。

「ほら、一回生の夏一緒に北海道に行ったじゃない。あれはいい思い出だわ。あれから国吉をはじめ、色々な男と付き合って来たけど、何と言っても赤間君はわたしにとって最初の男性だった。あの頃の初(うぶ)さが堪らない。今もそうだってことがわかったし、本当に会えてよかったわ」

 久子はウィンクをして、そそくさと車両に乗り込んだ。

 あいつも少しは俺のことを思っていてくれたか。赤間は降りしきる雪の中を走り去っていく車両を目で追いながら、赤間の乗車を待つFBI車両に乗り込んだ。


 国吉は自らの公判でナイヤックの現金輸送車強奪事件にヒラムと共に参画していたことなど、これまで関わった工作の全容を自供した。

組織の壊滅を受けて、赤間は晴れて自由の身となり、しばらくは無闇に外出しないこと。FBIの警備要員が遠巻きに赤間の身辺を護衛することなどを条件に、セイフハウスから離れることになった。


 赤間はとりあえず住まいをマンハッタンのハドソン川沿いにあるウェスト・エンドのマンションに移した。

 ハウスを出て一週間経った頃、赤間は久しぶりにサトルと会った。ハドソン川から対岸のニュージャージーを望む丘は、吹き曝しの風が吹き荒れていた。厚手のマフラーを首に巻き、ポケットに手を突っ込みながら、二人は沈みゆく真冬の太陽に向かって歩いた。

「ぼくナオミと結婚することにしました」

 突然サトルが言った。

「結婚? そうか、それはおめでとう」

 赤間の脳裏に快活なナオミの姿が浮かんだ。

「それでこれからもニューヨークに?」

「テロが怖いのでどうしようかと思っていたのですが、ナオミはまだニューヨークでアートの勉強がしたいと言うもんで、仕方なく・・・・・・」

「俺をテロ組織の手から救ってくれた男が何言っているんだ。大丈夫だよ」

「いや、今でもあの時のことを思い出すと震えが止まらなくなるんです」

 サトルは身を切るような風に肩を振るわせた。

「結婚か。俺には出来ないことをさっさとやってのけるんだね」

 赤間は夕陽に映えるサトルの横顔を見て微笑んだ。

「赤間さんはまだニューヨークでお仕事されるんですよね?」

 サトルは赤間の横顔を見つめた。

「そうだが、この半年間余りにも目まぐるしかった。しばらくは休息しながら、ゆっくりこれからのことでも考えてみようと思っている」

 落日がその日最後の輝きを見せ始めていた。

「ひょっとしたら、太陽は落日の頃が一番明るく照り輝くのかも知れないなあ。そう思うと、齢(よわい)五十を超えたこの俺も、少しは元気が出て来るような気がするよ」

 赤間は白髪混じりの揉上げに手をやりながら、落日に染まるハドソンの川面に目をやった。


 赤間はニューヨーク・オフィスが軌道に乗った区切りとして、新しいオフィスの長を大阪本部から任命し、自らは一旦帰国することになった。JFK空港には、見送りに来たサトルとナオミの姿があった。

「赤間さん、やっぱり帰っちゃうんですね」

 サトルが残念そうに赤間を見つめた。

「君らは結婚してもこちらに残るんだろう? えーい、うらやましい!」

 赤間はおどけて見せた。

「国吉さんは無罪になったそうですね」

「ああ、謀略組織をぶっ潰したからね」

「謀略事件に巻き込まれた人間が相次いで生還したんですね。赤間さん、国吉さん、久子さん親子」

 北村君は残念だ。赤間は心の中からそう思った。

「みんな謀略の戦場から生還したのだから、謀略からの帰還というべきなのかも知れないな」

 赤間は教壇で英語の和訳を考える時のように、言葉を選んでみた。

「大学の時、国語の先生が笑いながら言っていましたよ。赤間さんのように英語を教えられる人は、まるで国語の先生みたいだって。英語を和訳するためにどんな日本語が適当なのかって、いつも考えてばかりいるからですよ」

「なるほどね。でも、こんな風にのん気に言葉を選ぶことができる自分が嬉しいよ。一歩間違えば、謀略の戦場で殺されていたかも知れないからね」

「全くです。ところで、団塊世代はこれからどんな道を歩んでいくんですか?」

 サトルが興味深そうに尋ねた。

「国吉は帰国したら塾を開きたいそうだ。若者を対象にした私塾をね」

「国吉さんが塾を? 何だか怖そうだな。いきなりぶん殴られそうで」

 サトルが微笑んだ。

「本当だね。だけど、本人はいたって真剣そうだった。世界同時革命などいう古い看板を降ろして、将来の世界のために若者世代を大いに鍛えたいそうだ」

「へえ、ボクは遠慮しておきます」

「君には命を救ってもらった。今でも感謝している」

 赤間がサトルと握手した。

「サトルが赤間さんの命を救ったって? それって一体・・・・・・」

 ナオミが首を傾げていた。

「ナオミさん。サトル君は、本当はとっても勇気がある頼もしい人物だ。君が男を見る目は正確だよ」

「赤間さん、それ一体どういう意味なんですか? 教えてください。おい、サトル。教えろよ」

 ナオミが凄んだ。

「赤間さん、やっぱり女は怖いものですねえ」

「全くだ」

 赤間とサトルは、一緒に声を上げて笑った。

 一緒に笑えたから良かったものの、サトルの「女は怖い」という言葉で、赤間はすっかり女の色香に狂い、もう少しで首根っこを掻き切られるところだったことを思い出していた。いや、本当に女は怖い。サトルとナオミに手を振りながら、赤間は搭乗口に歩を進めた。空港内には赤間の乗る飛行機の搭乗アナウンスが響き渡っていた。

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