第6話
マキロイがグリーン・アイズに対して抱いている憎悪が尋常ではないことを知らせに、赤間は警備のFBI要員と病院を訪ね、国吉に会った。
「やはりそうか。あいつが見舞いにやって来た時に感じた通りだな。
「それからグリーン・アイズの首領の正体がわかった。さっき、波佐間さんとお前のSNSに情報を送っておいたからあとで見ろ」
「おいおい、金の要る情報は要らねえぞ! 大体お前からこの俺が情報をもらうなんて、何か変だ」
国吉の困惑ぶりに赤間は腹を抱えて笑った。
「心配するな。これはお前に対する俺のボランティア活動だ」
「それなら有難く頂いとくがな」
「折角築き上げたマンハッタンの領分だ。それをみすみす新興の奴らにやってしまうのはどうかと思ってな。何とかお前の役に立ちたいと思っているんだ。そこんところをわかってほしい」
赤間はいつになく真剣な眼差しで、国吉を見つめた。
「有難う、その気持ちは遠慮なく頂いておこう。だが、俺はもうFBIに投降したも同然の身だ。もう今までのことは全て終わったんだよ」
国吉の表情に安堵が感じられた。謀略戦を潜り抜けて来たテロリストの安堵なのかも知れない。赤間はそう思った。
その時、病院の玄関の方で大きな爆発音が轟いた。病室の前が騒然となった。
「ちょっと見てくる」
赤間が病室のドアを押し開けて、走って出た。病院の前では爆発の衝撃でガラスが吹っ飛び、植え込みが炎に包まれて燃え盛っていた。煙がもうもうと立ち込める中で、担架で運ばれる血だらけの警官の姿があった。
「一体どうしたんですか?」
赤間は近くに待機している救急隊員に訊ねた。
「不審な男が玄関から中に入ろうとして、張り番の警官が職務質問しようとしたら、突然その男の体が爆発したらしい」
「体が爆発?」
マインド・コントロールされた人間だ。国吉を狙ったに違いない。シュンタローは咄嗟にそう思った。国吉は大丈夫か?
赤間は病室に走った。見ると、病室前にいた警官が倒れていた。背中にボーイ・ナイフが突き刺さり、血が噴出している。
「国吉!」
赤間が部屋に入った途端、中に居た男が赤間を振り返った。目が窪み、禿げ上がった頭に長くて細い毛がわずかに残っている。一瞬骸骨を連想させるような不気味な顔だった。
「赤間、その男に近寄るな!」
壁際で国吉が胸の包帯を押さえながら叫んだ。赤間は思いっきり部屋の外にジャンプし、床に伏せた。男はじりじりと国吉に近付いて行った。国吉は隙をとらえて、素早く男のそばをすり抜け、部屋の外に飛び出した。その瞬間、爆弾が炸裂した。骸骨男は粉々に砕け散り、病室は跡形もなく吹っ飛んでいた。国吉は床にうつ伏せになっている。
「国吉、大丈夫か!」
赤間は煙の中をハンカチで口を塞ぎながら、国吉の体を片手で思いっきり引っ張った。国吉が立ち上がり、赤間と一緒に正面玄関に向かって思い切り走った。玄関ロビーで二人はFBIの警備陣に取り囲まれ、護送車へと案内された。警備陣は辺りに向かい、拳銃を構えていた。
護送車の中で、国吉と赤間は救急隊員の応急手当を受けた。赤間は足の打撲と軽い一酸化炭素中毒症状に罹っていた。少し吐き気がしていた。国吉は腕を打撲し、飛び散ったガラス片が刺さり、数箇所から出血していた。護送車は猛スピードで現場を離れて行った。
「マインド・コントロールの改造人間だったな」
赤間が苦しそうに息をしながら体を動かした。
「動いちゃだめ!」
看護師が、赤間に毛布を掛けながら睨んだ。護送車はハウスに向かっていた。
国吉は赤間と一緒にFBIのセイフハウスの病室に収容されることになった。病院の方が治療や検査には何かと便利だが、今回のような事態に対応しきれないと判断されたからだ。体制を補うために、特別な治療が必要な場合には医師グループがその都度セイフハウスを訪れることになった。
その病室に明子が久子に連れられて足を運んだのは、ちょうど赤間が打ち合わせのためオフィスに行っていた時だった。二人はマンハッタンにある別のFBIのセイフハウスで匿われていたが、国吉が襲われたとの知らせを受けて、厳重なFBIの警備の下、国吉を訪ねて来たのである。
明子はゆっくりと父親に会うのは、これが初めての機会だった。それは国吉にとっても同じことだった。
「あんたは余程重要な組織の秘密を握っているようね。あんたの息を止めるまで組織は枕を高くして寝られないってことなんだ」
久子はさらに包帯が増えた国吉を見ながら言った。
「さあ、お父さんに声を掛けてあげて」
久子はドアのところでじっと様子を窺っている明子を国吉のベッド・サイドに誘い入れた。
明子は国吉の顔をじっと眺めながら、不安そうな表情を崩さなかった。
「お父さん・・・早く良くなって一緒に日本に帰りましょう」
国吉は驚いた。
「一緒にって・・・。お前銀行を辞めるのか?」
「当たり前よ。考えてもみて。誘拐された上に、父親が未だに組織に命を狙われる、こんな危険なところに明子がどうしていられるのよ! もっとも、当面はFBIの篭の鳥だけどね」
一時は目の前にいる実の娘・明子を見捨てて逃げたことを思い出し、国吉は明子の顔を正視できなかった。
「明子、本当に済まなかった。父さんを許して欲しい。でも無理なリクエストなのかもな」
国吉は深々と頭を下げていた。
「お前と一緒にここを離れたいのは山々だが、父さんはこちらで裁判に出廷しなくちゃならない。だから先に日本に帰って、父さんを待っていてくれ。頼む」
裁判と聞いて、明子の表情が強張った。
「お父さん、殺人の罪で死刑になるんじゃ・・・・・・」
国吉は首を横に振った。
「父さんはこちらで犯した罪をなしにしてもらうように、お前を拉致したような悪人の組織の情報を全てFBIに渡すことになっている。だから大丈夫だよ」
明子の表情に安堵が窺えた。
「ところで、赤間君は同宿じゃないの?」
気になると見えて、久子が尋ねた。
「そうだが、あいつにもオフィスがこちらにある。今そっちに出掛けている。久しぶりに会ってみたいか?」
久子は軽く頷いた。
「よし、帰ったらあいつに伝えておこう。お前の連絡先をあいつに教えて連絡してもら
うことにする」
久子は明子に目を移し、そっと肩を抱いた。
テロ組織壊滅に不可欠な重要な証人が入院する病院の警備体制が槍玉にあげられた。FBIは張り番に当たっていたニューヨーク市警の責任を追及した。病院側は破壊された部屋と医療器具などの損害賠償請求を捜査機関に対し行うと発表した。マスコミは事件を大きく報じ、証人に対する当局の警備の甘さを追及していた。
三日後、フェッドの担当官が事件について国吉と赤間に説明する機会が持たれた。今回の警備の不手際は全て市警側の責任だということを強調した上で、担当官は話した。
「二人のマインド・コントロールされた改造人間のうち一人が、まず正面玄関の両側で張り番をしていた警官に接近し、自爆テロを行いました。傍らに身を隠していたもう一人が、その混乱に紛れて中央突破し、爆発の混乱に気を取られていた病室前の警官を刺し、病室に侵入したものです。侵入した男のマインド・コントロールも偶々完全に機能していた訳ではなかったようで、本来の人間の良心が微妙に働いたため、爆弾を炸裂させるタイミングがずれ、二人とも命拾いされたと思われます。ただ市警の要員が二人亡くなり、一人は重傷を負っています。我が方は幸い無事でした」
赤間は自分らを守っていた警官が亡くなったことで心の痛みを感じていた。彼らにも家庭があるだろうに。
「組織の根絶は可能なんでしょうか?」
赤間が担当官の顔色を窺った。
「親組織の幹部は全て逮捕されています。残りは若干のハネ上がりの連中と改造人間だけです。改造人間を動かしている人物さえ捕らえれば、一件落着なんですがね。果たしてどれ位かかるか・・・・・・」
担当官は説明を終え、出て行った。
「いつまでこんな状態が続くんだろう」
赤間がイライラした表情を見せた。
「お前がリサに目をつけられたのも、スーパー・レーザー兵器の生産可能な半導体のデータをいつまでも持っているからだ。それを当局に渡したことがわかれば、組織もお前から手を引くだろう」
国吉がヒントを与えるように言った。
「別の組織に狙われることは?」
「情報はどこで洩れているかわからない。ものがものだけに、一旦目をつけられたら、同じ事になる。そのためにもそうした方がよい」
「たとえデータ・フロッピィを当局に渡したとしても、その証明はどうすりゃいいんだ」
「マスコミを利用して記事を書かせるのさ」
「記事を? 一体どんな」
「お前が当局の手に全てのデータを手渡したことを公表すればよい。データがないお前なんて組織からすれば全く意味がないからな。ただ、スーパー・レーザー兵器の話になってしまうと、お前の立場が悪くなる恐れがある。前に勤めていた商社から訴えられる恐れも出て来る。違法な開発を進めていたと世間に誤解されれば、商社の社長ら幹部の首が飛ぶ。だからあくまで最新コンピュータのデータとして、それを当局に返上したという形にするんだ」
「なるほど。担当官に相談してみるよ」
「それがいい。抜け穴にも詳しいからな。フェッドの連中は」
赤間は早速担当官に会い、事の顛末を話して協力を求めた。
「アカマさんが今後テロ組織に狙われないような形で新聞やテレビに報道してもらいましょう。人の命を救うためだ。マスコミにも協力する義務はあると思いますよ。勿論そのフロッピィはFBIが証拠物件として預かりますが、それでよろしいですね?」
「結構です」
「そのフロッピィは今何処にありますか?」
「わたしのバッグに入っています」
赤間は担当官と部屋に戻り、バッグの底にあるジッパー付きの隠しポケットからフロッピィを取り出し、担当官に手渡した。
「念のため専門家に内容を鑑定してもらった上で、マスコミ対策を考えましょう。それまで時間を下さい」
「どうぞよろしく」
赤間はやっと肩の荷が下りそうな気がした。
マスコミの記事になれば、商社には俺がデータのコピーを持ち出したことがばれてしまうが、元々俺はそれで一山当ててやろうと思ってした訳じゃない。俺が命を賭けて開発に取り組んで来たことの俺自身に対する証であり、いわば記念の品だ。しかも既に社は辞めている。たとえ社から職業上知り得た秘密を持ち出したといったモラルの面を追及されても、組織からそのために命を狙われているとなれば、捜査当局の意向に従ってデータをその証拠物件として提出し、結果的に世間にその事実が知られても、それ以上文句を言われる筋合いはなかろう。
赤間はFBIの対応を待った。
四日後、担当官が赤間の部屋を訪れた。
「会見内容の骨格が決まりました。まずアカマさんの顔写真や名前は一切出しません。出した方が効果はありますが、組織によってはマスコミを利用した我々FBIのディスインフォメーション(敵を欺くニセ情報)と冷ややかに見る場合もあり、逆に組織に狙われる可能性を植え付けるとまずいですから、正体は明かさない方がいいという判断をしました。一方でアカマさんのケースはスパイ組織の業界で結構知れ渡っているという情報がもたらされていますので、たとえ名前を出さなくても実際には絶大な効果があるはずだと我々は踏んでいます。さてストーリーですが、最新コンピュータの開発データを奪おうとする組織に命を狙われたため、FBIの保護下に入った日本人が組織犯罪解明に協力しようと、開発データをそっくりFBIに提供したという形にします。これで如何ですか」
まるでフェッドの大PRだと赤間は感じたが、特に異論はなかった。これで組織のターゲットになる恐れがなくなれば、目的が達成されたことになる。
赤間は担当官と固い握手を交わした。
会見はその翌日行われ、新聞各紙やネット・ワークテレビが一斉にニュースを伝えた。商社にも早速そのニュースが伝わった。プロジェクト関係者にはその日本人が赤間であり、社の機密事項のデータを退職後も個人的に持っていたことがわかったが、赤間が既に退職していること。また当局から違法性を追及される内容の報道ではなく、その事実が明らかになっても社に実害が及ぶ恐れがないこと。更には今回の報道が人道上個人の生命に危険が及ぶことに対する緊急避難的な措置と認めざるを得ないなどの理由で、改めて社として赤間の責任を追及することもないとの判断から、社内的に決着をみた。
そのニュースが大きく報道されてから三ヶ月が経っていた。国吉の尋問が進み、次第にテロ組織の全貌が明らかになっていった。組織のアジトが次々にFBIの手入れを受け、組織はほぼ壊滅状態になった。一方で起訴された親組織幹部の裁判が行われ、これまでのテロ工作の実態解明が進んだ。国吉はFBIの証人保護プログラムに入り、テロ工作について証言を続けた。赤間もFBI側の証人として厳重な警戒のもとで国吉に対する証言を行い、国吉の審理も進んで行った。
組織の工作の中でマスコミの耳目を集めたのは、拉致した人間をマインド・コントロールし、自由自在に操る「人間改造プログラム」だった。拉致された人間は、通称プリズンと呼ばれる組織の牢獄に繋がれ、頭の中に特殊なICチップを埋め込まれてマインド・コントロールで操れるように「改造」され、自爆テロなど危険な工作の要員として訓練されていた。
逮捕された組織のプリズン担当幹部の裁判での証言から、FBIはプリズンを急襲し、救出された改造人間はすべて特殊治療のための病院に収容され、ICチップの除去手術を受けて人間性の回復のためのリハビリを受けた。泳がされていた自爆テロ用の改造人間の特定も進み、全員が同じく病棟に収容された。
プリズン解明の過程で、北村光一の死の真相が明らかになった。当局が押収した改造人間のリストの中に北村の名前があった。幹部の証言によると、北村は組織を裏切った国吉の居所を突き止めるために、国吉がスナック舞で忘れた電子手帳を受け取って舞から出てきたところを、赤間をターゲットにして恋人を偽装し近づいていた組織の女番長・リサの工作グループに拉致され、プリズンへと運ばれた。リサは、赤間の口から出た日本人会のベテラン事務員・北村が国吉の居場所を知っている可能性があると睨み、その時点から北村をマークしていたという。
北村はプリズンで日々拷問を受けたが、国吉の居場所を決して吐こうとはしなかった。いや、北村は実際知らなかったのである。激しい拷問により、北村はしばらく生死をさ迷う状態に陥った。ようやく意識を回復した頃、リサの進言を受けて幹部は北村の脳にICチップを埋め込むように指示し、北村は改造された。
ところが、何らかの原因で機器の誤作動が続き、北村はマインド・コントロールによる命令を完全には実行しなかったため、「不良品」として殺害された。リサは国吉への死の宣告の意味を込めて、北村の身元がすぐわかるように日本人会のIDカードをわざと首に巻き付けて船上で殺害し、海に流したという。
国吉の公判での爆弾証言により、テロ組織の犯罪が明るみに出た頃に、グリーン・アイズではいつ当局の捜査が入るのかを危惧しながらも、行方不明になった赤石の捜索に時間を費やしていた。当の赤石は本人が気付かないうちに組織の秘密を赤間機関にばらしてしまったことを知らされ、グリーン・アイズに戻れば、絶対に消されると思い、行方をくらませていた。
深緑は赤石の後釜に、親衛隊のサブリーダーを任命し、「赤石を地獄の果てまで追え!」という枝葉末節の厳命を下した。
また赤石のガードに失敗したボディガードらの責任は問わず、シチリアに引き揚げさせた。いくら腕が良くても、いざという時に全く役立たないボディガードは「死んだ兵隊」と同じだと憤慨しながら、親組織の崩壊を目のあたりにした深緑はグリーン・アイズこそ今や「死んだ兵隊」に成り下がったと悟った。これまでだ。その夜、高飛びをしようと愛人とJFKに到着したところを深緑はFBIに逮捕された。
テレビニュースで深緑が逮捕されたことを知り、ほっと胸を撫で下ろしたのが赤石だった。か、と言って、姿を見せれば今度は捜査当局に逮捕されてしまう。
関係先に連絡を入れて、ボディガードを頼んだが、尻に火が点いた「親分」・赤石には誰も近づこうとはしない。人と言うのはやはり自分が一番可愛いのだ。
ある夜、隠れ家にもしていたバーで赤石は酒を飲んでいた。酒を飲みながら、いつでもぶっ放せるように抜身の拳銃を握っていた。
「もう一杯ハイボールをくれ」
バーテンに声を掛けた時、バーの呼び鈴が鳴った。バーテンが赤石に目配せし、赤石が覗き窓から誰が来たのかを確かめようと窓を覗いた瞬間、拳銃が赤石の目を撃ち抜いた。赤石は床に倒れ込んで、動かなくなった。
呼び鈴が何度も鳴り響いた。バーテンは裏口から逃げ出そうとしたところを、頭を撃ち抜かれ、即死した。
表の木製のドアが斧のようなもので叩き割られ、拳銃を握った男らがどっと店内に入って来た。赤石の死を確かめたあとで、マキロイは酒の並んだ棚からアイリッシュ・ウィスキーだけを取り出し、手下のマッカートニーに命じて棚にあった全ての酒をマシンガンで破壊させた。
「よし、これでグリーン・アイズも消えてなくなった。さあ、野郎ども! アイリッシュ・ウィスキーで乾杯しよう!」
乾杯の途中で、抜身の銃を構えた警察官が店を取り囲んでいた。
「マキロイ、神妙にお縄を頂戴しろ!」
マキロイを先頭にアイリッシュ・マフィアの部下達も全員手錠を掛けられ、連行されて行った。
赤石の死体検案書には、右腕の皮膚の浅いところに、超小型GPS発信機が埋め込まれていたと報告されていた。赤石に催眠を掛けた際、赤間機関の黒部道夫が赤間の指示で埋め込んだもので、この時点から赤間は赤石の居場所を捉えていた。
赤間は、赤石がマキロイに目を撃ち抜かれたバーに出掛けることを前もって知り、警官隊の派遣を要請し、マキロイが赤石を狙う前に両者を逮捕させる段取りであったが、マキロイが店内に入る前に、覗き窓から赤石を射殺したのは予想外で、画竜点睛を欠く結果に終わったのである。
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