第5話

 マンハッタンの中心街でパトカーのサイレンが響き渡った。パトカーのサイレンなど日頃珍しくもないマンハッタンであるが、この日のサイレンには流石のニューヨーカーも振り向いてパトカーの行方を目で追った。それほどのパトカーや警察車両が猛スピードでタイムズ・スクエアーに向かっている。

 つい先ほどタイムズ・スクエアーの一角にある駐車場から一台のマイクロバスが猛スピードで飛び出して走り去っていた。駐車場にはトランクルームのドアが開いた現金輸送車がエンジンを付けたまま放置され、周りにガードマンが二人、口から血を噴いて倒れていた。腹や胸に数発弾を食らっている。ガードマンのものと見られる拳銃が死体の横に転がっていた。

その年は一九八一年十月二十一日、ニューヨーク州ナイヤックで発生した黒人過激派グ

ループによる現金輸送車襲撃事件から二十周年で、その事件には容疑者、そしてその後犯人と断定された国吉の盟友モハメッド・イスラーム・ヒラムを追悼する意味合いが込められているのではないかとテレビの犯罪解説者がコメントしていた。

赤間は自らの情報機関を駆使して、今回の事件の分析を終えており、反抗グループはマンハッタンを牛耳ろうとする反社会組織・グリーン・アイズに属するヒラムの盟友だった連中である。滅多に表に出ない彼らも、その幹部が古いヒラムの盟友ならば、ヒラムが初めてその名を知らしめたナイヤックの現金強奪と殺人の周年に表舞台で事件を起こしたのもそれなりに頷ける。

 連中はM資金確保のためにそのような古典的な強奪事件のみならず、仮想通貨やインサイダー取引、マネー・ロンダリングなどといった現代的手法も駆使しながら膨大な資金を集め、マンハッタンの裏社会を支配しようとしているのだ。

 赤間機関の追尾車両はグリーン・アイズが犯行に使ったマイクロバスを先回りして、リトル・イタリーにほど近いグリーン・アイズ本部に入るのを確認し、赤間に報告を入れた。

 赤間は現在の状況を分析し、グリーン・アイズが狙っている国吉の今現在の領分だけは守ってやろうと、日本から赤間機関の精鋭部隊をニューヨークに応援部隊として送り込んでいた。何も手を出さずに済めば、それに越したことはない。だが、生き馬の目を抜く世界一の大都会ニューヨークである。念には念を入れたい。

 大学紛争時代は公私ともに敵対していた赤間と国吉ではあるが、今回盟友の死で長い革命運動に終止符を打ち、本来の敵であるFBIに身を預ける決意までして娘を助け出したことで、赤間も彼に対する心の軌道修正が必要だと感じ取ったのだった。それに久子のこともある。

 赤間は久しく会っていない久子に一度会ってみたい気がしていた。


 ヒラムの死をきっかけに、革命継続の意志を失った国吉を昔馴染みというアナログ風感覚で寄り添ってやりたいという革命運動当時の同志が何人かいた。

 英国政府の弾圧と闘ったIRA(アイルランド共和国軍)出身のマイケル・マキロイもその一人である。マキロイはアイルランドの首都・ダブリンにあるカトリックの精神的支柱であるセント・パトリック大聖堂に礼拝中に国吉からの電話を受け取った。

 国吉のいつにない絶望感溢れた声の調子に驚いたマキロイは国吉を励ました。

「おい、世界の情勢がいくら変わろうとも、亡くなった同志の遺志を継いで、変節せずに世界同時革命という崇高な目的を遂げるまで共に前進しようと誓ったのは一体誰だったのかな」

 そう言いながらも、マキロイは国吉の心を元に戻すことは出来ないと悟っていた。

「とにかく一度俺もお前の見舞いがてらニューヨークに出掛けるから、その時にまた話し合おう。それじゃ、お大事にな」

 マキロイは大聖堂の中をぐるりと見渡した。祖国アイルランドの悲惨な歴史がマキロイの脳裏を掠めた。主食であったジャガイモが大飢饉に遭い、暮らしが成り立たなくなった人々は祖国を捨てて、自由のメッカ・ニューヨークを目指した。そしてマンハッタンの地に永住する。

 五番街には祖国と見まがうようなセント・パトリック大聖堂が建てられ、毎年三月十七日、アイルランドにキリスト教を広めた守護神セント・パトリックの命日に五番街で、本国と同時にアイリッシュ系の大パレードが行われる。

ニューヨークの治安を守るNYPD(ニューヨーク市警)にはアイルランド出身の警官が多い。それにマンハッタンに巣くったアイリッシュ・マフィア出身の殺し屋も、これまでニューヨークの裏社会に根を張って来た国吉軍団にも何人かいる。

マキロイは国吉の電話が終わると直ぐにそのうちの一人に電話を入れた。

「マッカートニーか。ご無沙汰だな。元気か。それでな、二三日中にそちらに行く。国吉の見舞いが目的だが、例のグリーン・アイズとかいう新興の組織が派手に動き回っているだろう。奴らの動きを注意深く観察しておいてくれ。一発お見舞いしておかないと、直ぐつけあがる連中だからな」

「じゃ、ぶっ放すんで?」

 ダミ声がマキロイの耳に響いた。

「場合によってはな」

「こちらはあんたの指示で直ぐ動ける。何かあれば、直ぐに声を掛けてくれ」

「俺が何よりあの組織が気に食わないのは、てめえの組織の名前にグリーンというわれわれの祖国アイルランドのシンボルカラーをつけてやがることだ。それだけでも万死に値する」

 またマキロイお得意のグリーン・カラーの話が始まった、とマッカートニーはうんざりした。

「悪いな。ちょっと用事があるので切るぞ。楽しみに待ってるぜ」

「OK。じゃあな」

マキロイは電話を早々に切られてしまい、胸ポケットから煙草を取り出してブランド

もののライターで火を付けた。紫煙が辺りの空気に染み込んだ。


 久子はまだしばらく自宅での静養が必要な明子をセントラル・パーク・ウェストの家で休ませていた。

「ほら、あの時ママと一緒に倉庫に来た男の人は一体誰なの?」

 久子は、いずれ来るであろう明子の疑問に答える日が来たことを悟った。

「明子、驚かないで聞いてね。あの人があなたの本当の父親なの」

 明子は驚きを隠さなかった。

「わたしのお父さんって? だってニューヨークで亡くなったって・・・・・・」

「ごめんなさい。ママ、嘘をついていたの。これから事情を話すわ」

 久子は明子をソファーに座らせて、これまでの顛末を事細かく明子に聞かせた。明子は目を丸くして耳を傾けていた。

「じゃ、ママはわたしの本当のママじゃないっていう訳?」

 久子は下を向き、黙って頷いた。

「そうだったの。本当に人生ってわからないものなのね。でもママ、よくわたしを育ててくれたわね。光代さんって言ったっけ、わたしを産んだ人は」

 久子は明子の眼を見つめながら頷いた。

「光代さんのお墓は何処にあるの?」

「京都の東山というところよ」

 明子は考えをまとめようと必死に自分と戦っているように見えた。

「わたし日本に帰ったら、光代さんのお墓に参るわ。その時はママも一緒に来てね」

明子は溢れ出てくる涙を必死に堪えながら、明るく言った。

「明子!」

 久子は明子を抱きしめて、わっと泣いた。

「ママを許してくれるの?」

「許すも許さないも、ママはわたしのママよ。わたしを助けに来てくれたじゃない。わたしはこうやって生きている。ママのお陰よ。ありがとう」

 久子は明子の膝に泣き崩れていた。

「パパは危険な仕事をしていたのね。テロ組織に入っているなんて思いもしなかったわ」

「それが彼の昔からの考え方だったの。生き方だったと言ってもいい。ママは彼と死別するかも知れないといつも思いながら暮して来たわ。ただ運が良かっただけなのかも知れない。身の危険をいつも感じて来たし。でも、そのうちにあの人も革命家だけでは食べられなくなった。周りの世界が革命を必要とはしなくなっていったから。それで、何をしたかというと、やはり非合法の世界で生きることしか出来なかったのよ」

「でも、それでもパパを愛して来たのね」

「まあ、そういうことかな」

 娘の前ではやはり本当のことは話せなかった。国吉との愛が冷えてしまっていることは。

「これからパパはどうなるの?」

「難しいことはママにはわからない。でもこれでFBIが彼のことを守ってくれるでしょう。彼が乗り越えなくてはならないことは山ほどあるわ。FBIでの聴取、裁判所での組織についての証言、事件の容疑者としての裁判所への出廷、その他ね」

「パパは人を殺したことがあるの?」

 明子がふっと尋ねた。

「それは彼しか知らないわ。何故?」

「人を殺したら死刑になるんじゃないかと思って」

 明子が不安そうな眼差しで言った。久子は口ごもり、明子から目をそらせた。


二日後、マキロイがボディガードを連れてJFKに到着した。到着ロビーから出て来て、アイリッシュ・マフィアらに出迎えられ、駐車場に向かった。

パン! パン!

突然、背後で銃声がした。マキロイはガードされ、取り巻きがマシンガンを連射した。マキロイは案内され、脱兎のごとく、車に乗り込んだ。分乗した二台の車は猛スピードで駐車場を出て行った。

あとには暗殺グループの二人が胸や腹に蜂の巣穴のように弾を食らって、駐車場に転がっていた。

空港警察が連絡を受け、事態に気付いて現場にやって来た頃には、マキロイの乗った車はJFKのあるクイーンズからトンネルを抜けてマンハッタンに入っていた。

マキロイは車中からマッカートニーに電話を入れて、グリーン・アイズの本部に復讐の弾丸を撃ち込むように命じた。

その後間もなく、マンハッタン南部のチャイナ・タウンの隣にあるリトル・イタリーの本部前に黒塗りの車が数台乗り付け、正面玄関に向けてマシンガンがぶっ放された。

 本部の正面玄関は窓ガラスが粉々に砕け散った。続いて、手投げ弾が数本放り込まれ、建物が破壊された。応戦してきたイタリアン・マフィアにもマシンガンが撃ち込まれ、数人が絶命した。

ニューヨーク市警は組織同士の抗争事件とみて捜査本部を立ち上げ、市警のコミッショナー(本部長)が緊急記者会見し、市民の安全を守るため、パトロールを強化し、街中に警官を増員して抗争の抑止を目指すと力説した。


 少しずつ己の体が回復に向かうにつれて、国吉は何者かに殺された北村光一と出会った頃のことが走馬灯のように浮かんでは消えた。

 光一が十七歳の春、日航Y号が富士山上空で赤軍派の学生らに乗っ取られる事件が発生した。Y号は福岡の空港で燃料を補給した後、赤軍派が要求する北朝鮮の首都ピョンヤンに向け離陸した。ピョンヤンと思い込ませて、密かにソウルのキンポ空港に着陸したものの、赤軍派はそれを見破り、結局ピョンヤンに亡命した。

時あたかも大阪で万国博が開幕し、高度経済成長が高らかに宣言された頃であったが、第二次安保闘争の政治的な季節でもあった。

 A大キャンパスでは、国吉をリーダーにした全学闘争委員会が教養部と学部建物を封鎖し、大学当局の要請で封鎖を解こうとした機動隊と衝突を繰り返していた。

 組織オルグの過程で、高校生に対する闘争参加の呼びかけが行われ、光一もA大キャンパスに赴き、国吉と対面した。光一はあどけないニキビ面を国吉に向けていた。

「この前赤軍派の連中が飛行機を乗っ取って北朝鮮に行ったのを知っているだろう? 北村君はどう思った? 赤軍の行動を」

 ヘルメットをかぶり、手拭で顔を被った国吉が尋ねた。

「この前国吉さんの書かれたパンフを読ませてもらいましたけど、赤軍派は世界同時革命を起こすための基地を作るため、革命の首都ピョンヤンに部隊を送ったらしいですね。この世界から帝国主義の反動勢力を一掃するための勇気ある行動だと思います」

「よし! その調子だ。君らはまだ高校生だが、これからの日本を我々と共に変革していく重要な役割を担っている。特に世界同時革命の遂行では、世界各国の同志と強い連帯をしなくてはならない。俺は間もなくアメリカの革命勢力と連帯する行動を起こすつもりだ。北村君、俺と一緒にアメリカに行こうぜ」

「はい!」

光一の目は輝いていた。その時すでに国吉逮捕の日が迫っていた。Y号乗っ取り事件から二年経っていた。逮捕が近いことを察知した国吉は光一を抱きこみ、アメリカ行きを急いだ。

「久子、もうしばらくは会えないと思うが、後のことはよろしく頼む。ドサクサに紛れて頼むが、闘争資金だけは必ず送ってくれ。落ち着いたら連絡するからよろしくな」

 国吉は空港で久子と別れた。別れ際に国吉は光一を久子に紹介した。

「北村にはニューヨークで日本人会に潜入してもらおうと思っている。俺と日本との連絡係だ。また追って連絡を入れるから。お前と俺との関係は警察には知られていないとは思うが、俺の行方についてしつこく訊かれる恐れもある。気をつけてくれよ」

 国吉は久子の手を握り、久子も握り返した。

「英雄、元気で。連絡待ってるわ。世界同時革命万歳!」

 久子は微笑みながら、国吉と光一を搭乗口まで見送った。

国吉はその時光一の表情に言いようのない不安が広がっているのを見た。主義主張は頭で理解させ、家は帝国主義の元凶だと言って親とも別れさせたが、いざ生まれ育った国を離れ、異国に旅立つとなると、おのずから湧き出て来る不安が顔を覗かせたのだろう。ひょっとすると父親や母親の顔が浮かんだのかも知れない。

「北村、親と別れるのが辛いのか?」

 国吉が光一を睨んだ。

「いや、そんなことはありません。帝国主義の元凶はばっさりと切り落として来ましたから」

 光一は顔を引き締めた。

「そうか。それならいいが・・・・・・」

「国吉さん、日本人会って何ですか?」

 機内で光一が尋ねた。

「ニューヨークに住んでいる日本人のための会だ。君には、出来ればそこの職員にでもなってもらおうと思っている。革命のための連絡係だよ」

 窓から通して見えるガラス越しの通路に警官の姿が映った。国吉は思わず体を座席に沈めた。


あれから三十年近く経った。光一はもういない。ニューヨークに来てから、光一はうまく日本人会に入り込み、俺の「便利屋」としてよく尽くしてくれていた。

しかし、殺害される二週間ほど前、光一はえらく深刻な声で俺の掛けた電話に出た。

「どうしたんだ? 何かあったのか?」

 俺はただならぬ気配を感じた。

「国吉さん、ちょっとお会いして話したいことがあります。会ってもらえませんか?」

光一の声は電話の向うで微かに震えているようだった。光一がそんな態度を見せたのは、アメリカに来て初めてだった。

俺は時間を作り、その昔アイリッシュ・マフィアの根城だったヘルズ・キッチンと呼ばれるエリアにあるベトナム料理屋で光一と会った。

光一は麺を注文してから黙り込み、麺が運ばれて来てからも食べようとはせず、ようやく重い口を開いた。

「国吉さん、わたしはこの三十年近くあなたのためというか、世界同時革命のためにと思い、頑張って来たつもりです。でも、最近わたしは日本に残して来たおふくろと親父のことが気になるようになりました。高校の頃から止まったままの親の顔が時々夢に現れます。一人っ子のわたしに深い愛情を注いでくれたおふくろと親父です。このまま年月を重ねていけば、お互いのその後を知らないまま、死別してしまいます。わたし自身ももうすぐ五十になります・・・・・・」

 俺は光一が何を言おうとしているのかが推測出来た。

「ちょっと待て! お前は敵前逃亡するつもりか? 俺たちの同時革命をめざす固い誓いは何処に行ったんだ! 勝手なことはさせんぞ!」

 初めて弱気を見せた光一に、俺はキレた。湯気が上っている麺料理に箸をつけないまま、俺は椅子から立ち上がった。店員が何事かと奥から様子を窺っていた。

「次に俺の前に顔を見せる時までに、徹底的に自己批判しておけ。そんな日和見主義でどうするんだ! 反動勢力に手を貸してどうするんだ!」

 俺は下を向いたまま黙り込んだ光一をその場に残し、立ち去った。その瞬間、日本を出発する時の光一の不安そうな顔が蘇った。


自己批判、日和見主義、反動勢力。今思えば、何と虚(むな)しい言葉なんだろう。よくわからない抽象的な言葉をさもわかったように振り回していた自分が恥ずかしい。

俺自身、アメリカで世界状況が自分の目的の方向とは逆回りしているのを感じなかったことはない。革命の文字が段々と薄れてゆく。目的と信じ込んで来たものが色褪せて、一体何を信じて行けばいいのかがわからなくなってきている。俺の中にも、望郷の念が顔を出す時がままあった。今でもある。か、と言ってこのまま日本に帰ることは、俺を信じてついてきてくれた光一にも申し開きが出来ない。しかし、こちらで暮らすためには、いつまでも久子の懐に頼ってばかりはいられなくなってきた。あいつも、俺の夢が潰えて来ていることは感じているだろう。その目的のため頼って来た久子から、今後も今までのように闘争資金を用立ててもらうことはもう出来ない。闘争の対象がなくなってしまったのだから。勿論、俺のように追われる身では日の当たる場所の仕事は出来ない。だから、反社会的な世界で金を作るしかない。そう思い、思想的なことはかなぐり捨てて、日々の暮しを闇商売で維持することにして来た。これぞ、まさに変節である。日和見主義だ。

それに対して光一は日本を出てから自分の気持ちを押さえ込み、大義のためと思い切り、俺の後をついて行こうと背伸びして来たんだろう。

この三十年間、家庭を持つわけでもなく、恋人をつくるわけでもなく、ただひたすら俺と約束した空疎な大義のために自分を押し殺して来た。だが、もうこれ以上耐えられなくなったのに違いない。

かく言う俺は組織とトラブルを起こし、追われる身になった。ヒラムが殺られ、俺の中で世界同時革命というスローガンがぶっ壊れてしまった。糸の切れた凧のように俺は風の為すがままになった。そんな情けない姿を曝(さら)しているのに、俺は光一がそうなるのを許さなかった。なんと卑怯なことをしてしまったのか。俺こそ自己批判すべきだった。あの時、あいつの立場で物事を考える余裕さえあれば、こんなことにはならなかったのではなかろうか。

 悔やんでも悔やみきれない気持ちに俺は何度押し潰されそうになったことか。

 三十年もわからなかった一人息子の居場所がやっとわかった時には、あのお父さんと母親に残されたものと言えば、息子の死に顔だけだった。それも拷問でパンパンに腫れ上がり、海水でふやけた醜い顔・・・・・・。

 国吉は自分のしでかした罪の深さを呪った。

 

ある日国吉は光太郎に病院まで来てもらい、謝罪した。

「お父さん、息子さんが亡くなったことに改めてお悔やみ申し上げます。彼が亡くなってしまったのも、そもそもわたしが彼を強引にアメリカに連れて来たことに遠因があります。お父さんに、人間の心を忘れた者に本当の革命は起こせないと言われた時、わたしの心は大きく揺らぎました。お父さんに心の中を見透かされてしまったような気がし、動転したのです。わたしはその直前、アメリカに来た当時からの同志であった人物をテロで亡くしました。ヒラムと言いますが、彼は同志に殺されたのです。その時、革命という御旗を振りながら、自分なりに頑張って来た意志が脆くも音を立てて崩れ去りました。同じ頃、実の娘が誘拐され、内縁の妻と共に身代金を持って出掛けることになりました。わたしが日本を発つ前に生まれた娘ですので、それまで一度も会ったことのない娘でした。そのせいでしょうか、最初娘のことで組織に脅された時には、実の娘を放り出して逃げたのです。わたしは本当に情けない父親でした。そんな思いがあったせいか、身代金を持っていく時には、殺されても娘を救いたいと思い、妻と一緒に出掛けたのです。結局娘は無事に救出され、わたしはようやく娘に顔向けが出来るようになった気がします。娘と言う実感が湧いてきたのです。息子さんを亡くされたお父さんの前で、無事だった娘の話をするのは大変心苦しい限りですが、わたしの心の変遷を知っていただきたいと思い、話させていただきました。そういう意味で、お父さんがおっしゃった言葉、もう一度繰り返させていただきますが、『人間の心を忘れた者に革命なんか起こせない』という言葉が身に沁みます。わたしはずっとエセ革命家だったんです」

 光太郎は国吉の言葉をひとつずつ聞き漏らさないように耳を傾け、国吉の目を見つめていた。国吉が話し終えると、光太郎は目をつぶり、しばらく何かを考えていたが、目を開けて国吉に言った。

「ひとり息子の光一は、妻の加寿子とわたしの心の中にこれからも生き続けます。国吉さんも早く回復され、ご家族と共に幸せに御暮らし下さい」

「お父さん、本当にすみませんでした!」

 国吉はベッドから降り、床の上で光太郎に向かい、土下座した。国吉の肩がぶるぶると震えていた。

「どうぞ面を上げてください。」

 光太郎がゆっくり国吉の肩に触れた。国吉は光太郎に抱きつき、泣きじゃくった。


 赤間は再度国吉に会いたいとFBIに申し出た。北村光一の件を国吉本人の口から訊いてみたいと思ったからだ。この間会った時、光一の名前を出しただけで急に怒り出した国吉の態度が気になっていたのだ。国吉本人に対してはベッド・サイドでの臨床尋問が再開されていたので、それが終わり次第会う許可が出た。

 その日が来て、赤間はFBIの警備員に守られながら、病院に国吉を訪ねた。相変わらず、病院の警備は厳重だった。

「どうだ、国吉。傷の具合は?」

「うん。少しずつましになっている感じだ」

 国吉は真新しい包帯の上から胸をさすりながら言った。

「今日来たのは他でもない、北村のことだ」

 国吉は露骨に嫌な顔を見せた。

「この間、舞に行った時、マスターからお前の忘れ物の話が出た」

 国吉の顔色が変わった。

「その顔では、北村の失踪の経緯を知っているな」

 赤間は国吉の目を見つめた。バツの悪そうな表情だったが、これ以上隠しても仕方がないと諦めたのか、ようやく重い口を開いた。

「九月八日の夜、俺は娘のことをお前に頼み、ほっとしていたせいか急に外で酒が飲みたくなった。それも日系のスナックがその時の気分に合いそうな感じがしていた。偶々その舞とかいうスナックの看板が車の中から目に留まった。俺はボディガードに外で見張りをさせておいて、ひとり舞に入って行った。学生風の若い日本人が二人カウンターに座っていた。俺は濃いウィスキーの杯を重ねながら、マスターの男を聞き役に、過激派のリーダーとして帝国主義の手先と化した大学の封鎖に関わったことや、機動隊粉砕の昔話をしていた。酔いが回るほどにその話は熱気を帯びて行ったような気がする。その時、この前殺されたヒラムから電話が入った。ヒラムと翌日緊急に会う必要が出来たので、予定を電子手帳に暗号で書き込もうと、要点をメモしていた。電話が終わり、携帯を胸ポケットに仕舞い込もうとした時、あの留学生のバカどもの会話が耳に飛び込んで来た」


(お前、団塊の世代って知っているか?)

(ああ、出来もしない革命ごっこをしながら、ガキのように大学を封鎖して、きゃあきゃあ叫び回っていた世代のことだろう? バカじゃないの、あいつら)

(挙句の果てには殺し合いをして国家権力に付け入られて降参しやがった)

(そんなことをしでかしながら、変なプライドだけはやたらに高い。マスコミに団塊などと言われて、喜んでいやがる。日本社会を堕落させたのはあいつらだ)


「それは俺に対する当て擦りのように聞こえた。あのバカどもは、きっと俺の話に聞き耳を立てていたに違いない。俺は無性に腹が立った。殲滅(せんめつ)してやる! 俺は爆発した。

 

このくだりはマスターのケンジから既に赤間の耳に入っていた。ケンジはこう言った。

「わたしと話していた男が脇にあったアイス・ペールを持ってすっくと席から立ち上がって、つかつかと二人のところに行き、二人の頭の上から氷水をぶっかけたんです。何をするんだ、と二人の若者は男を睨みつけました。すると、男はこう言い放ったんです。

『日本社会を堕落させたのは、お前らみたいな若造だ。体制側の言いなりになって、のらりくらりと遊んでばかりいやがる。その腐った根性を叩き直してやる!』そう言ったかと思うと、伸縮自在の警棒のようなものを取り出して二人をメッタ打ちにしたんです。わたしは驚いて止めに入ったんですが、わたしも殴られてしまいました。その後、男はアイス・ペールをガシャンと床に叩きつけて、金も払わずに店を出て行ったんです」

「後を追いかけなかったの?」その時赤間がケンジに尋ねた。

「店の外まで追っかけましたよ。そしたら前に黒いセダンがエンジンをかけたまま停まっていました。その傍らにボディガード風のでかい黒人が二人立っていて、わたしを睨みつけたんです。男はそのまま後ろも振り向かず、黒人の一人が開けたドアから後部座席に乗り込み、もうひとりの黒人の運転であっと言う間に去って行きました。金はあきらめました。もしそれ以上関われば、殺されそうな雰囲気でしたから」


「その男が国吉、お前だったんだ」

「その騒動に気を取られ、カウンターに電子手帳を置き忘れてしまったのさ」

「置き忘れた場合に備えて北村の連絡先が貼り付けてあったそうじゃないか」

「あれは大切な手帳だった。しかし、もし万一落とした場合には俺の身元を直接知られないために、北村の名前を使っていたということだ」

「北村はお前に細かいことまで使いまくられていたんだな」

「俺は店を出て、車でアジトに向かっていた。胸ポケットに手を入れた時、電子手帳を忘れたことに気付いた。急いで取りに戻ったが、店は既に閉まっていた。ドアをこじ開けて入ろうとも思ったが、簡単に開くようなドアではなかった。仕方なく、その夜はアジトに戻り、翌日九日に北村に事情を話し、夜に店へ取りに行ってもらうことになった。俺はヒラムとの重要な打ち合わせがあったから、北村に行ってもらったんだ。そのままあいつは失踪した。そして死体が海に浮かんだ」

「北村はマスターから手帳を受け取り、店を出たという。翌日十日からは日本人会を無断欠勤している。九日夜何かが起こったんだ。会長の水原さんによると、北村は長年日本人会に勤めていたが、無断欠勤はそれまで一度もなかったらしい。連絡も取れないので埒が明かず、警察に届けたんだ」

「その頃北村はしきりに日本に帰りたがっていた。年老いたであろう両親のことが気になっているようだった。望郷の念というやつだろう。俺は自分のことを棚に上げて、あいつに日和見だとか酷いことを言ったのを覚えている。ただ俺が手帳を忘れさえしなければ、そして北村に取りに行かせなければ、こんなことにはならなかったんじゃないかと何度悔やんだことか」

「国吉。では北村は誰に何のために殺されたと思う? シスコさんという探偵事務所の人間は、北村の殺し方は何かの見せしめのような感じがすると言っていたが」

「俺と北村との関係は、組織は知らないはずだ。俺からは一度も北村のことを話したことはない。北村は最初から俺が日本人会に植え付けた情報細胞だったから、あいつはずっと俺だけのために働いて来た。組織とは関係ないんだ」

「北村の遺体には拷問の跡が無数にあったらしい。ということは何者かが北村に何かを吐かせようとしたと思われる。一体何を吐かせようとしたのだろう」

「俺の居場所か? だけど、北村は俺のアジトも知らないし、所在を知るはずもない。連絡は必ず俺からするし、俺の居場所は北村にも一切話さなかった」

「じゃあ、どういうことなんだろう」

「わからない。殺しの手口は荒っぽいし、確かにお前が言ったように、何かの見せしめと考えるのが妥当だろう。普通の場合、死体は見つからないように始末するはずだ」

「遺体から北村の日本人会のIDカードが出て来たのも、見せしめ説を裏付けている」

「それ以外の所持品はどうだったんだ? お前フェッドから何か聞いているか?」

 国吉が赤間に尋ねた。

「シスコさんからは、金目の物はそのままだったと聞いた。だから単なる物盗りとは到底考えられない。ただ、お前の電子手帳は遺体からは発見されなかった。北村のポケットから抜き取られた可能性があるな」

「あの手帳は組織の手に入るとまずい。情報は全て暗号で入力しているから直ぐにはわからないだろうが、組織には暗号解読の専門家もいるからな」

 しばしの沈黙のあと、国吉が口を開いた。

「今になったから、しかもお前だから言うが、実は北村をお前の傘下の組織に潜り込ませたのは、この俺なんだ」

「何だって! 彼は赤間機関に対するスパイだったのか。一体全体何をさせようとしてたんだ」

「お前のこのところの行動を見るにつけ、俺の組織と同じようなギョーカイの臭いがした。北村に調べさせたら、どうもお前はスペシャル情報を掴んではクライアントに有料で伝達あるいは配信するような仕事をしているらしい。それにお前とこの連中が最近うちの拘わる要所、要所に頻繁に現れているって波佐間から聞いている。お前こそ何をしようとしているんだ?」

 赤間は事情を説明した。

「そうか、やっぱりなあ」

 国吉はなるほどと頷いた。

 

 赤間はセイフハウスに戻る途中で、護衛のFBIに頼み込んでニューヨーク・オフィスに立ち寄らせてもらった。

 赤間が前もって電話を入れていたので、オフィスには日本から呼ばれた赤間機関の精鋭部隊のリーダーが集合していた。

「皆、ご苦労さん。時間がないので早速事情をかいつまんで説明する。俺は今FBIの保護下にあるため動けない。そこで皆の力を借りたい」

 赤間はそう言って、マンハッタンの裏社会で展開する対立抗争や入院している国吉を取り巻く状況、今後の見通しについて述べた。

「君らにお願いしたいのは、国吉に代わってグリーン・アイズと対峙している国吉の盟友、波佐間健一のバックアップをしてやって欲しい。それに関連することだが、最近ニューヨーク入りしたこれも盟友のマイケル・マキロイが空港で襲われ、命拾いはしたがその報復にグリーン・アイズの本部がマキロイの手下らに襲われたばかりだ。その影響でニューヨーク市警も神経をとがらせている。ヘタに動けば、抗争に巻き込まれるし、また警備当局ともフリクション(摩擦)を起こす恐れもあるので、慎重にしかし大胆に行動して欲しい。波佐間に対しては国吉から君らのことは知らせてある。但し銃器は出来る限り使うのは避けるように。何か質問は?」

「念のため確認しますが、殺人許可証はOKでしょうか?」

「赤間機関からCIAに働きかけてある。場合によってはCIAを補佐する動きもあるので、その辺は大丈夫と理解して欲しい」

「対FBIも大丈夫ですね?」

「OKだ」

「それから赤間さんは原則、セイフハウスに居られるということ?」

「そういうことだが、事と次第によってはFBIに許可をもらい、外にも出る。今も国吉と情報交換して来て帰る途中だ。国吉に対する臨床尋問は厳重な警戒の下でもう始まっていて、彼はこれからFBIの保護プログラムに入って、長年にわたるテロリストの経験上知り得たテロ組織に関する情報を全てFBIに開示して、司法取引をしようとしている。これから型通りの裁判のプロセスに入り、公判が開かれ、そこで真実が徐々に明るみに出て行くことになる」

「了解しました」

「それと、グリーン・アイズの首領が正体不明のままだ。徹底的に素顔を洗って欲しい。では」

 FBIの担当者が周りを固める中、赤間はエレベータに乗り込んだ。

 

本部前面を破壊されたグリーン・アイズには、先般相互契約を結んだドイツの組織から先遣隊が到着していた。

「お恥ずかしい姿を見せ、申し訳ない。これからお返しをたんまりしてやろうと思います」

 赤石がボスに代わって、先遣隊のリーダーに告げた。

「これから今後の計画を話し合いたいと思いますので、裏口の方からお入りください」

 赤石の部下が先遣隊を裏口に案内して行った。

 グリーン・アイズは同様の契約をシチリアのマフィアとも結び、イタリアの裏社会に進出する準備を進めていた。一方でマンハッタンに関してはグリーン・アイズ本部内にドイツ組織の出先同様、連絡オフィスを貸し与え、イタリアン・マフィアの連絡員を置くことになっていた。

 早速、赤間機関の精鋭から情報が入った。

「グリーン・アイズはドイツ・イタリアの裏社会の支配的組織と結び、どうやら第二次世界大戦当時の日独伊三国軍事同盟を真似たような組織をまずマンハッタンで実験的に設立しようとしている。手始めに現在マンハッタンに勢力を張っている国吉グループを一掃し、利権を奪い取るのが奴らの狙いだ。その成功をバネにヨーロッパで本格的に三国同盟を展開しようという訳だ。組織のトップだが、ドイツは右翼的組織『ハーケンクロイツ(ナチス鍵十字)』のウォルフガング・エスター、イタリアは結社『ブルー・スコーピオン(青いサソリ)』を率いるブルーノ・ドーモだ。残る日本系のグリーン・アイズのボスだけ、まだ正体が掴めていない。そこでグリーン・アイズの赤石とかいう跳ね返り野郎を締め上げて。口を割らそうと思う。今奴の行動パターンを読みつつあるので、もう暫く時間が欲しい」

「よし、引き続き頼むぞ」

 セイフハウスにいる赤間はタブレットで短い返信を送り、精鋭の情報メッセージを保存した。


 ニューヨーク市警の警備が強化される中、それをあざ笑うかのように、マンハッタン南部にあるシナゴーグ(ユダヤ教会)で爆弾騒ぎが立て続けに起こり、死者も出てマンハッタンは騒然としていた。ユダヤが狙われている。そんな噂から、あのWTCテロの報復ではないかとの憶測も乱れ飛んだが、真実の解明には程遠かった。

 その騒ぎに乗じて、シナゴーグ付近にある銀行から現金が盗まれる強盗事件が頻発し、警察は捜査のためという理由で発表を控えているが、盗難に遭った現金は相当額に上るという観測が出ている。

 赤間は赤石らが日独伊三国軍事同盟を模したトロイカ体制を意図的に象徴し、シナゴーグに続いて銀行を襲うという反ユダヤを意味するM作戦を展開していると読んだ。

「マンハッタン南部にはグリーン・アイズの本部があるリトル・イタリーがあり、しかもそこはイタリアン・マフィアの根城である。結社ブルー・スコーピオン(青いサソリ)系の地域でシナゴーグというユダヤ信仰の拠点が襲われているというというのは、ナチスの伝統を引き継ごうとしている反ユダヤ的右翼団体・ハーケンクロイツも加わったグリーン・アイズの犯行とみるのがわかりやすい」

 赤間の解説はFBIを通じて市警にも届けられた。

 市警は死者まで出した事件の裏付けをするため、グリーン・アイズ本部を捜索し、資料などを押収して、一連のシナゴーグ爆弾事件に加わったとみられる容疑者数人を逮捕した。

取り調べの中で容疑者らは黙秘権を使い、聴取を拒否したが、一件だけ保護プログラムに対し申し出があった。サダム・ポセインというイスラーム過激派出身の男で、本部内の噂を証言するので保護を願い出たという。

噂とは、数人のグリーン・アイズの幹部がグリーン・アイズの総帥の部屋で人食い鮫に食われて死んだというものだった。死体はドラム缶詰めにされて、マンハッタン沿いのファースト・リバーなどに遺棄されたという噂だった。

証拠を固めるために、市警は総帥の部屋を捜索し、部屋の床にある水槽に人食い鮫が泳いでいるのを発見したため、鮫は証拠品として押収された。

総帥と呼ばれた男は事情聴取を受けたが、「あれは俺のペットだ。人殺しに使うなんてばかばかしい」などと潔白を主張した。捜査本部も水槽の中を調査したが、常時クリーニングされており、そこが犯行現場になったという証拠もなく、また遺棄されたドラム缶も見つかっていない状況で総帥を逮捕することは叶わなかった。

 銀行強盗事件について捜査当局は構内に散乱していた札束から容疑者のものらしい指紋を採取したところ、逮捕された容疑者のひとり、イスラーム過激派のオサマール・ロディンのものと断定し、ロディンを追及した。ロディンは取調室で「アラー・アクバル!」(アラーは偉大なり)を連呼し、事情聴取を拒否していたものの、結局犯行を認めた。しかし、総帥らしきボスの名前までは知らず、捜査陣が本人から聞いた名前との比較はできなかった。

 グリーン・アイズのM作戦は続いた。

 今度のターゲットはニューヨークからスイスの銀行に送られるため、JFK近くの倉庫に密かに運び込まれていた金塊四千万ドル(106円換算で、四十二億四千万円)相当だった。倉庫は厳重に警備が敷かれ、ガードマンが二十四時間見張っている中で事件は起きた。ある夜、夜陰に乗じて、トラックが倉庫に突っ込んだ。

ガードマンはトラックからのマシンガン射撃で即死し、倉庫の鉄の扉は、大きく破壊され、倉庫に侵入したトラックの荷台に隠れていた屈強な構成員が金塊の入ったケースを次々にトラックに積み込んで、あっと言う間に倉庫から出て行った。

 警察のその後の調べでは、金塊輸送の責任者が家族を人質にとられ、家族の安全と引き換えに金塊輸送の中身を暴露したのだ。グループは現場に立ち会わせた責任者を口封じのため射殺したが、誘拐した家族はマンハッタンの駐車場で解放した。


 明るい舞台でポールの回りを回りながら、一糸まとわぬ女性が体をくねらせ、客がチップを渡すと、額によって暫くその客の前で艶めかしい姿態を独占させたり、ご愛嬌ではち切れそうな巨乳で客の顔を打っ叩いたりしている。

 シマの客席で女性を見つめて微笑んでいた波佐間健一にメッセージボーイが耳打ちした。

 波佐間はホールから出て電話に出た。マキロイからだった。波佐間は取り巻きの運転する車に乗り込んで、マキロイが待つ居酒屋のドアを開いた。

「どうも、久し振り」

 二人はハイタッチをして隣同士に座り、乾杯した。

 マキロイは結構飲んでいる様子で、遂には足元がふらつくほどになりながら話すのは国吉のことだった。

「あいつの見舞いに行った。もうあいつは俺と闘って来た国吉じゃない!」

 カウンターを拳で叩いた手元が滑り、アイリッシュ・ウィスキーのグラスがひっくり返り、ウィスキーが零れた。

 波佐間はマキロイの言わんとすることがわかった。

「もう諦めろ。あいつはあいつのやり方がある。それだけのことだ」

 波佐間は零れたウィスキーを気にも留めず、自らのグラスを傾けた。

 マキロイは虚ろな目を波佐間に一瞬向けたかと思うと、

「縄張りはどうなるんだ? われらのシマは?」

 波佐間はマキロイと目を合わせることなく言った。

「国吉がどう考えているのかは大体わかる。あいつはこの世界から金輪際足を洗うつもりだ。娘も組織から取り戻すことが出来たし、後は自分を殺ろうと血眼になっている組織に復讐するだけさ」

「あいつが居なくなったあとのシマは一体どうなる? 早速俺を狙いやがったあのグリーン・アイズとかいうチンピラにでもくれてやるというのか? 冗談じゃないぜ!」

 波佐間はマキロイが国吉の後釜になろうとしているのを感じていた。国吉の見舞いだとか何とか言いながら、その実マンハッタンのシマがどうなっているのかを自分の目で確かめようと足を運んで来たのだろう。

「国吉に確かめたらいいが、俺も国吉と一緒にこの業界から退くつもりだ。シマはお前が引き継げばいい」

 マキロイはじろっと波佐間を睨んだ。

「それはお前の本当の気持ちなのか? まさか俺をハメるなんてことを考えているんじゃないだろうな」

「俺の言うことが信用できないのか!」

 波佐間が不快感を露わにした。

 国吉というグループの精神的支柱が消え去ろうとする中で、波佐間はこれまでひとつの目標に向かって団結していたタガが外れて、お互いの不信が増幅し始めているグループの姿を感じていた。

「ほかの幹部連中はどうなんだ?」

「興味があるなら個々に尋ねてみてくれ。しかしな、グリーン・アイズの例をとってみても、これまで世界同時革命を標榜してきた時代から、時代の急激な変化を経て、裏社会のビジネスにも手を染めて来たテロ組織の存在を無視して、このマンハッタンに根を下ろすことなんか出来っこない。それが新参者の常だ。その組織をひっくり返すだけの情報を握っている国吉が、組織を潰して去れば、後に残るのは今の国吉グループと新参者のくらいなもんだ。だから、あとはお前が仲間のアイリッシュ・マフィアの残党と一緒に引き継げばいいだろう。もっともどれだけのものが残っているかは保証し兼ねるがな」

 マキロイは新しい酒をぐっと飲み干し、波佐間の方を見ずに、握った拳で軽くテーブルを叩いて言った。

「しかし、あのグリーン・アイズの連中だけは許せん。国吉が入院しているのをいいことに勝手気ままにわれわれのシマを荒らし回ってやがる。まずあいつらを血祭りにあげてやる!」

 拳でカウンターを叩きながら、マキロイはダブルのアイリッシュ・ウィスキーを注文した。

 マキロイがグリーン・アイズのボスあるいは赤石を狙っているのを感じた波佐間は、マキロイの本音を報告がてら国吉に連絡し、国吉は赤間に連絡を入れ、赤石から直接グリーン・アイズの動向を吐かせるように依頼した。赤間は赤石から如何に深緑の正体や内部情報を吐かせるかを部下の黒部道夫と知恵を絞った。マキロイに先を越されて、赤石を殺害されてしまったら貴重な情報源を失うことになるので、早急の対応が必要だった。

赤石は外出時には防弾ガラス付きの高級車に乗り、車外に出る時は必ず周りをボディガードが取り巻いている。ボディガードはシチリア島からニューヨークに呼び寄せられた連中で、まだ地理不案内だが、腕っぷしはなかなかのものらしい。

黒部のグループは赤石の動きを日々分析し、本部以外で唯一単独行動をとるのは、あるビルの玄関の出入り口付近だけだということがわかった。毎日ではないにしても、頻繁にそのビルを訪れる。時間も決まって午後一番である。そのビルが一体何のビルか、調べてみたら、睡眠用の個室を借りられる店が入居しており、赤石はそこでシエスタ(習慣的な昼寝)をとるらしい。赤石が個室で眠っている間は、ボディガードの連中は目と鼻の先にある賭博場などで時間を過ごす。一人だけ張り番を玄関前に置いて。

ある日の午後、黒部グループは、赤石のボディガードがいつものようにビルを離れると、赤石がビルに入って行くのを確認した後でビルの玄関前に陣取った。通行人らから目立つのを防ぐため、清掃要員の服装でビルの前の大通りを清掃している恰好を作っていた。

 赤石はビルに入室してから出て来るまで、ほぼ約一時間だということもわかっていた。

 そして、玄関の透明プラスティックドアから今にも赤石が外へ出て来そうな、ギリギリのタイミングで、黒部グループは赤石に狙いを定めた。

 その時間に玄関前を超ミニのグラマーな若い金髪女性が歩いてきた。バストもはっとする程豊かだ。往年の大女優マリリン・モンローのモンローウォークのようにハイヒールの歩みに合わせて腰をくねらせている。

 張り番のボディガードも白い歯を見せながらその女性に気を取られ始めた。その時、突然女性が屈み込んだ。どうやら右足のヒールが折れたらしい。屈んだ女性の超ミニから黒いパンティが丸見えになった。

 ボディガードは唾をゴクンと飲み込んで、ますます女性に接近しパンティを覗き込む。もう直ぐパンティに手が届きそうな距離になった時、女性は振り向き様に手に隠し持っていたスプレーをボディガードの顔に向けて噴射した。

「ギャー!」

 目を抑えて痛がるボディガードを背後から近づいた清掃員らが羽交い絞めにして押さえつけ、手を後ろ手に縛り上げて、猿轡をかませた。モンローウォークの女性は黒部から現金の入った封筒を受け取り、黒部にウィンクして腰を振り振り立ち去って行った。

 縛り上げられたボディガードはあっという間に黒部グループの車に閉じ込められた。

 予定の時間になり、シエスタを終えた赤石の姿がガラス越しに見えた。その瞬間、グループの一人が玄関に入って行き、赤石とすれ違いざまに首筋に電気ショックを与えるサイレンサー銃を発射した。

 赤石が倒れ込むのをグループ数人で囲み、周囲に見えないように体にカバーをかけて、大きなゴミを運び出すように外に出て、腕を後ろ手に縛り上げ、トランクに押し込んでクロロホルムを嗅がせた。ボディガードの方は交代に車外に放り出され、車は発進して高速道・インターステート・ハイウェイに入って行った。

すれ違いに赤石のボディガードが戻って来た。後ろ手に縛られた張り番のボディガードが車の前に飛び出した。

「おい、どうしたんだ!」

 仲間が猿轡を外してやり、張り番は何者かに襲われて赤石から目を外してしまったと告げた。捜しても、赤石は何処にもいない。

「そいつらの車は高速の方面に逃げた。まだそんなに時間は経っていない」

「お前は本部に連絡して高速の降り口を全て押さえさせろ。車の特徴と、わかればナンバーを知らせろ。絶対に逃がすな! 俺たちボディガードの命がかかっている!」

車は荒っぽく向きを変え、高速に猛スピードで向かって行った。

黒部グループの車は三十分ほど高速を走ったあと、高速を出て、とある邸に停車し、赤石は邸の一室に運ばれた。その部屋は薄暗く、暫くするとピエロに扮した男が静かに入室し、眠っている赤石の頬っぺたをビンタして、一度意識を戻させた。赤石は目覚め、周りの様子が全く変わっているのにようやく気付き、身構えた。

 ピエロは赤石の両肩を腕で押さえながら、呪文を唱え始めた。暫くすると赤石は目をつむってゆっくりピエロに体をもたせかけた。

 呪文は暫くして終わり、今度はピエロが赤石の記憶に訴えかけた。

「お宅のボスはどんなんかなあ? 正体を知りたいので教えて頂戴!」

赤石は一瞬顔を歪めたが、暫くすると静かに口を開いた。

「一九四九年東京生まれ。W大卒業。本名は深緑冬馬(ふかみどりとうま)。卒業後、石油関連産業を経て、渡米して経営アドバイザー。金融部門を得意とし、その後日本の反社会勢力の顧問となり、裏社会に入る。再びアメリカに渡り、マンハッタンに自営のオフィスを設けて、ドイツ・イタリアの裏組織と結んで、とりあえず国吉の組織の領分を奪取するのを最初の仕事としている」

 ピエロは全てを用意したパソコンに打ち、保存した。

 そして直ぐに赤間に連絡を取り、パソコンから深緑冬馬の情報を赤間にメールで送った。

 赤間はその資料を基に、大阪の本部に対して深緑冬馬の情報を更に収集するように命じた。

「赤石はどうしましょう?」

 ピエロが尋ねた。

「この際だ。他の情報についてもゲロさせてやれ」

「了解です。項目を教えて下さい」

 赤間がピエロ役のエキスパートに収集すべき情報を伝えた。


 黒部からはもうひとつ重要な情報がもたらされた。

 以前国吉らも属し、マンハッタンに隠然とした勢力を持って、今や裏切り者として国吉の命を狙っているテロ組織が、新興組織グリーン・アイズをその傘下に置いたというものだった。

グリーン・アイズは引き続き、親組織の力をバックに、国吉の地盤を手に入れるべく、工作を続ける模様だ。

 親組織としてはグリーン・アイズが構築した日独伊三国同盟をそのまま組織の世界戦略にはめ込んで、アメリカ以外での覇権・支配を進めることが可能となる。

グリーン・アイズのボス・深緑冬馬にとっては親組織の圧倒的な力を背景に、まずはマンハッタンでの版図を手に入れることが出来る。ウィンウィンというわけだ。

赤間は早速その情報をFBIに流した。

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