2-5

何が何だか、よく分からない。

ただもう、あんな風に優しくしないで欲しい。

それだけだった。



「ごめん」



将にいの手からするっと引いて、私は脱衣所の扉を閉めた。



そのまま、シャワーを頭から被ってしまおうか。

でもそれでもし風邪を引いたら、また優しくされてしまう。


浴槽の中に座り込んで、ぼーっとしていた。

ダメだ。あまり長く静かでいると、心配されてしまう。


でもこうしていると、冴島先生の姿が、脳裏を過ぎる。

カジュアルめなスーツ、ふわっと整った髪、丸みのある眼鏡。

普段とは全然違う姿の将にいが、そこには居る。



私は、将にいが好きだった。それはもちろん、妹として。

親の代わりにここまで育ててくれて、尊敬もしている。


だけど、あの日。将にいが体育館のステージに上がった日。

初めはもちろん驚いた。どうして?って思ったし。

それで少し、苛立った。こんな大事なこと、なんで言わないんだって。


だけど、この苛々はどうやら、自分に向けられたものらしかった。

私の機嫌を不安そうに伺う将にいを見て、ようやく気がついた。

心のどこかに、嬉しいような楽しいような、ちょっとくすぐったいところがあって、それに気がついてないふりをしている。

そういう自分が嫌で、でもこうするしかないに変わりはなくて、苛つく。


素直に、仕事をしている将にいがカッコいいと言える日は、来るんだろうか。



「いけないっ」


お風呂洗わなきゃ。早く入っちゃわないと、また寝るのが遅くなる。




「ごめん、考え事してたら遅くなっちゃって」

「あ、うん、、大丈夫」

「食器ありがと」

「どういたしまして」

「お風呂、沸かしていい?」

「うん」



自分でも戸惑っている。どうしてこんなにモヤモヤするのか。

兄が兄じゃ無くなってしまったようで、すごく遠い所に行ってしまったようで。寂しいような、悲しいような…。

それだけじゃない。見たことの無い将にいの姿に、喉の奥がぎゅってなる。これは一体何なのだろう。



「奏美、奏美!」

「えっ」

「大丈夫か、ずっと呼んでたのに聞こえてないみたいだったから」

「あ、うん、大丈夫…」

「先に入る?」

「いいよ、先に入って」

「いいの?奏美の方が先に…」

「いいからっ」



将にいに、毛嫌いしていると思われても仕方がない。

でも、どうしたらいいのか分からない。

なんで、こんな複雑な気持ちになるのかも、分からない。

ひと言で言い表せない、この気持ちは一体…?




「…っ!なみ!奏美!!」


「ふぇ?」



いつの間にか眠ちゃってたみたい。

お風呂を終えてほわほわっとした将にいが目を丸くして居る。



「さっきから大丈夫か?熱でもあるんじゃ…」

「へっ!?あっ、ちょっ…!」



いきなり、大きくてゴツゴツした手が、私のおでこを覆う。



「熱いな、体温計どこだっけ…」

「将にい…」

「ん?」

「……zzz」

「ちょっと!そんなとこで寝たらダメだって!」



ふわっと身体が浮く。なんで浮いてるんだろ。どこかへ運ばれてる…?さっきと同じ手が、肩を支えている。

えっ、私、いま…??!



「ああっ!」

「ちょ、急に動くなよ!」

「今、何?どうなってんの!?」

「熱あるみたいだから、とりあえず布団に運んで…」

「お、降ろして降ろして!」

「なんでだよ!」

「歩けるから!自分で行けるから!」

「やだ」

「なんでー」



自分が将にいにお姫様抱っこされていると気がついて、子どもみたいにジタバタ。だって、誰も見ていないのに、とんでもなく恥ずかしかったから…。



「ほんとに、降ろしてよ」

「もう、奏美が暴れるから全然進めないんだけど」

「暴れるって何よ」

「暴れてるじゃん」

「お願い、大丈夫だからっ」

「やーだ」

「っ!?」



将にいの顔が突然近づく。まつ毛長いなぁ…。

どんどん近づいて、私は思わず目を閉じる。

当たったのは、将にいのおでこと自分のおでこ。

うっすら目を開けると、目を閉じても綺麗な顔があった。



「ほら、あっついじゃん」

「そ、それは、将にいのせいで…」

「いや、まあ、それは…」

「えっ」

「だから、俺が色々と急に負担かけちゃって、ほんとに、申し訳ないと思って…」

「いやっ、そ、そういうことじゃ…」

「え、違うの」

「ええっ」



変に戸惑ったりドキドキしたりしてたの、私だけだった…。

そう分かったら、急に身体が怠くなってきた。



「お、おいおい、大丈夫じゃないだろやっぱり」



将にいの呼び掛けにも答える気力が無くなって、そのまま意識が遠のいていった。

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