1-8

とは言え、数秒後には


「ちょっ、離してよ」


私のてのひらが冷たく将にいの胸を突き返す。


「嫌だ」


それだけ言い放って、また私を引き寄せる。

でも今度は、それだけだった。


「細かい話は帰ってから…」

「わかってるよ」


将にいの意外な声に、ドキッとした。

耳元で、囁くような、低い声が、脳内にじんわり響く。


「将にい…?」

「怒ってる、でしょ?」

「え、っと、いや」

「誤魔化さなくていいよ」


別に、誤魔化したいわけじゃない。

なぜか思うように、口を動かせないんだ。


「伝えようか、迷ったんだ」

「うん」

「でも、やめた」

「…なんで?」

「絶対に反対されるって思ったから」


確かに、そうだね。

全力で反対したと思う。


「でもなんで、わざわざ…」

「それは……」


急な沈黙。

高いところにある顔を見上げる。

気がついたのか、慌てたように薄く笑った。


「奏美のこと、心配だったから」

「うそ、それで?」

「本当だってば」


ああ、ようやく笑えた。

つつき合いながら笑い合う。


ふと、お互いの動きが止まる。

目が合って、なぜか恥ずかしくて顔を伏せる。


ゆっくりと将にいの手が伸びてきて、私の手を優しく握る。

そのまま、すとんと胸の中に引き寄せられる。


「…この一年、俺じゃ、ダメかな」


将にいの声が、意地悪に脳内を走る。

なんだろう、さっきから変な感じがする…。


「あっ!まだ教室開いてるー!」

「「えっ…」」


廊下から声がする。

慌ててお互いの身体を離した。


勢いよくドアが開く。


「ああ、開いてて良かったぁ」


なんだ、隣のクラスか…。

さらに心拍数が急に上がっていた。


微妙な空気になって、

私はそのままリュックを背負って教室を出た。

何か言いかけが聞こえたような気もしたけど、

脚は止まらなかった。


そのまま早歩きで学校の門を飛び出した。

息が上がって落ち着かない。


「はあ、はあ……もうやめてよぉ…」


今までのは一体何だったんだろう…?

いつもの将にいじゃなかった。

先生だから?学校だから?教室だから?

もう、よく分かんないよ…。


結局なんで来たのかも分かんないし。

え?言ってたっけ?


ブーっ、ブーっ


「ん?…ああ!忘れてた!」


佳月からの電話だった。


「もしもーし…」

「大丈夫?さっきも一回掛けたんだけど」

「あっごめん!いま門出たの」

「そうだったのか、ごめんごめん」

「いやいいの!すぐ行くね!」

「慌てて転ぶなよ」

「うるさいなっ」


画面をタップするのと同時に、また歩き出す。


佳月の家は、学校と私の家との間にちょうどあった。

最寄りの駅は、一個隣。


『着いたよー』

『玄関の鍵開けとく』

『りょーかい』


メッセージアプリを閉じて、そのまま家に向かう。

まるで自分の家かのように玄関の扉を開いた。


「お邪魔ー」

「いらっしゃーい」

「遅くなってごめーん」

「いいよ、ちょうどお腹空いたし」

「待ってたんか」

「あったりまえでしょ」


そのドヤ顔、謎すぎるんだけど。


よっぽど私の様子が変だったのか、

それとも佳月がただのエスパーなのか、


「ねえ、何かあったの?」

「えっ?」


キッチンに横から顔を出して、聞いてきた。


「無いよ、別に」

「嘘だぁ」

「無いってば」


下ごしらえを終えて、フライパンに放り込む。

右からゆっくり、気配が近づく。


「ほんとに、何にもない?」

「だから無いって…」


近い…。

そんな目で人の顔を覗き込むんじゃない子犬。


「無いかぁ」


残念そうにキッチンを離れていった。


ごめんね、佳月にも智也にも、晴香にも言えない。

いつか、言えればいいんだけど。


「できたよー」

「やったー!」


出来たてのお昼ご飯に喜ぶ姿が

何となく将にいと似ていた。

思わず深くため息をついてしまったのは、

きっと気づかれていないはずだ…。

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