…………

「おかあさん。ねぇ、おきてるの」

 やや舌足らずの声を聞いて我に返った。すぐ目の前では娘の小鳥が眠そうな目を擦りながら私を一生懸命覗きこんでいる。

「おかあさん、いま、ねてたの」

「うん。ちょっと、ぼんやりしてたかな」

 答えながら、もう片方の耳では、ゆく年くる年、のナレーターの声を聞いている。そうしていると、自然と大学四年間のことが頭に浮かんでくる。私の感性は今も昔もそれほど変わらない。実家にいた時も大学の近くに下宿した時も夫と同棲した今も、年末に紅白を見てゆく年くる年を見るのは毎年変わらない。けれどあの四年間の月日の色濃さは格別だった。

 怠惰の日々の中でもその輝きと自分らしさを失わずにいた彼の横に私はより多くいた。なんでもない馬鹿話をしたり、食器や家具についての話を聞いたり、飲みサークルの会員らしくお酒を飲んだり、夜を徹して創作に没頭するその背中を見ていたり、冷え切った身体を温め合ったり。お互いにそれほど表立っては熱くならない気質だったのもあり、何事もなあなあに済ましてもいた。それでも、誰よりも多く軽口を言い合い口喧嘩をしそして笑い合ったり抱き合ったりもした。本当に、目の眩みそうな時だった。

「さっきからぼんやりとしてるな。眠いんなら寝てもいいんじゃないか」

「うん、大丈夫。せめて、来年までは頑張るから」

 来年まであと数分というところまで来ているうえに、お眠な愛娘も粘っている。それに実のところ、ぼんやりとしているのは眠いからというわけでもない。

「おかあさんがねるなら、わたしもいっしょにねるよ」

「ほら、小鳥もこう言っていることだし。なにかとこの年末は忙しかっただろうから、無理しなくてもいいんだぞ」

 眼鏡の下からおろおろと心配そうな目をむける夫に、微笑みかける。

「そんなに心配しないで、京太君。それほど眠いっていうわけじゃないんだから」

「そっ、そうかい。でも、無理はしないでくれよ」

 娘の前で久々に名を呼んだせいか赤くなって目線を逸らす夫に微笑んだあと、手元を見た。そこには何時間か前まで蕎麦を入れていた白い綺麗なお猪口がちょこんと置かれていた。幸せだな、と小さく思った。

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くるくる、まわる ムラサキハルカ @harukamurasaki

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