用語説明

「蝮の子とは?」

 聖書の中で、蝮という言葉は主に新約聖書に見られます。大体律法学者やパリサイ人など、間違った方向に意識高い系の腹黒さを罵る言葉です。

 蝮というのは、蛇の中でも凶暴で悪質なものという認識が当時はあったようです。少なくとも悪魔(サタン)のことを差す時は、「蛇」といいます。ギリシャ語の微妙なニュアンスの違いがあったのかもしれませんね。イエスは基本的に「偽善者達」と普通にdisってますが、これが彼の従兄洗礼者ヨハネとなると、まあ強烈で、「蝮の子(=悪魔の下僕)」と罵り、悔い改めろだの預言に備えろだのと喚いていたわけです。そりゃ捕まるわ。

 ちなみに、そんなヨハネですが、人間は皆罪人だからと、誰も彼も蝮の子と言っていた訳ではありません。本当に心から悔いる人、或いは生まれ変わりたいと願う人には、「蝮」の仲間でも洗礼を授けていました。当時の宗教界は、生贄の値段で罪の赦しや救いの在り方が決まっていたので、ヨハネのように河に沈めるというやり方は、とても簡単だったのです。

 ヨハネの説教が力強く、分かりやすく、といった要因も、彼が人気だった理由の一つでしょう。

 いずれにしても、現代では言ってはいけない言葉の一つです。蝮とか言わないで本気で凹みますやめてください。

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「イエスアダルト、ノーロリータ」

 今日人生百年だとか、生涯現役だとか言った言葉がもてはやされていますが、少なくとも僅か五百年前の戦国時代は、「人間五十年、下天の裡を…」と言っていたように、寿命は短いものでした。況してや二千年前の、それも亜熱帯です。日本とは気候と違う場所ですので、流行病や感染症など、寿命に影響する多くの要因が違います。

 イエスの時代は、女子も男子も十二歳で成人式を迎えました。昔の日本の元服と似てますね。十二歳になると、新成人達は聖都エルサレムへ行き、お参りをしました。現代の成人式ですね。

 で、そうなると問題なのが結婚なのですが、これが中々シビアでして、女性は十二歳から十五歳、つまり初潮が来る辺りで一人前になり、お嫁に行きます。ところが男性は、三十歳前後でないと結婚適齢期ではありませんでした。女子高生×リーマンを民族単位で歴史になるほど流行らせるとは、中々上級者向けです。

 しかしこれは、順当に考えると決して不自然なことではないのです。

 現代においても、「独立」「自立」というのは、何歳に相当するのか、という議論があります。例えば心理学であれば、「エリクソンの発達心理段階」というものがあります。近年の長寿化に伴い徐々に進化している理論ですが、その中の一つに、「自立とは経済的自立を持って自立とする」という項目があります。その年代は、丁度三十歳から四十歳の食べ頃の年代です。

 これと同じ考えが、当時のユダヤにもあったと考えて良いでしょう。特に当時は、貨幣経済よりも、自給自足、相互扶助の面が強かったようで、そうなると成人して二,三年のペーペーには、まだ十分な練度がないと考えるのが妥当です。やはり仕事をし始めて十年は欲しいところ。多くの息子達は、成人を迎える前から父親の生業を真似て継いでいくので、それを考えると、三十代というのは職人として一人前になった頃と、考えられていたのです。

 それではここで大事なことなので復唱しましょう。


 ヨセフはロリコンではない!!!

 ヨセフはロリコンではない!!!

 ヨセフはロリコンではないッ!!!!

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「イスラエル十二部族」

 日本においても、嘗てそうだったように、イスラエル人は特に、父系祖先を大切にしました。イエスであれば、「ユダ族ダビデの子孫ヨセフの子イエス」と呼ばれることで、初めて同胞として認められます。決してちんこの形だけがイスラエル人の証ではありません。実際にはイエスが「ヨセフの子」と呼ばれていたことはあまりなかったようですが、それはまた別作で語りましょう。

 イスラエル(Israel)というのは、実は人の名前です。和名解説編でも少し触れましたが、ユダヤ人は何か大きな切欠があり、新しい自分になるとき、新しい名前を付けます。イスラエルの場合は、元々の名前はヤコブでした。この人は旧約時代の人なので、イエスの弟子のヤコブ(James)とは異なりますので注意です。

 で、この人が天使をフルボッコにした結果、色々あって、彼の十二人の息子の子孫が繁栄することが約束されます。この時の十二人が、後のユダヤ人の祖となります。つまり、イスラエル人は元を辿ればイスラエルという人から生まれているということですね。

 具体的に順番を覚えていないので恐縮ですが、私が諳んじる事が出来るのは、ベニヤミン、ユダ、ダン、ナフタリ、レビ、イッサカル、エフライム、マナセ、シメオン、………。(ちらちら)…ルベン、ゼブルン、ガドです。

 ちなみに、イスカリオテのユダはイッサカルの子孫です。

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「当時の罪人とは?」

 キリスト教に触れる人が必ず直面する問題。ズヴァリ「私は罪人じゃない」というものでしょう。現代キリスト教における「罪人」は多種多様に分かれています。というのも、プロテスタントの場合、その規定が教派によって異なるため、それについてry。

 というわけで、当時の、つまりイエスがいた時代の「罪人」について語りたいと思います。

 罪とはすなわち、悪(形容詞)であり、悪魔(名詞)の結果でもありました。なので、人から見て違うもの、或いは明らかに自分たちよりも劣っている人のことを、「罪人」と呼び、特に高価な生贄や祈祷をしなければコミュニティに入れず、家から追い出されなければなりませんでした。と言うのは、神は聖なるものなので、清く正しく生きることを求めていると考えていました。なので、清くない人、正しくない人がいると、イスラエル人は神に救ってもらえないのです。その考えの根拠が、「親の因果が子に報い」の考え方です。例えば子供が盲目で生まれると、それは親や、その先祖の罪の罰だと言われ、穢れとして家から追い出さなければなりませんでした。これについて、イエスは明確に否定し、「この人が盲目なのは、神の栄光を感じるためである」と、きっぱり言って、その盲人の目を治します。それでも目が見えるようになった盲人は、神殿に行って、祭司たちにお墨付きをもらわないと、コミュニティに戻ることができませんでした。

 つまり、イエスが来る前までの「罪人」とは、刑事罰の対象者とは別に、「祖先や自分の罪の報いを受けた、自分たちとは違う特徴を持った人」の事です。端的に言うと障碍者、難病人などがそうです。

 しかし洗礼者ヨハネなど、イエスの時代になると、ことさら、自分の中の物思いについて言及されるようになります。具体的に言うと、心の醜さを罪だというようになりました。その表現の一種が「蝮の子」なのです。もっぱらそのような人々は、頭がよく、律法をよく理解していて、悪いことをしても相応の生贄を買って捧げることのできる金持ちばかりでした。なので、彼らは大いに「偽善者」だったわけです。だから現代で蝮の子なんて言わないでくださいホントに凹みます。現在でも、英語の「偽善者」を表すスラングとして「Pharisee(パリサイ人の)」が使われています。また、もともとの「パリサイ人・パリサイ派」の、「パリサイ」とは、もともとは「一歩浮いた人」という意味もあったようで、彼らが一種の出家者だったことを意味しています。

 では、具体的に、醜い心の何が罪かと言いますと、別に醜い心は罪ではありません。問題は、醜い心の人が醜い心の人を非難することです。これを俗に傲慢と呼びます。もっとわかりやすく言うと、自己中心主義です。それを持った人が、それを持っている他人を非難する、つまり裁くことが罪である、と、イエスは言いました。ただこれは、当時の人々は到底受け入れられないものでした。

 というか狂化後弟子どももこれを乗り越えた形跡がない。開き直っていいと思います。うん。ただし、「自分は自己中心的な人間(=罪人)だ」とか「やっちゃった」とか、そういう話は割と出てきています。主張ではなく言い訳を考えることが分かりやすいですかね。

 ただ、現代において寧ろ罪人で無くなったと主張するのは逆に罪です。罪人というのは、キリスト教においては「神以外」のことを示します。つまり、罪人で無くなった、という主張は、「わたしは神だ。」と主張するのと同じことです。ヤバい人や。

要するに罪人とは人間の事です。曹洞宗のお坊さんに、「お釈迦様は罪人(=人間)ですよ」と言われた衝撃まだ忘れられない。

 ただ、やっぱり日本語としていい響きではないので、使わない傾向はありますね。神父さんたちが「私たちは罪人ですから~」と説教で使うくらいです。そのように言うから謙遜か、というと、それもまた違ったりします。

 こんな感じで、「罪人」という言葉は、差別用語から宗教用語になっていった感じですね。

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「聖書の植物」

 聖書の中には、いろいろな植物が出てきます。主に例え話。残念ながらユダが首を吊った木については言及がありません。

 どうして例え話にそんなに植物が出てくるのかと言えば、それは例え話にしたときにピンとくるからです。イエスは大工で、弟子たちも多くが大工や漁師でしたが、彼らの命の水は葡萄酒です。亜熱帯なので水がすぐに痛みます。漁師と言っても、海へ行く漁師ではなく、湖で魚を取ります。なので、塩害はなく、当時は農業も盛んでした。つまり、農夫がたくさんいたのです。

 さて、聖書の植物で私たちに聞きなれないものと言えば、『カラシダネ』でしょう。カラシダネとは、当時のユダヤ人が知っている植物の中で、一番小さな植物の種です。辛子じゃないです。しかし、実を結ぶと当時のユダヤ人が知っている植物の中で、一番実を結んだと言われています。

 転じて、一人の人が信仰に目覚めると、その人を見習い、多くの人が神の道に入るようになる、とも言われています。

 他にも葡萄、イースト菌、いちじく、イナゴ豆、レタス(苦菜)、オリーヴなどが出てきます。

 聖書を歴史書、或いは事実だけを述べている書、実況ものだとよく勘違いされているのであまり見られないところでもありますが、聖書に出てくる植物を「何かの象徴」として捉えると、新しい沼に嵌れたりします。

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「エジプトフルボッコ大作戦」

 さて、配置の問題でここまで放置してしまいましたが、最後に「過越祭」について触れておきましょう。かえつさいではありません。


 時を遡ること数千年前。イスラエルに飢饉が起こりました。ユダヤ人達は食料を求め、南下していきます。食べ物を求めてやってきた外国人を、エジプトは快く受け入れてくれました。その後、なんやかやあって、エジプトでユダヤ人達は繁栄しました。時のパロ(ファラオ)は、あんまりにもユダヤ人が増え、乗っ取られそうになったので、奴隷にして子供を間引くように命令しました。ところが、とある娘が、息子を殺せず、アスファルトの籠に子供を入れ、川をどんぶらこさせました。漫画の神様が描く妖怪ものにこんなシーンがありましたね。

 下流で遊ぶパロの娘、つまりエジプトの王女さまたちが、籠を見つけ、自分たちの弟にすることにしました。このシンデレラボーイは、名前をモーセと言います。

 その後すったもんだがあって、モーセはエジプトから逃げ出しましたが、ヤハウェの無茶ぶりに脅されて、助手を引き連れエジプトに戻りました。

 エジプトでは最もエジプトを繁栄させたという偉大なパロの治世になってました。そこの古代王クラスタお静かに!

 ヤハウェは奴隷となったイスラエル人たちがおうちに帰りたいとお祈りするのを聞き届け、モーセを選んだのです。人の都合などお構いなしです。

 モーセと助手は、パロの前でいろいろな奇跡を起こしましたが、パロは中々頷いてくれません。だってヤハウェがそうさせてたからね!

 そこでヤハウェは、イスラエル人に、ちょちょいと目印を家につけるように言いました。その日の夜、人畜含めてすべての跡継ぎや一番出来のいい種付け用家畜が死にました。もちろんヤハウェの手下の天使の仕業です。

 しかし、この災難を、イスラエル人はやり過ごしました。天使たちは、目印のあった家を過ぎ越し、イスラエル人たちは無事だったのです。


 この壮大な奇跡を思い起こすお祭り、それが過越祭です。現代でも、イスラエルをはじめユダヤ教コミュニティでは生きています。この時に食べる果物の煮詰めたやつ、おいしそうです(じゅるり)。

 この過越祭はとても大きなお祭りで、当時は恩赦として罪人を一人、解放してあげることが習わしでした。また、過越祭の時は多くのイスラエル人がエルサレムに来るので、暴動も起きやすくなります。イエスの処刑が超スピード処刑だったのは、この祭のちょうど真ん中でやっていたからです。

 つまり、最後の晩餐とは、過越祭を祝うための晩餐だったわけですね。

 他にもユダヤ教の祭はいろいろありますが、いくそす。文学で押さえておくべき祭りは、とりあえずこの過越祭くらいでしょう。…それくらいにしないと解説書が増える(ぼそっ)。

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