和名解説―偉人編

「初めての殺人者」

真名:カイン―神の愛から零れたアダムとエバの長男

 カインは人祖アダムとエバの長男で、色々あって弟のアベルを撲殺天使し、その後東の果てに追い出されたと言われる、創世記の人物です。

 逐語訳をすると、この時点で詰みなので細かいことは気にしてはいけません。ただ、意外なことにカインは呪われて追い出された訳ではないのですよね。昨今、カインの子孫だかカインの血脈だか、「罪人」としてのカインを強調する人々もいますが、カインは徹頭徹尾、サタン(悪魔、反逆者)ではありません。彼は神を信じているし、その罰も受け入れているし、その際に恩赦をくれるように頼む程度には、神の権能を理解しています。そして本当に恩赦貰っちゃうっていう。

 カインが何故神に選ばれなかったのかというと、「最も良い」という接頭語を附け忘れたからだと言われておりまして、決して神が肉好きだったとか野菜嫌いだったとかではないのですが、やっぱりネタにしやすいからか、多くの作品でそういう扱いなのがぱうらは少し不満です。

 神は何でも、「最も良い」ものを欲しがります。多くの人々にとって、それは命だったり、命がけの信仰だったりしますが、何もそれだけが全てではないのです。「最も良い」のなら何でも良いのですから、「最も良い」祈り、「最も良い」時間、「最も良い」金額をお喜びになります。

 ん? ぱうらの「最も良い」捧げ物ですか?


 腐教に費やす時間に決まってるじゃないですかJK!


 ですので私達は、いつでも彼の弟のアベルのように、最も優れた腐教をするべきなのですが、そういうことすると別の意味で撲殺天使してきそうな輩に心当たりがないわけでもないので、いつでも謙虚に、私達の腐教はカインレベルの、他にもっと優れた腐教家がいることを忘れないでいなければなりません。


 勿論、これを読んでいる我が同志が第二のアベルになっていただいても私は全く構わないのですがね???

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「嘗ての偉大な王」

真名:ダビデ―イスラエル史に残る輝きの王

 偉大な王、大王、という風にいくそす。文学で表されるのは、皆このダビデのことを指しています。ダビデはイエスが生まれる更に千年くらい前の人物で、ユダ族の羊飼いでした。ダビデのアメリカンドリームはここでは省略しますが、ダビデはいろいろあった後、神から祝福され、その子孫に救い主、つまりイエスが生まれることを預言しました。

 この時、マリアの処女懐胎のことなどで引っかかる方も多いので、解説しておきますと、イエスと血縁関係にある母マリアは、ダビデの子孫ですが、その嫡子の子孫ではありません。血縁関係がない父ヨセフは、同じくダビデの子孫で、嫡子の子孫ですから、ご本家ですね。

 ただ、本家といっても、長男の長男の長男の…というわけではなかったようなので、当時嫡子の子孫もたくさんいたことは確かなようです。いずれにしろ、イエスは父系社会の中においても、現代の医学においても、ダビデの子孫なのです。

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「嫡子賢王」

真名:ソロモン―罪から生まれた知恵の王

 ダビデの治世はイスラエルの歴史の中で、最も穏やかだったと言われています。ただまったく戦争が起こらなかった訳ではありません。ダビデは戦争を利用し、人妻を寝取り、その間に子供が生まれます。その子供こそがソロモン王です。はい色々な沼ざわざわしない! ソロモンはその出生をネタにされることがままあるのですが、当時のユダヤ社会においては、ダビデ王とソロモン王は、歴史上の人物として、道徳規範にされていました。イスラエルの歴史の中で、優れた信仰心を持つ預言者は沢山登場しますし、イエスがソロモン王について言及したのも、本編で書かれているところくらいです。

 しかしながら、当時のイスラエル人のユダ族の誇りは、自分たちの祖先に、ソロモン王がいることでした。そうでない部族、例えばパウロのベニヤミン族、神殿に仕えるレビ族、そしてユダがいたイッサカル族、これらの部族の誇りは、祖先がイスラエル(=ヤコブ)であることや、モーセであることでした。そんな過去の遺物にすがらなければ生きていけないほど、当時のイスラエル人は弱っていたということですね。

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「過去の預言者」

真名:エリヤ―モーセ以降最大の預言者

 エリヤはユダヤ教の中で、モーセと並び称される預言者です。元々は旧約聖書で、イスラエルの王様たちのことが載っている『列王記』に出てきています。なんか火を降らせたり王様を選び出したりいろいろやったのですが、一番の功績は、バアル(当時の外国人の神)信者との戦いでしょう。バアルの司祭たちは奇跡を起こせなかったのですが、エリヤがヤハウェに祈ったところ、奇跡が起こり、そのために司祭たちは皆殺しに処せられた、という物語です。

 私としてはバアルという悪魔について語りたいところでもありますがそうすると鈍器がry。

 新約聖書では、エリヤが再来したのが洗礼者ヨハネだったり、イエスだったりと思われていたようです。当時もなんたらの再来とかいうカルトじみた考えはあったようですね。また、イエスの変容でも、モーセとエリヤがともに現れ、イエスとおしゃべりをして帰っていったそうです。この辺りは神学的な重要性そのほか諸々が関係してきますが、端的に言うと変容とは、イエスの姿が変わってぴっかぴかになったことです。そのぴっかぴかになったことは、イエスが復活するまで、ペテロ他三名の弟子には他言無用と言われ、秘密にするように言われていました。

 ちなみにペテロはこの時もやらかして怒られています。探してみてね。

 もともと「エリヤ」という名前が「我が神への信仰」という意味でした。なので、イエスが十字架上で「エロイ、エロイ(我が神よ、我が神よ)」と言った時、「エリヤ呼んでるよプークスクスクスwww」と民衆が指摘したシーンもあります。現代の日本人が、『神様仏様!』というような感じで、エリヤは扱われていたと言えるでしょう。


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