和名解説―脇役編

「洗礼者」

真名:バプテスマのヨハネ―最後の預言者にして、キリストの先駆け

 本作ではちょろっとしか出番のない、イエスの従兄にあたるのがバプテスマのヨハネ、つまりは洗礼者ヨハネです。マリアが人類女性史上最大の無茶ぶりの根拠となり、天使が「ほら、神に出来ないことはないんだヨ!☆」と言いました。人を小道具扱いしやがって天使だけにこの人でなし。

 バプテスマのヨハネは聖書では登場する場面が限られており、また登場するシーンも短いのですが、そのセンセーショナルな登場の仕方から、多くの画家のモデルになっています。また、当サークルのふぇちまもりの一種、「とりなしのマリア」では、ベイビーヨハネとベイビーイエスが抱っこされています。

 赤ちゃんなんです。アレ赤ちゃんなんです!!!

 閑話休題。そして本作でも描かれている「イエスの受洗」、あと首。これくらいしか出番がないのに、絵画や近代英米文学でも多くの題材に選ばれています。首が。

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「会堂の管理者」

真名:(不伝)

会堂というのは、主に宗教的な行事を執り行う会場のことで、ヲタク風に言えばビッグ○イトです。その現場責任者と言って良いでしょう。

 「会堂」というキーワードを目にしたとき、多くの信者達は「ヤイロ」を思い浮かべますが、此処で言う「会堂の管理者」は、ヤイロではありません。

 イエスが多くの病人を治したことは、ここでは言うべくもありませんが、この時治して貰った病人についての記述は、何故かルカ福音書にしか書かれていません。元々ルカが医者であったので、病についての記述が多いからでしょう。

 従って、この「会堂の管理者」の発現が明確に残っているのも、ルカ福音書だけです。

 しかしながら、この記述はとても大切です。このシーンは即ち、イエスの行いの社会的な位置づけを明確にしています。

 つまり、イエスは宗教家としての実力を持っていながら、当時の宗教家や関係者にこっぴどく嫌われ、排斥されていたということです。漫画の神様がそんなお医者さんを描いてましたね。

 ここで解説すべきは、安息日の大切さでありましょう。

 現代でこそ、週休二日という言葉はよく知られていますが、この当時の休みは安息日だけです。しかも土曜日。この日を逃すと、七日間ずっと働きっぱなしです。

 コンビニやスーパーは、基本的に三六五日営業ですが、この頃は土曜日に仕事を休み、一日中神へのお祈りをすることが義務づけられていました。裏山。これを守らないでいると、死にます。個人が、ではなく、民族が滅びます。神の定めた律法だからね。仕方ないね。

 逆に言うと、この安息日について、異常なまでの執着や細かい解釈をすることで、高度な教育を受けた宗教家達はより安心感を得ようとしました。そんな人たちのお膝元で病気を治してしまうのですから、KYにも程があるというものです。

 しかしながら、皆が皆、会堂の管理者がイエスを排斥していた訳ではありません。それはヤイロという人です。ついでなのでちょっと触れましょう。

 ヲタクにとってビッグ○イトが特別な会場であるように、当時の会堂長というのは、そこそこに地位のある人です。ビッグ○イトが無ければコミ○も出来ないわけですから、少なくともコミ○スタッフであるイエスよりは立場が上です。そんな人がコミ○スタッフ的立場であるユダヤ人男性にお願い事をするのは、少し滑稽ですが有り得ない話ではありません。しかし徹夜組を介護するコミ○スタッフだと物凄い大問題です。つまりこれは、ビッグサイ○管理者が徹夜組を擁護するコミ○スタッフに土下座をしお願い事をしたということです。

 ヤイロがそんな非常識な事をしてまでイエスに縋った理由は、ここから寧ろ始まるわけですが、今はこれくらいにしておきましょう。

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「頓珍漢」「漁師」「老人」

真名:ペテロ―愚者の中の愚者、選ばれし初代教皇

 ペテロ(Peter)というのは、「岩」という意味のギリシャ語で、イエスがつけた渾名です。アラム語(彼等が日常的に使っていた言語)では、ケファと言います。イエス達が貧困層の生まれである事は前述した通りですが、ギリシャ語は現在の日本で言うところの和製英語のように使っていたと言われています。ペテロの本名はシモン(Simons)であり、これも由緒正しい名前ですが、その辺は省略。間違ってもイスカリオテのユダ(シモンの子ユダ)の父親ではありません。そういう小説があっても私は良いんですけどね!

 さて、今日「ピーター」「ピョートル」「ペテル」など、様々な外国語で翻訳される大人気のペテロですが、この物語の時代はとてもじゃありませんが人気者にはなれそうにない人です。ペテロは明確に、嫁と娘と姑という家族がいたことが書かれているのですが、嫁さんに同情しかしない。でもお姑さんは病気を治して貰ったので、そこだけは頼れる義理息子だったでしょう。そこだけは。

 ペテロの直情径行な面は聖書に数多ありますが、それについて語っていると鈍器が一つ出来てしまうので、此処では省略します。後続の鈍器で、その辺りは割と詳しく書いてあるので、機会があれば探して見てください。あ、間違っても聖書から探そうとしちゃ駄目ですよ、労力の割に書いてある事が酷くてげんなりします。

 そんなペテロが本領発揮、基人気になるのは、ユダの死後です。とある奇跡が、ユダ以外の十二弟子に起こり、彼等は超人になり狂化されて方々へ散っていきます。ペテロはその中でも中心的人物でした。なんでかというとその辺りも鈍器が作れてしまうので、機会があったら鈍器にしようかと思います。

 一つだけ紹介しておくとするなら、ペテロ(シモン)が、そもそもなんでペテロ(ケファ)なんて渾名を付けられたかというと、「教会の礎の岩になる運命のため」という説と、見かけが禿げててごつくて岩みたいだったからという知性を吹き飛ばすとんでもない説があったりします。なので、腐教家としては、某議員の迷言をお借りして、このように紹介しましょう。ガラテヤ(パウロ書簡の一つ)二章十一節の訳です。

「このハゲー! 違うだろー! 私の弟子を傷付けるな!!」(パウロ)

 尚、この時の詳しい状況は、別作「冠の男」にて紹介されていますので、機会があったらご覧下さい。

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「元取税人」

真名:マタイ―金の魔力を知る福音書家

 マタイは本名をレビ(Levi)といったと言われています。このレビという名前も、イスラエル十二部族に登場する名前で、由緒正しい名前です。英語だとリヴァイと発音します。はいそこの人類最強クラスタお静かに! 綴りが違うから! しかしながら、彼はマタイという名前の方が通っています。ただ、このレビとマタイが本当に同一人物だったかというと、諸説あるにはあります。但しカトリック教会を始め、多くの教派が、マタイ=レビを採択しています。どうして名前が二つあるのかと言いますと、私の推測になりますが、一応挙げておきます。

 ユダヤ人は、その歴史において、「新しい自分」に新しい名前をあげます。その切欠は、往々にして|召命≪しょうめい≫です。つまり決意の表れですね。最も分かりやすく言えば、パウロは元の名前をサウロと言いましたし、アブラハムも元の名前はアブラムです。マタイという名前はアラム語起源なので、レビ(ヘブライ語、伝統的な名前)と名付けられたとある取税人が、○ミケスタッフにナンパさrじゃなくて、教団の一員として召し出された時、その感動を覚えておくために、マタイ(神の賜物)という名前を名乗るようになった…と考えるととても胸熱ですが、これについて語り出すと鈍器がry。

 マタイ福音書は新約聖書の一番始めのくせに家系図を並べ立てるという読者の敵みたいなことがあるので、よく嫌煙されます。他にもお金に関する例え話が多く、なんというか、疲れます。おまけに文章が硬い! 読みにくい! ロマンがない!!(個人の感想です)

 しかしそれもその筈で、彼は取税人として、不正をして多くのお金をネコババしていたわけですから、お金の話はとてもよく印象に残っていたのでしょう。また、イエスの例え話は5000兆円欲しい!!!! といった我々の俗物的な欲求に対して、分かりやすいものもあります。大体借金の取り立てとか大金を落としたとかそんな話です。無駄に金額が大きいところがイヤにリアルです。

 ですが、マタイは淡々と話が進んでいくので、芸術との親和性がとても高く、例えば音楽では「マタイ受難曲」という曲を大バッハが作曲しています。合唱曲が好きな人や、楽曲を嗜む人に聞いてみるといいです。ちなみにぱうらの感想は死ぬほど退屈でした(個人の感想です)。だってドイツ語なんだもの…受難なんてそんな楽しい話じゃないもの…死んで終わりなんだもの…。

 あ、この受難曲でもユダの裏切りのシーンは歌われます。根性で起きて聞いてみましょう。

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「熱心党」

真名:《無名》―イスラエル民族の為にイエスを殺す選択をした人々

 熱心党とは、当時のユダヤ社会の最右翼です。弟子の中に「熱心党のシモン」という人が居ますが、ここでの熱心党は、ユダが会話した可能性がある、反イエスの一人として数えています。尚、熱心党のシモンについての詳細を語り出すとry。

 しかしながら、反イエスが、全てが全て一枚岩だった訳ではありません。

 そもそも熱心党とは、宗主国ローマの圧政に対して暴力で独立しようとしていた人です。ですので、本来であればイエスと活動とは関わりがありません。ところが、熱心党がローマに刃向かうためには、反イエスを掲げるその他の集団、パリサイ派、律法学者、サドカイ派、大祭司といった面々に擦り寄る必要がありました。所詮は捨て駒って某オクラも言ってますしね。暴力活動を率先して行う彼等は、仲間を見逃して貰うために法律に擦り寄ったり、或いは武器を得る為のパトロンとして体勢に擦り寄ったりする形もあったことでしょう。いずれにしろ、「イエスを殺す」という目的でのみ集まった烏合の衆です。

 この「熱心党」は、ユダと知古の間柄として表現されていますが、それは「ユダが熱心党の擬人化ではないか」という全ユダ萌えを敵に回す考察から取りました。ちなみに、「ユダとは当時のユダヤ人の有象無象の擬人化ではないか」というry。

 ただ、個人的な事を申し上げれば、この説はあまり有力ではないと思われます。というのは、この説の根拠は、「熱心党は短剣を持った人々と言われる」→「短剣を持った人々はラテン語でシーカリイーという」→「シーカリイーが訛ってイスカリオテになった」というものです。しかしラテン語聖書は中世になり、教会の権力が安定してからの産物で、それまでは古典ギリシャ語を使っています。なので、私はこの説は今回のように、ちょっとした遊び心で使いました。はいそこ、誰にも伝わってない遊び心とか言わない!

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「暴君」

真名:ヘロデ・アンティパス―傀儡政権の王

 ここは誰しもが通る混乱ポイントなので、先に申し上げておきますと、このヘロデはイエスが生まれたときに子供を殺したヘロデ、の、息子です。父親は『大王ヘロデ』、息子は『ヘロデ・アンティパス』と区別されます。嫁さんはヘロデヤで、弟のフィリポから奪い取りました。その時一緒にくっついてきた女の子が、洗礼者ヨハネを殺す口実に利用された娘です。名前はサロメと伝わっています。そこのソシャゲクラスタお静かに! ちなみに、某ソシャゲのサロメは、聖書準拠ではなく、後世のオペラ準拠なので、大分キャラ造形が違いますね。

 父親の大王ヘロデが、建築による治水によって、後世建築王と賞賛される訳ですが、実は息子の方はあまりぱっとしません。そんな事より、イエスを十字架にかけたという事の方が一人歩きしているようにも見えます。

 ただ、大王ヘロデが『新しい王』に怯えて赤ん坊を殺させたことと、ヘロデ・アンティパスがイエスを殺させたことを比べると、どっちもどっちな気がしないでもない。ヘロデ・アンティパスは、救世主を名乗るイエスについて、あまり思うところは無かったようです。ただあまりにも律法学者達が喚いているので、仕方が無く、という印象が拭えません。まあ、この辺りは個人のフィーリングに寄るところも多いでしょう。

 ちなみに総督ピラトとヘロデ・アンティパスだったら私はピラト推しです。

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「弟子の罪人女」

真名:マグダラのマリア―最も罪に愛されたが故に、最も神に愛された女

 マグダラのマリア、別名マリア・マグダレナ。某長編小説でセンセーショナルに知名度を上げ、その後イエスの妻だった説と共に大きく有名になりました。

 しかしながら、マグダレナの存在を聖書からのみ探そうとすると、かなり無理があります。

 といいますのは、「姦通の女」は出てきますが、これがマグダレナであることは明記されていません。

 同じくベタニヤのマリアという女は出て来るのですが、このマリアと油をかけたマリアが同一人物という節もあります。同時に、この油をかけたマリアこそがマグダレナだという論争もあります。

 東方教会の伝承では、マグダレナはローマの皇帝の元へ行き、今日のイースターエッグの文化の基礎を築いたとか何とか。カトリックの伝承では、イエスの死後、マグダレナを中心とした女性のグループが出来ていて、その勢いはパウロに「ステイステイ!! まだだまだだ!!」と言われるほどだったとか。

 そんなわけで決定的なものでこそありませんが、姦通の女=七つの悪霊に取り憑かれていた女=油を注いだ女=イエスの墓に来た女=マグダレナという伝統はあるにはあります。

 しかし、そんなにも重要な立ち位置の女性が、どうしてこんなにもあやふやなのかと申しますと、それは初代教会時代の聖書に理由があります。ただこれについては、各小説において、扱い方が異なりますので、かくまでも『カリオテの男』に限ってのことについて言うならば、彼女は「最も羨ましい恵みを受けた女」である、ということです。

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「皮膚病の男」

真名:ラザロ―癒やされた者、そして、生き返った者

 前項でマグダレナの話をしましたが、実はこのマグダレナが油を注いだ家はベタニヤにあります。で、ベタニヤにも実はマリアがいるのです。ラザロはそのマリアの弟でした。ちなみに、このマリアとラザロの姉は、マルタと言います。はいそこ星のように荒れ狂わない!! 更に言うと、マルタの竜退治は聖書には少しも出てきません。

 閑話休題。

 このラザロを含めた三人兄弟は、以前、イエスが来た際に、飯の支度もせず話を聞き入っていたのをマルタに怒られています。その後、イエスとなんやかんやあって、兄弟は仲直りをし、無事にイエスをもてなします。その後、ラザロが病気になって、死んでしまいます。この時、何の病気で死んだのか、よくわかっていません。らい病(=皮膚病)だったという説しか見たことがないので、とりあえずそのように書きました。

 ちなみに、イエスが生き返らせたのはラザロ以外にもいるのですが、ラザロの場合、生き返ったとき、既に死後四日で腐敗臭もしていました。そこへ大勢の人が見ている前で、墓から出てきてしまったので、その後律法学者たちに殺されそうになったと書かれています。ただ、そのあとのことは聖書には記述がありません。少なくとも姉のマルタが現在のフランスの方に行ったということは、家族総出で殺されることはなかったのでしょう。その後、原始教会のメンバーになったのかもしれませんね。

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「先生の母」

真名:聖母マリア―言わずと知れた、神と呼ばれた人の母

 マリアに関しては、燃えポイントや論文、ガチ勢の説など、紹介しているだけで鈍器が作れます。なので、ここでは『カリオテの男』でのマリアについて絞ります。

 ユダが幻視したシーンに、『漁師』と一緒にいるのがマリアです。ちなみに本編にほとんど出てこないので項目は端折りましたが、ここでの『漁師』は、ペテロではなく、ヨハネという弟子です。この辺りも詳しく書くと鈍器がry。

 クリスマスの印象や、マリア崇拝といった中傷もあり、キリスト教では大きなウェイトを占めるマリアですが、実は聖書にはほとんど出てきません。イエスが生まれる時は勿論書かれているのですが、その後、少年期に一回、旅をしているときに一回、そして、このシーン、つまり十字架上で一回。そしてクリスマスの誕生説話でさえ、すべての福音書に著述があるわけではありません。

 それでもマリアが注目されるのは、マリアが我が子がテロリストとして処刑されることを、出産前に知っており、我が子が死にゆく場面を見ていたからに他なりません。キリスト教、特に東西を問わずカトリック系の教会には、マリアこそがこの世すべての苦しみを経験した女性だと言われていません。どのような苦しみにも理解し、共感できるマリアに、イエスとの仲を取り持ってもらおうという、人の弱さの歴史です。

 ん? イエスに直接お願いしない理由? それを語りだすと擬人化本が一冊出来ますが今ここでやりますか?

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「大祭司」

真名:カヤパ―イスラエル民族を導く心の指導者

 イエスの十字架送りに、最も執心だった人物といえば、カヤパです。ただ、それは私怨や嫉妬というよりも、イスラエルを護る、という意味で、特にイエスの処刑に拘っていました。イエスの項目でも述べた通り、一人のコミ〇スタッフをクビにしてコミ〇を存続させるほうがずっと重要なわけで、カヤパは自分たちの改革よりも、イスラエル民族の存続を選んだというわけです。

 ただ、それはカヤパ達律法学者に自分を顧みるだけの謙虚さが足らなかった…かとなると、そうでもないのではないか、と、思います。

 いやだってさ、自分たちは法律を守って、清く正しい生活習慣を定めて、生贄を捧げたりして、日々神の助けを待ち望んでいるわけですよ。そんなところに、イエスのような徹夜組を助けるコミ〇スタッフなんていたらさ、コミ〇、じゃなかった、イスラエル存続の危機なわけですよ。そりゃ一人を殺して百人を救いますって。

 しかしながら、カヤパら律法学者が、まったく気づかないのは、やっぱり自分たちこそが正しいという思い込みも少なからずあったとは思います。実際律法学者たちの中にも何人か、イエスの話を聞きに行ったり、イエスが死んだあとの世話をしたりといった人はいましたからね。

 カヤパ達が一番極悪に見えるのは、やっぱり民衆を焚きつけたところでしょう。自分たちだけでは、理屈で勝てないことが分かっていたからです。それはイエスが正しいとか正しくないかというよりも、自分たちが勝てないということのような気がします。自分たちが勝てないというのは、それはつまり、自分たちが民を正しく導けていないか、或いは狡猾な悪魔が来てイスラエル民族を堕落させ、今度こそ滅ぼされるように唆しているか、そのどちらかということになります。カヤパ達は、後者であると決めたというわけですね。

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「総督」

真名:ポンティオ・ピラト―十字架刑を下した聡明なローマ人

 ピラトは『カリオテの男』の中で、唯一の外国人です。彼はローマの総督で、要するに地方自治を任されていた政治家でした。この人はコプト教会(エジプト)では聖人として尊敬されています。理由は、イエスの十字架の手伝いをしたからです。でもこの教会でも、ユダは祭ってくれてません。解せぬ。

 史的イエスと言って、イエスが神のうんたらではなく、歴史上にいた一人の男として研究する学問があるのですが、それに曰く、ピラトの時代に、確かに「三人を十字架刑にした」という事実があるそうです。当時十字架刑は最も重い処刑方法だったため、宗主国の許可が必要でした。それはイスラエルも例外なく同じです。ピラトが地方自治の政治家として最も恐れることは、自分が監督している間に、暴動が起こることです。カヤパたちはこれを利用し、ピラトを脅してイエスを十字架にかけることに成功します。

 しかしピラトは、イエスを尋問した際、イエスが無罪だという確信を得ています。そこで民衆に直接、何度も説得をし、鞭打ちで勘弁してやれ、とも言うのですが、最終的には十字架刑を許可してしまいます。この日の朝、彼の妻クラウディアが悪夢にうなされ、イエスの裁判をそもそもしないように、と、訴えたという伝説が残っています。ピラトからしてみれば、正義と保身を天秤にかけ、保身を選んだわけですから、さっさと終わらせたかったのですが、律法学者たちが罪状書きを読んで、「これじゃやだ」と持って行ったところガチギレしたということも書かれています。その後、凝りもせずに律法学者たちがやってきて、「復活するらしいから兵士貸して」と、罪悪感のオーバーキルをしてきます。可哀想。

 ところで、これらの出来事が起こっていたのって、|過越祭≪すぎこしのまつり≫の時なのですが、この時は全てのイスラエル人がエルサレムに集うんですよね。それはヘロデ・アンティパスもそうです。十字架刑を下した後、ヘロデ・アンティパスとピラトは仲良くなった、と書いてあります。

 はいそれではすべての腐女子、位置について、よーい、ファイッ!

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