魔力症


 ――という事を三歳になった俺は、病に臥せっているベッドの上で思い出した。


 いや、熱に侵された頭で見た夢だったのだろうか?

 それとも、あの病室で見ている夢が今なのだろうか?

 なんだかよく分からなくなってきた……


 改めて室内を見廻してみる。少し広めの部屋に低いテーブルとソファ、クローゼット、花瓶に生けられた花、閉じられたカーテンなど……


 確かに今までこの部屋で過ごしてきた記憶がある。

 前世の病室で暮らしてきた記憶もある。

 そして、あの巨大なクリスタルとの会話も……

 ――転生して記憶の消去に失敗したのか。


「そういえば……」


 クリスタルとの会話で、すぐに『スマホを具現化できるようになる』と言われたけど、もうできるのだろうか?

 なんとなく右手を布団から出してみる。見ると、手の甲に小さな赤い斑点がいくつかあった。


「なんだろうこれ?」


 左手の甲にも赤い斑点があった。触れてみるが痛くも痒くもない。ただ、これが発熱の原因なのだろうと思った。


 ――また病弱な人生だったら嫌だなと思いながら、天井を見る。


 そもそも“具現化する”とは、どういう意味なのだろう?

 もっと詳しく話を聞いておけばよかった。

 確か、魔法があるんだったよな……呪文でも唱えるのだろうか?


「えーと、『黄昏よりも昏きもの――』……後なんだったっけかな」


 よく考えたらこの呪文、前世のネタ動画で、詠唱中に茶々が入るってパターンのシリーズ物で、最後まで聞いた事が無かった。

 元ネタも知らないし、何の呪文なのかもわからない。


 その後、チチンプイプイとかアブラカダブラとか呟いてみたが、特に変化はなかった。


 何か、根本的に違うような気がする。だいたい、違う世界に生まれ変わったのだから、この世界なりの呪文があるはずで、先程までの呪文では何の効果も得られないのではなかろうか。


「スマホか……」


 使っていたスマホを思い出す。縦14センチ、横7センチ、幅は1センチも無いかな? 7ミリくらい。

 電源ボタン、音量ボタン、ホームボタンがあって背面は白くカメラとライトが付いていて、画面はタッチパネルで……後は指紋認証とかあったなぁ……


 と、その時、全身にゾクリとした悪寒が走った。

 足元から何かが這い上がってくる感じ、左手の指先から肘、肩を伝い、腹や胸の辺りからも何かが右手の先に集まってくる。その右手を見てみると、淡い光を発していて、やがてそれが何かの形を成そうと――


 “コンコンコン、ガチャ”


 ハッとして音のした方に振り向く。


 ノックの返事も待たずに扉を開けて入ってきたのは、淡い金色の髪を腰の辺りまで靡かせた碧い瞳の女性だ。すっと通った鼻筋に、柔らかな目元は優しさを感じさせる。

 この世界の基準はまだ分からないが、年の頃はおそらく二十台前半といったところだろう。


「――母さん」


 彼女はこの世界での俺の母親であった。


「あら? レオ、起きてたのね? 具合はどう?」


 そう言って母は、俺の枕元に近づくと額に手を当ててきた。


 レオというのが今の自分の名らしい。らしいというのは、他にレオンと呼ぶ人もいるのだ。前世を思い出すまでの俺は、どちらで呼ばれようとも気にしてなかった。

 アホなのか大雑把なのか……おそらく前者であろう。


「母さん、病気が移るよ?」


 そう言うと、母は嬉しそうに目を細めた。


「まぁ! レオ、難しいことを知っているのね。そうね、病気の人に無暗に触れるのは良くないわね。でもね、大丈夫なの。私もレオの様に小さな頃“魔力症”に罹ったのよ? いいえ、大人は皆一度は罹ってるの。そして、一度罹ればもう二度と罹らないのよ?」

「――魔力症?」


 前の世界でもそんな病気があったな。子供の頃に一度罹ると二度と罹らなくなるという病気が。


 でも本当は、その病気に対する抗体が十年以上、体内で維持されている為、またその病原体に接触する度に、抗体が更新されていくのでその病気に罹らなくなるという。

 なので人によっては病原体に全く触れない生活環境だと、二度も三度も罹ったりするらしい。


「そう魔力症。よかったわね? これで無事に症状が治まれば、レオもこんなことが出来るようになるわよ?」


 母が手にしていた小さな生地を目の前に持ってくると、徐々に湿り気を帯びてきて更に手を翳すと凍り付く。そしてそれを俺の額に乗せてくれた。

 これが魔法だろうか?


「気持ちいい……」

「ふふ。レオ、一応お医者様を呼んではいるけれど、とにかく今は魔力症が治まるまで部屋で安静に――」


 と、母がそこまで言いかけた時。

 バーン! と勢いよく扉を開けて部屋に入ってきたのは五歳くらいの少女だった。

 母と同じ淡い金髪だが、瞳の色は紅く少し釣り目で気が強そうに感じさせる。ただ、鼻の形が母とそっくりで親子だなと思わせた。

 彼女は自分の姉である。


「まぁ! エリー! 淑女がはしたない! キチンとノック位なさい」

「げっ!? お母様!? もう来てたのね……申し訳ございません。そんなことよりも、マーサ! はやく、はやく!」

「そんなことって貴方ね……」

「まぁまぁ、奥様、坊ちゃま、騒がしくして申し訳ございません。お嬢様、病人の部屋に入るのですから静かに入室してあげませんと――」


 そう言いながら新たに部屋に入ってきたのは、四十代くらいの恰幅のいいおばさんで、手にはお盆とその上に食器を載せて持っていた。

 この人はよく掃除していたり、洗濯物を干しているところを見た憶えがあるので、おそらくお手伝いさんとかそういう立場の人なのだろう。


「マーサ、はやくそれを貸して。わたしがレオに食べさせてあげるの!」


 姉はそう言ってマーサから食器を受け取ると、匙で何かを磨り潰したものを掬い俺に差し出してきた。


「ほら、レオ、あーん」


 言われるがままに口を開けると、匙を突っ込まれた。もう少し優しくして欲しいものだ。


 ……なんだろう? 昨日の夕方に熱が出たので、夕食も食べずにそのまま寝込んでいた。しかし、朝も昼もその前の日だって食事をしてきた筈なのに、口の中にじわっと広がる果物の風味に、物凄く久しぶりに物を食べた気がした。

 そして自然と目から涙が零れた。


「レオ!」

「坊ちゃま?」

「エリー! 貴方、まさか……!」


 姉とマーサは慌てふためき、母は姉を睨んでいる。どうやら母は、姉が俺に悪戯したのだと思ったらしい。ここはフォローしておかないと、理不尽な叱りによって姉がグレてしまうかもしれない。


「姉さんありがとう。すごく美味しい」


 姉から食器を取り上げ、パクパクと食べる。二口目、三口目と口に入れるが、先程の衝撃的な感動は無かった。

 もしかすると、前世を思い出したせいで、物を口にする事が出来なかった、点滴生活の方に心が引っ張られていたのかもしれない。


「でしょう? 美味しさの秘密はね、すり下ろしたリンゴにほんの少しハチミツを入れてあるのよ!」

「リンゴとハチミツ……まるで『カレー』だね」


 母とマーサはポカンとしていたが、姉は眼を見開いてこちらを見つめていた。


「レオ、あなた、もしかして――いえ、今はいいわ。早く元気になりなさいよ!」


 そういって、姉はスタスタと速足に部屋を出て行ってしまった。

 なんだったのだろう?


「あの子どうしたのかしら?」

「さぁ? 昔からお嬢様は少し変わっておいでですので……」


 そういえば先日もこんな事が……と、母とマーサがなにやら姉について話し合っていたが、食事を終えた俺は眠くなってきて、殆ど聞いていなかった。




「……進行具合から見るに、恐らく……」

「……それでは、あの子と同じ……」


 ――誰かの話声で、眼が覚めた。いつの間にか眠っていたようだ。窓の方へ眼をやると、カーテンと窓は開け放たれており、夕暮れ時なのか空が紅く染まっていた。


「おや? 少し、うるさかったですかな? 初めまして、様。儂は医師のダニエルと申します。御加減は如何ですかな?」


 目覚めた俺に気付いたのか、薄い頭髪も、太い眉も、豊かな口ひげも真っ白な老人が話しかけてきた。


「特には……少し熱っぽいかな……」


「ふむ、それは魔力症特有の症状ですな。未だこの魔力症に対する療法、特効薬の様なものは発見されておりませんので、我等医師の力の及ばぬところです。――良いですかな? レオンハルト様、心して聞いてくだされ。この魔力症のみで命を落とすことはまずありません。しかしながら、他の病気や大きな怪我等と併発することで多くの者が命を落としております。ですから、できるだけ部屋で安静にしていてくだされ」


 ゆっくりと俺は頷いた。流石に命を落とすとあっては、大人しくしているしかないだろう。


「それから、貴方様に起っておる症状について少し説明しておきましょう。一般的に魔力症は、小さな赤い斑点が全身に広がると治まるのですが、その期間は凡そ三日程です。貴方様の場合、昨夜発症したにしては進行具合が非常に遅い。私の見立てでは長くて十日程、今の症状が続くと思われます。幼い子に十日近く大人しくしているように言うのは酷かもしれませんが……」

「大丈夫よね、レオ。あのエリーでさえ、魔力症の期間は大人しくしていたのですもの。あの子も魔力症の期間は十日以上あったのに、今は元気に走り回ってるでしょう? レオだってきっと大人しくできる筈よね?」


 なにやら有無を言わせぬ笑顔の母に問われると、頷くしか出来なかった。


 ――くれぐれもご自愛ください、と言って退室していく医師を見送っていた母が戻ってくると、俺は気になっていた事を尋ねた。


「ねぇ母さん、俺の名前ってレオンハルトっていうの?」


 母はキョトンとした後、笑顔で答えてくれた。


「あら、教えていなかったかしら? そうよ、貴方の名はレオンハルト、レオンハルト・グローサー。このグローサー子爵家の長男になるのよ」



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