スマホ


 昔々、この地を荒らす竜がいた。竜の力は強大で、その爪は山を崩し、その脚は大地を割き、その翼は嵐を起こし、吐く息は全てを燃え上がらせた。

 幾人もの猛者達が竜に挑んだが、誰一人として生きて帰る者はいなかった。人々は恐怖と絶望の中で暮らしていた。


 ある時、何処からかやって来た一人の若者が竜に挑んだ。誰もが、数多の猛者達と同様に帰らぬ者となるのだろうと思っていた。


 しかし若者は違った。竜の爪を盾で弾き、竜が大地を割くと空を駆け、竜の起こす嵐を氷の壁で隔て、竜の吐く炎の息を、大粒の雨を降らせて消し去った。


 そして若者が手を振るうと、稲妻が竜の鱗を貫いた。本気になった竜と若者の戦いは七日七晩続き、やがて若者が炎を模した不思議な剣で、竜の首を刈り取り、戦いは若者の勝利に終わった。


 人々は歓喜し若者に感謝した。そして弱い自分達を導いて欲しいと若者に懇願した。若者は快くそれを引き受け、この地の王となった。


「――その王様の興した国がこの地、レーベンリッヒという訳ね」

「へぇーホントに竜っているの?」

「さぁ、それは私にも分からないわ。私が子供の頃、物凄く高い高い空を飛んでいるのを見たけれど、それは鳥だったのかもしれない。でも、今でも時々思うわ、もしかするとあれは、竜だったんじゃないかって……」


 魔力症になってから九日が経っていた。小さかった赤い斑点も随分と大きくなり、もう少しで全身に広がりそうだ。

 そして俺は暇を持て余していた。


 この家、驚くべき事に、テレビも無い、ラジオも無い、インターネットは何者だ? という信じられない程の田舎にあるみたいで、余りにも退屈だったのだ。


 更に困ったのは、母がこの部屋に机や椅子、ソファ等を運び込んで、常に居座っているのだ。俺が何かしようとする度、大人しく寝ていなさいと言って来るので、ある意味、軟禁状態と言える。


 姉が大人しくしていたと言っていたが、母がの間違いではなかろうか。


 この数日間、あのゾワゾワっとした感覚を続けていけば、スマホが出来るんじゃないかと考えていたのだが、母がいる手前、それは躊躇われた。


 何故かと問われれば、何となく、としか答えようが無いのだが、強いて理由を挙げるなら、魔法について教わっていないのに、魔法を使うのはおかしいからと言ったところか。


 なので退屈凌ぎも兼ねて、魔法について尋ねてみたのだが、何故か御伽噺が出てきた。


「話が逸れたわね。それで竜に対抗した術を、王になった若者から人々は学んだ――それがの始まりという訳」

「王様は誰に習ったの?」

「さぁ? そんなこと考えもしなかったわ……もしかすると、王族なら知っているのかもね?」


 良くある話……かどうかは分からないが、権力者が自身の権威を守る為に創り上げた、或いは元の話を自身に都合の良い話に摩り替えたのかもしれない。

 ただ、分からないのは……


「ねぇ、母さん、どうして王様は他の人たちに魔法を教えたの? すごく強い竜すら倒せるんだ。それほどの強さの秘密を、流れ者だった王様が、簡単に教えたりするのは変じゃない?」

「レオは細かい所が気になるのねぇ。私が子供の頃にこの話を聞いた時は、王様スゴーイ位にしか思っていなかったのだけれど。この話にはもう少し続きがあってね、簡単に言うと、竜だけじゃ無くて、魔獣、魔物と呼ばれる生き物もまた、人々の脅威だったの。そしてこの広大な土地を、王様一人で治めるのには、とてもじゃ無いけれど人手が足りなかった。それに、王様も最初は仲の良い人だけに教えたのじゃないかしら? それが、貴族の発祥の元となったとされてるのよ。――ああ、それと王様が教えたのはであってじゃないわよ?」

「魔法と魔術に何か違いがあるの?」

「ん~そうねぇ……」


 母は徐にソファから立ち上がると、自身の机に向かった。

 机の上にはマーサ含むお手伝いさん達が持って来たいくつかの書類と、書き掛けの書類がある。一度、暇潰しになるかと思い見せて貰ったが、全く読めなかった。


 母が机の上に置いてあったランプを手に取ると、俺が寝ているベッドの側に置いてある椅子に座り、ランプの側面に付いているレバーハンドルの様なものを捻る。ジジッと音がするとランプに火が灯った。


「これ位かしら……」


 そう呟きながら、母は右手の人差し指を上に向けると、そこに小さな火が熾る。


「この指先から出てる火がで、このランプに灯ってる火が。違いが分かるかしら?」

「人の手から発生させているのと、道具を使う……ってこと?」


 母は、手を振るって火を消すと、俺の頭を撫でながら答えた。


「そう、人の魔力で直接行使する現象を魔術と呼ぶの。そして、このランプの中には魔紋と呼ばれる、特殊な紋様を刻んだ金属の板が入っているわ。そこに魔石という魔力の籠った石から魔力を流すことで火が付くようになってるの。この魔石を用いることを魔導と言って、魔導を使う道具だから魔導具なんて呼んだりするわね。つまり魔術と魔導、どちらも魔力を用いるのだけれど、人か、魔石かの違いね」

「へぇ、じゃあ魔法は?」

「魔法はもっと大きな括りのこと。魔力を扱う方法が魔法。魔術と魔導どちらも魔法だけれど、こういう細かな違いは今からキチンと覚えておくといいわよ――レオが大きくなって、に行く頃にはきっと役に立つ筈だから」


 ――と、そんな話をしていると、部屋にノックの音が響く。

 母が返事をして出迎えると、そこには紺色の髪の二十代前半の男性、父がなにやら深刻そうな顔をして入ってきた。母と二言三言、言葉を交わすと、


「レオン、母さんを借りるよ、ごめんね」

「レオ、マーサたちに良く言っておくから、部屋で大人しくしているのよ?」


 そういって、二人して部屋を出て行ってしまい、俺は一人になった。


 そうして、このタイミングを見計らったかのように身体が火照ってきた。徐々に熱くなっていく身体に汗がダラダラと噴き出る。遂に魔力症が全身に広がったのかもしれない。ウンウンと唸りながら、俺はベッドに臥せた。




 ――やけに喉の渇きを覚えて目が覚める。サイドテーブルにある水差しを手にすると、コップを使うのももどかしく、注ぎ口から直接ガブガブと飲み始める。何かの果物が入っているのか柑橘系の香りがした。


「ゴホッ……ふー……」


 人心地ついた俺はベッドに腰掛ける。何時の間にか気を失っていたようで、室内は暗く、母の机の上のランプだけが淡く灯っていた。


 あれだけ汗をかいていたのに、着ている物は新しくなっていて、ベッドのシーツも取り換えられているようだ。後でマーサ達に礼を言っておこう。


 仄暗い部屋の中で自身の両手を見てみる。薄暗いので確信は持てないが、どうやら肌の色は元に戻ったようだ。


 その証拠かどうかは分からないが、身体の奥からコンコンと力が溢れてくるような、そんな気がした。漲る力に、駆け回り、飛び跳ねたい衝動に駆られるが、今は夜中だと思い自重する。


 魔力症は治まったのだろう。前世からの事を思うと、健康な身体に成れたのが殊の外嬉しかった。


「あ、そうだ」


 今、部屋の中には自分一人だけだ。つまりはスマホを“具現化”しても誰にも咎められはしない。


 自分の使ってたスマホをイメージする。また、あのゾワッとした悪寒があるのだろうと身構えていたのだが、手に淡い光が集まると、それがスマホを模った。


 思いの外、簡単に、悪寒も無く、まるで呼吸をするかのような自然さで、具現化できたのに驚く。


 材質というか、質感というか、とにかく手触りが使っていたスマホと似ていて良くできているなと思った。


 早速、電源ボタンを長押ししてみる。見た事の無いロゴマークが表示された後、ほんのりと明るくなった画面。

 が、アイコンが一つも無い。どういう事だろう? と疑問に思っていると、


「初めまして、我が主」


 それは機械的な、それでも男性と分かる音声だった。


「スマホが喋った……?」

「肯定。私は主の具現化能力を補助する為、あの方から与えられた疑似人格です」

「あの方……? 大きなクリスタルのこと? そういえば、名前を聞いてなかったな」

「肯定。あの方に特に決まった名はありません」

「そうなんだ? それよりも“具現化能力の補助”って何?」

「人の想像力は無限大に近いですが、記憶力はその限りでは有りません。私には主が具現化した物を、記録、保持、再現、更新する為の能力が備わっています」

「ふぅん……例えば俺が何かを具現化して、それを再び具現化する時に、君を頼れば、一から創り直さないでも具現化出来ると……更にそれに何か変更を加えればそれも覚えていてくれる、で合ってる?」

「肯定」


 成る程、これは便利だ。何しろ変身ヒーローのデザインは複雑だからなぁ。いくらテレビやDVD、配信動画なんかで何度も観たとはいえ、大まかなイメージはできても、流石に詳細までは覚えてはいない。


 具現化に関しては未だ要領を得ないが、これは大きな助けになるだろう。


「それはそうと、アイコンが一つも無いのはどうして?」

「回答不能。“アイコン”とは何ですか?」

「へ? 電話とかメール、ブラウザなんかを起動するための、マークというか記号というか図形というか……」

「“電話”“メール”“ブラウザ”に関する情報がありません。“マーク”というのは記号、又は図形という意味ですか?」

「え!? 何で知らないんだよ!?」

「回答。私には具現化に関することと、主が生まれてからの約三年半の、主が見聞きしたことに関する情報しか備わっていません」


 おおぅ、なんて事だ……こんな片田舎に生まれたばかりに、ネットが使えそうにないとは……


 元々、電話やメールなんて殆ど使っていなかった。メールアドレスなんて、無料ゲームや動画配信サイトの会員登録するための記号でしかなかった。

 インターネットが使えないのなら、これから俺はどうやって暇潰しをすればいいんだろう?


 しかし、おかしな話だな? 俺の偏ったイメージかもしれないが、田舎の家というのは、ボロっちくて、汲み取り式のトイレ、ドラム缶風呂、竈で飯を炊くみたいな感じだ。


 それがこの家には、室内風呂も水洗のトイレもある。炊事場にはコンロの様な物があった気がしないでもないが、入ると追い出されるので、詳しく見ていないので分からない。


 マーサ達の様なお手伝いさんを雇えるのだから、それなりの稼ぎはある筈だ。この違和感はなんだろう?


 ふと、母の机にあるランプを見る。確か、魔石という物を使ってるんだったな……明かりを取るのに“火”を使っている?


「あ!」


 違和感の正体に気付いた。この家には“電気”が無いんだ。


「電気が無いんじゃ、テレビもラジオもパソコンも使えないよなぁ……」

「質問。“テレビ”“ラジオ”“パソコン”とは何ですか?」

「うん? う~ん、娯楽用品……? いや、情報を得る為の端末の一種……? 一言で説明するのは難しいなぁ。かと言って、百の言葉を用いても説明できる気がしない。正に『百聞は一見に如かず』だなぁ」

「“百聞は一見に如かず”とは何ですか?」

「百回聞くよりも、一度見た方が理解できるって意味さ。その後には、百見は一考に如かず、百考は……」


 そんな会話をしていると、小さなノックの音が扉から響いた。俺は慌てて、少し待つように返事すると、小声でスマホに問い掛ける。


「今から、誰か部屋に入ってくる。君の存在を隠しておきたいから、暫く喋らないでいられるか?」


 テレビもパソコンも無いような家で、スマホを持っているのがバレると色々と面倒そうだ。


「可能。そして提案。私の存在を隠すのなら、私を消すのをお勧めします」

「消す? どうやって?」

「現在、私の身体は主の魔力で構成されており、存在を維持するのに、主から魔力の供給を受けています。魔力の供給を絶つか、或いは、私を具現化した時の様に念じれば消える筈です」

「魔力の供給ってのはよく分からないけど、具現化した時の様にすればいいんだな」


 そうして、スマホが消えるようにイメージすると、空気に溶けるようにサラサラとスマホが消えていった。


 これで何時でも何処でもスマホが使えるようになったのを喜ぶべきか、アプリが一つも入っていないのを嘆くべきか、そんな取り留めもない事を考えながら、俺はノックした人物を出迎えるのだった。



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