第十節 髑髏の男

 先生はエルサレムで、税金を納めるべきかという質問をされた時、皇帝の像が彫られた銀貨をご覧になり、皇帝のものを皇帝に、神のものを神に返せと言われた。わたしの手の中にある銀貨はデナリ銀貨だから、皇帝の銘である。しかし、わたしはこれを代価に先生を売ったのだ。だから、わたしはこれを先生に返さなければならない。わたしは神殿の祭司長に、銀貨を突き返したが、彼らは受け取らなかった。

「わたしは罪を犯した。罪のない人の血を売った。その懺悔の為に、これを受け取ってほしいのだ。」

 わたしは何度もそう言ったが、彼らは取り合わなかった。

「私達の知ったことか。自分で始末することだ。」

 先生を捕らえることが出来たので、彼らはもう、わたしに対して何の価値も見出していなかったのだ。

 袋から銀貨を鷲掴みし、床に叩きつけた。

「わたしは今、神のものを神に返そう!」

 袋を僅かに残った銀貨ごと床に叩きつけ、神殿から飛び出した。

 胸をかき乱されていた。わたしが裏切り者だという事実。わたしが先生を売ったという真実。わたしは酷く動揺して、また興奮していた。わたしは心の安定を求めるかのように、狂人のように夢中で走り回った。空は白み、朝日が昇っていく。わたしは夜が明けるまで、ずっと走りまわっていたのだ。

 わたしはいつの間にか、エルサレムの広場に来ていた。どうやら、夕べ捕まった罪人が登場しているらしい。すぐに先生の事だと分かり、わたしはその中に飛び込んだ。すると、突然、民衆が叫んだ。

「十字架につけろ!」

 ホザンナと、ろばに乗った王を賛美したエルサレムの人々が、今度は同じ人を殺せと喚いている。律法学者たちに先導されたのだろうが、その愚昧さにわたしは頗る不快感を覚えた。

 よいしょ、と背伸びをすると、先生と、総督が見えた。総督が言った。

「この人が、どんな悪い事をしたというのか。」

「十字架につけろ!」

「十字架につけろ!!」

「十字架につけろ!!!」

 民衆はますます燃え上がる。先生の教えを何度も聞いた民衆が、先生の教えを一つも聞いたことのない総督の判断を聞こうともせず、あおりたてている。このままでは暴動になるかもしれない。総督もそう思ったのか、水を取り寄せさせて手を洗い、言った。

「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するが良い!」

 すると民衆はとんでもない事を言った。

「その人の血は、私達や子供たちの上にかかっても良い!」

 ああ、なんと愚かな。

 わたしはいつぞやの父の言葉を思い出した。ああ、お父さん、貴方の息子は愚かでした。わたしたちイスラエルの民は、父祖を同じくする家族なのだ。もしわたし一人が裏切れば、それはイスラエルの民全ての罪となる。そして異邦人たちは、それを根拠にして、わたしの代わりに、わたしの妹たちや甥姪、その係累をすべて殺し尽くすのだ。


 わたしはその民衆の中から抜け出した。こんな汚らわしく低俗な連中と、同じ空間にいたくなかったからだ。そこでわたしは、遠くから先生の様子を見ることにした。先生が連れて行かれるだろう場所は分かっている。十字架刑ならば、大抵はあの髑髏と呼ばれる場所で行われる。わたしはその丘がよく見えるところまで走って行った。

 その時のわたしは、どちらかというと野次馬のような感覚で、決して先生が気になるからとかそういうものではなかった。否、わたしはその時、何も考えていなかった。わたしはあの三年前のガリラヤで、たまたまあの洗礼者の見える道を行った時のように、わたしはその丘の見える場所に来ていた。

 太陽は出ておらず、辺りは薄暗い。ちょうど、あの日先生が洗礼を受けたときと逆の事が起こっている。先生が磔にされると、辺りが暗くなったのだ。丘に三つの巨大な十字架が立っているのが見えた。中央に先生らしき男が磔にされている。あまりに遠くて、わたしはそこから、また走って先生に近付いた。

 十字架の下で、漁師と先生の母が二人対になっているのが見える。薄暗くて、先生の細かい表情は分からない。けれども、わたしはその時、先生の眼がわたしを捕らえたことを悟った。

 民衆たちはまだ、先生を罵っている。ユダヤ人の王と嘲笑い、預言者や神を呼べと挑発している。わたしは何故か、彼らが人間ではなく、わたしだけが見ている幻影のようにさえ思えた。

 わたしがもう一度、先生を見ると、変わらず先生はわたしを視ておられた。何かを伝えるかのように。

 わたしは引き寄せられて、民衆に近付き、後ろの方でもう一度先生を見上げた。今度は、先生の汗の雫まで見える。元々わたしの目がいいというのも多分あるが、まるで目隠しをとられたように、わたしの目は良く見えていた。

 と、わたしから見て右に張り付けられた男が、先生に言った。

「貴方は救い主ではないか? 自分と私達を救え!」

 なんと図々しい強盗だろうかと思ったが、すぐに左の男が反論した。どうやら仲間だったようだ。

「お前は神をも恐れないのか…。お前も同じ刑罰を受けているではないか! 我々は自分のしたことの報いを受けているのだから当り前だ。だがこの方は―――。」

 そこから先の言葉が、妙に鮮明に頭に響いた。

「悪い事は何もしなかったのだ。」

 わたしはもう一度先生を見た。先生はやはり、わたしを視ておられる。

 その時、わたしの首を絞めつけていた頸木くびきが、パキンと音を立てて割れた。


 今、ようやく分かった。先生は確かに、わたしを見捨てたわけではなかったのだということが。先生はわたしを、追い詰めるために、惨めにさせるために、裏切らせたのではなかったのだということが。この裏切りという行為が、わたしを救う方法だったのだということが。

 わたしは、初めから、先生に惹かれてなどいなかったのだ。先生を愛しながら憎んだのではなかったのだ。

 わたしは、初めから、先生を妬んでいたのだ。

 先生のようになりたいと思ってなどいなかった。わたしは先生のいる座に就きたいと思っていたのだ。そのためには、先生は邪魔だった。自分以外に完璧な人間などいらなかったからだ。

 ただ、それを認めたくなくて、愛やら憎しみやらに、自分を取り繕っていただけ。本来違う本質の、妬みという感情に、更に偽りの感情を乗せた。だから苦しかったのだ。わたしは嫉妬深いということを自覚してはいたが、認めてはいなかった。全ての苦しみは、先生が取り除くものではなかったし、わたしが得て、失せるものではなかったのだ。

 わたしは、気づくべきだったのだ。気づくことが出来れば、認めることが出来れば、この苦しみはなくなったのに、わたしは先生を妬んでばかりで、その様な答えにたどり着かなかったのだ。

 先生への罵声が不愉快だったのは、わたし自身が、その罵声にどこか賛同していたからだ。ただそれを認めたくないから、不愉快だったのだ。

 いつまでも気がつかないわたしに、先生はどんなお気持ちだったろうか。今、手首と足首を釘で貫かれながらも、先生はわたしを気にかけてくださっている。わたしはこんなにも醜い心を持っていたのに。先生の死すら願ったというのに、先生は全てを許して下さるような眼でわたしを視ている。

 裏切りで持って、わたしを気付かせ、死でもって、わたしを救わんとしているわたしの先生を、わたしは初めて、心から誇りに思った。わたしの目から、涙が流れた。

 どれくらいそうしていただろうか。民衆の罵声も枯れてきたころ、先生はふと、空を仰がれ、大声で叫ばれた。

「我が神、我が神、どうして私を、お見捨てになったのですか。」

 そうして、先生は息を引き取られた。

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