第三節 安息の男


 わたしの後にも、弟子は増えた。先生があまりにも沢山のことをするので、偽善者たちは面白くなさそうに、先生の粗を探しに来ていた。何人かの弟子達は、本当に彼らに食ってかかり、訴えられようとしたこともある。わたしは先生にこっそりと近づいて、彼らを罪に問われない為に、役人達に賄賂を渡して黙らせた。あの弟子共がどうなったって、わたしの恋にはなんの関係もない。だがそれによって、わたしの踊り子の身体が不躾な視線で汚されるのがいやだったのだ。

 わたしがそれについて憂慮していると、ある晩先生はわたしに言われた。

「賛美の子よ、気になるのですか。」

 先生は、時々わたしの事をそう呼んだ。わたしの名前が『賛美』という意味だからだろう。実を言うと、もう一人、わたしと同名の弟子がいたのだ。ただ彼は、わたしと違って社交的だったので、わかりやすいように愛称で呼ばれていた。しかしわたしは、帳簿と先生の織りなす踊り子しか見つめていなかったので、先生以外にこのように呼びかけてくれる者はいなかった。そして先生がこのように言うときは、決まってわたしと二人きりの時だった。わたしはそれがたまらなくたまらなかった。

「それは、まあ、蝮の子ですから、何をするとも分かりません。」

「何故それを貴方が気にかけるのですか。」

「わたしは、先生に傷を付けるモノは何たりとも許せないからです。もし御身が穢されるのだとしたら、それは先生が父なる神の御意志を否定した時以外に考えられません。ですが、そのように先生だけが分かっている裁きや罰よりも、わたしは先生が有象無象に蔑ろにされたり軽んじられたり、唾をかけられたり辱められたりされることの方が嫌なのです。」

 貴方様の言葉は、うつくしいのだから。

 そんな恋の告白のような一言は飲み込んでおいた。先生は微笑んだとも、溜息をついたとも分からない声を出し、わたしの右頬に手を添えた。

「私が負けると思うのですか。」

「いいえ。」

 その否定の言葉は、酷くすんなりとわたしの胸から出て行った。まるで舌を通さずに、心からぽろんと抜け落ちたかのように。わたしはなんだか照れくさくなり、慌てて言葉を続けた。

「先生は約束のお方ですから、そのようなものに負けることはありません。」

 わたしが定めた、人民の王。いと高き所に座す王の中の王は、確かにこのお方だと、わたしは何の根拠もなく、歌を口ずさむように答えた。先生を讃える言葉に、理性も思考も必要ないのだ。歓びに囀る雀のように、水を得た牡鹿のように、谷川を流れる水のように、口からこぼれて止まらない意味の無い言葉の羅列を、先生は全て拾い上げて、水の糸で紫の衣を織って下さるのだから。

「その通りです。」

 先生は肯定された。そしてとても、満足そうなお顔をしていらっしゃった。きっとこのように答えてほしかったのだろう。先生の期待に応えられた事が嬉しい。

 先生は時々、妙なことを妙な自信を持っておっしゃっていた。それはある種の予言であり、またわたしという人間を見据えてのことだったのかもしれないと、わたしは全てが終わってからふと思うことになる。


 ところで話は世俗のことに戻るが、七日間の一週間の、その最終日は安息日と呼ばれる。安息日は、我々の祖先がエジプトからの帰り道、石に律法を刻んだ、主のお決めになられた神聖なる休息の日。その日は、医者は命に別状のない病人や怪我人を癒してはならず、歩く歩数も決められていたし、嫁いだ女は食事を作ると言った家事労働をしてはならなかった。しかしその日、わたしたちは安息日にも関わらず、宿を出て、歩いていた。と、いうより、誰もその日が安息日だと気づいていなかった。この所何曜日であっても偽善者達が何かと突っかかってくるので、弟子達はそれを追い払うのに疲弊していたし、わたしも賄賂の計算で忙しかった。

 そう言うわけで、私たちは前日寝るのが遅くなり、朝食を食べなかった。昼間にさしかかり、会堂に行く途中、あまりにも腹が減ったので、先生が言われるままに麦畑の麦の穂を摘み、食べていた。これは窃盗にはならない。細かい理由はわたしも忘れたが、とりあえず金の損得に関わらないと言うことだけ理解していた。そうこうしていると、案の定偽善者たちが寄ってきて、言った。

「なぜ、貴方方は安息日にしてはならないことをするのですか?」

 やべ、と、弟子の一人が顔をしかめた。忘れてました、と、顔に冷や汗で書いてある。わたしは腹が減ったからだ、と答えてやりたかったが、先生に任せることにした。すると先生は、嘗ての偉大な王を引き合いに出して答えられた。偽善者たちは顔を見合わせ、悔しそうな顔をしてそそくさと去って行った。偽善者たちは学者だ。歴史に関しては誰よりも詳しいし、その王が尊敬に値する人物であるとよく知っているため、返す言葉を失ったのだ。この大王の子孫であることは、多かれ少なかれ我々の誇りだったし、その大王と同じ祖先―――父祖の十二人の息子の内の一人を自分の系譜に持っていることは、何よりも誇りだったのだ。先生の母上と父上は、お二方もこの大王の子孫らしい。元取税人の弟子が聞いたところに因ると、父上は大王の直系、嫡子賢王の家系であり、母上は庶子の家系らしい。細かいことは忘れた。わたしは、金にならないことは覚えられないのだ。

「先生、先生。これからはお腹がすいたら、いつでもどこでも何を食べて良いんですか?」

「ちょっと兄さん。」

「そうではありません。律法はきちんと守らなければならないのです。しかし律法は、神を賛美する為に―――。」

 わたしは正直律法には興味が無い。罰金を食らったり、余計な生贄(いけにえ)を調達したりする羽目にならない程度にしか知識が無い。ただ、理路整然と偽善者達を言い負かす様を見ていると、特に知識がなくても、奴らに対する悶々とした気持ちが整理されて、すっとするのが気持ちよい。しかし、だからと言って先生は古き習慣や、祖先の律法を批判したくて反論したわけではなかったようだ。先生は偽善者たちが偽善者であると見抜かれ、漆喰で塗り固められた墓のような彼らの心を批判されたのだが、彼らはそれをそうだと気付いたために、尚の事先生を疎ましく思っていた。


 別の安息日の日、先生は会堂で、また話をしておられた。

「―――貴方方に言いますが、彼は友達だからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要なものを与えるでしょう。」

 まあ、わたしでもそうするだろうな、と、思った。真夜中にパンを貸してと騒ぐ友人がいれば、しかもそれがしつこければ、イライラとしつつも欲しがっているものを上げるだろう。

「私は貴方方に言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。叩きなさい。そうすれば開かれます。誰であっても、求めるものは受け、探すものは見つけ出し、叩くものには開かれます。貴方方の中で―――。」

 わたしは、そこから先は上の空になってしまった。ただ、先生の言葉がぐるぐると心の中でまわっている。

 わたしは何時の頃からか、確かに求めていたものがあったが、それを得ることは不可能だと諦めていた。わたしは、死は怖くない。いや、確かに死は怖い。怖いのだが、それが自分の命が無くなってしまうから怖いのではない。わたしが死んでしまったら、わたしは自分の嫌な所を直すことも隠すことも出来ないから、それが怖いのだ。わたしは、自分の性格も、自分の技能も、全てが嫌だった。だから、それらの欠点を埋めるものが欲しかった。しかし、それらの欠点がない者は、神だけだとも分かっていた。或いは、先生のように高尚な方。どちらもわたしは成り得ない。到達できない。求めても得られない。だからこそ、わたしは何も考えないようにしていた。死を考えないことにしていた。先生とて、そんなことが分からない方ではないだろう。

 その時先生のもとに、腰が酷く曲がった娘が、這いつくばってやってきた。どうやら病に取りつかれているらしい。娘を見つけた先生は、娘を呼び寄せ、娘の腰を治した。何度か見てきた奇跡だ。それを見て、俺も私もと、それらしい人がぞろぞろと聴衆から湧いてきた。どうやら機会を待っていたらしい。

 すると、会堂の管理者が突然聴衆に言った。

「働いてよいのは六日です。その間に来て、直してもらいなさい。安息日にはいけません!」

 案の定先生は言った。

「偽善者たち。貴方方は安息日に、牛やろばを小屋からほどき、水を飲ませに行くではありませんか。」

 まあ、そうしなければ死んでしまうわけで。わたしもなんだかんだ言って金勘定は仕事ではなく「趣味」なので、商売を上手くやり遂げられた事を確認することが楽しみだから、と、金勘定を止めたことはない。そして先生は、律法に捕らわれて善い事を見逃すどころか、放棄する律法学者たちが特にお嫌いなようで、よく安息日に人を癒しておられた。

 先生はとても素晴らしい方だ、と、わたしは分かっていた。それは、以前麦畑で頓珍漢が言ったように救世主であるからだとか、優れた預言者であるとか、そういうことではなく、ただ言い伝えを知らない異邦人のような者でもわかるくらいに、良い人格を備えておられた。

 わたしは不思議と、そのようなある種完璧な方を目の前にしても、先生には嫉妬はしなかった。恋は羨望に変わり、求める魂は跪くに留まっていた。わたしの中で、先生はそれくらい神々しく気高い方で、わたしは先生に近付こうとも思わなかった。先生の足を洗う隷になれる名誉を得ることができるなら、と、希うだけで満足だった。

 しかし、わたしの先輩の弟子に当たるあの頓珍漢は、そうは思っていなかったらしい。いつも先生の側にくっついて、あれこれと質問をしたり、あれこれと世話を焼こうとして空振りしたり。しかし先生は、その老人を深く愛しておられた。先生は人に優劣をつけられる方ではない。わたしのこともきっと愛して下さっている。しかし、わたしも、あの老人のように愛されたいと嫉妬してしまう。あの老人は学のない漁師でありながら、わたしよりも多くの事を知っていて、多くの事が―――先生の望んでおられる多くの事が出来た。わたしはそれが悔しかったのだ。わたしは会得している技術や知識を誇示することはあまり好まないが、わたしはわたしにしかできない、先生の望まれる事をしたかった。わたしと同じことができる弟子は、何人もいるのに、わたしにしかできないことと言えば、会計の仕事くらい。それを軽んじているわけではないが、それでもやっぱり、あの老人が羨ましかった。

 わたしもあんな風に、恥も外聞もなく、先生の周りを旋風の様に纏わりついていたい。水に濡れた身体が服を吸いつけるように、あの方の温もりを、笑顔を、声の踊り子を、もっと感じたい。

 そして腹立たしい事に、あの老いらくは、先生の口から現れる踊り子のことなど、ちっとも気づきはしないのだ。 

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