アメリカ編

漁村インスマウス

第1話 逃走劇の記録 1

※アーカムの消印が押された封筒に、はち切れそうな枚数の便せんが詰められていた。



親愛なるオリヴィアへ


(1)


 何から書けばいいかわからなくて、もう何枚も便せんを無駄にしてしまったわ。

 わたしが書こうとしているのはただの手紙なのに、何度書き直しても、まるで冒険小説のようになってしまうの。

 それか、怪奇小説ね。

 だからもう手紙らしく書くのはあきらめたわ。

 わたしは怪奇な冒険をしたの。

 きっと信じてもらえないだろうけど、全部、本当のことなのよ!


 十月X日、わたしたちを乗せた客船オリンピア号は、インスマウスの港に入った。

 この町は魚臭いから覚悟しておくようにって、 船長にあらかじめ言われていたの。

 もちろんちゃんと覚悟したわよ。

 わたしだって漁港へ行くのは人生初ってわけじゃあないし、だいたいこのぐらいって、予想して身構えていたわけよ。

 だけどそれじゃあ、全然、足りなかったのよ!

 そんな予想なんか、はるか彼方に超えていたの!


 オリンピア号に乗っていた全員が顔をしかめていたわ。

 甲板の上どころか、船倉の奥に居た人たちもよ。


 それにね、何ていうか――

 この説明は何度も詰まって書き直したんだけど、やっぱりダメね――

 ただの魚臭さだけじゃあないのよ。

 何とも言えない、嫌なニオイが混じっているの。

 何とも言えないんじゃ伝わらないでしょうけど、本当に何とも言えないの。

 名状し難いのよ。


 そのニオイがね、パトリシアおばあちゃまの死に顔をわたしに思い出させてくるの。

 魚顔の霊能者のジューリャ。

 おばあちゃまを殺したのかもしれない人。

 あの人のニオイにすごく良く似てるのよ。


 でもね、そんなのはほんの始まりでしかなかったの。



(2)


 船を降りたのは、わたしとルイーザとアデリン叔母さまの三人だけだったわ。

 入れ替わりにインスマウスの町の人が、オリンピア号に乗ってきたの。

 オリンピア号の補給を手伝いに来たみたい。


 タラップですれ違って、わたし、驚いて叫びそうになって、とっさにアデリン叔母さまにたしなめられたの。

 その人は男の人だから、別人なのはわかってるんだけど、それでもギョッとするぐらい、ジューリャにそっくりの魚顔だったのよ!


 インスマウスは寂れているを通り越して、人っ子一人、居なかった。

 古めかしい町並みが、朽ちるに任されているようで。

 わたしたち三人、港で見た男性が最後の人間って状態が、バス停についてからもしばらく続いていたの。

 あの人が居たんだからゴースト・タウンってことはないはずなのに、ゆうげの時刻になってもどの煙突からも煙一つ上がらなかったわ。


 バス停のベンチは冷たくて軋んでて、風も凍えるようで。

 だけどそれとは別の、得体のしれない薄ら寒さは、コートの襟をいくら押さえても防げなくて。

 わたしたちはルイーザを真ん中にして、身を寄せ合って震えてた。



(3)


 オリンピア号の出港の汽笛が聞こえて、もう船に戻ることはできないんだってなって。

 まるでそのタイミングを待っていたみたいに、町の人がヌッて現れたの。

 ヌッて。

 前触れもなく。

 足音も気配もなく。

 あり得ると思う?

 確かにわたしはバスが来るはずの道路のほうばかりを見ていたわよ?

 でも、寂れきったせいで見通しのいい、誰も居ない、風の音しかしない道だったのよ?


 その人は、わざわざ足音を忍ばせてわたしたちに近づいて、それでいて普通に話しかけてきたの。

 おかげでこっちは心臓が飛び出そうになったのに、相手は別にふざけて脅かそうとしていた感じでもないの。

 こんなの、地面から湧いて出ましたとでも言われたほうが、まだ納得ができるわ。


 その人の顔もまた、ジューリャやタラップの男性にそっくりで。

 それはまあ、インスマウス顔ってことで。

 タラップのところでアデリン叔母さまに教わったから、似ているってことだけではもういちいち驚いたりはしないつもりだけど。

 でもあのギョロリとした目や、やたら大きくて唇の薄い口には、どうやったってなれられないわ。


 その人は、親切っぽく話しかけてきたの。

 本当はただの親切じゃなかったんだって、あとになってわかるんだけどね。


 このバス停に貼ってある時刻表は昔のもので、インスマウスの住民の数が減ったから、今はバスは通っていないって言われたの。

 これは、あとで調べたら本当だったわ。


 だからどっちみち、逃げ道はもうなかったの。

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