第5話 空は朱色、地は赤色

 ディテールは森の入口へ入ろうとすると、周囲の空気がぐにゃりと変形し、あっという間に王城の執務室―いわばディテールの仕事部屋の風景に変わった。

 ディテールは目の前の自分の仕事机に思わず両手をついた。


―何が起こった?


 「空間移動」と呼ばれる魔術の一種であるのだが、いつもであればディテールは自分の足で森を抜け、王城へ入るのだ。

 「空間移動」は一度しか経験したことがなかった。

それほどまでにセティは切羽詰まった状況だと判断して、ディテールを「空間移動」させて王城へ戻らせたのだ。

 ディテールの足は無意識に震えていた。

ふと、思い立って振り返って窓際へ寄った。

窓の外には暗闇の森が見えているが、いつもと様子が違った。

 ディテールの目の前で森が歪んだかと思うと、オレンジ色をした半透明の壁が森全体を覆いつくした。


―結界だ!


 セフィは森に結界を張ったようだ。

 しかし、なぜ急にそんなことをしたのだろうか。

 お茶会を途中で切り上げたくらいだ。

 セフィの別れ際に向けられた鋭い目つきが頭から離れない。

 あんな目をしたセフィを見たのは初めてだ。

 すると、執務室の扉を叩く音がした。

「殿下、国王陛下より招集がかかっております。急いでお仕度をお願いします。」

 返事をする前に執事の声が扉の向こうから聞こえた。

「分かった。すぐ支度をしよう。」

 ディテールが羽織っていたマントを脱ぐと同時に、扉が開いて侍女が2人入ってきて、ディテールのマントを1人が受け取った。

「一体、何が起こったのだ?」

 侍女の1人に話しかけると、侍女はぐっと体を強張らせた。

「殿下、後ほど報告が上がると思いますが、私から申し上げましょう。」

 執事が簡単に報告する。

「実は、東の国境の砦が陥落したのです。」

「なんだって?!東の国の…アドラステアか?」 

 執事は頷いて報告書をディテールに差し出した。

「こちらが、先刻届いた報告書です。」

 ディテールが報告書を受け取り、執務室の端に設置してあるソファーに座り込んで内容を読み始めた。

 侍女達はテキパキと動いて、ソファーに座って報告書を読んでいるディテールの髪の毛を整えたり、マントの代わりに正装の衣装と籠手、剣を準備したりしている。

 ディテールは数枚の報告書を読み終わるとため息をついた。


 予想していた時よりもステラシア王国の侵攻は早かった。

 ステラシア国が陥落してひと月。

 アドラステア国との国境の境である東の砦が陥落したのは、2日前。

 本来、王都と東の国境とは馬で走って10日はかかる距離だが、早馬によって知らされたようだ。

「分かった。軍議へ―」

 最後までディテールが言い終わらないうちに、扉の外が騒がしくなり、鈍い音がして建物が全体に揺れた。

 ディテールの身支度を整えていた侍女たちの体が大きく揺れ小道具が落ち、ディテールはソファーのひじ掛けを慌てて掴んだ。

「な、何事だ!?」

「殿下!!報告します!!」

 臣下の1人がノックして入ってきた。

「礼はいい。簡潔に素早く報告しろ!」

 臣下が王族に対する礼をしようとしたところで、ディテールは叫んだ。

「はい!正体不明の空飛ぶ船が、ここ王城の上空を旋回し、砲弾を撃ちました!」

「正体…不明?!」

「上空をご覧になられれば、お分かりになるかと思います!」

 臣下はこれ以上言葉で表現することができない、と暗に示したのである。

 ディテールは急いで侍女が持っていたマントを羽織り、剣を携えて城の上階にあるバルコニーへと駆け出した。

 次いで執事と報告した臣下もついてきた。

 城内の兵士たちは右から左、左から右へ、そして下へと怒号が飛び交っていた。

「火は?!」

「出火元は1階の中庭からです!」

「消化を急げ!」

「最上階へ兵士達を移動させろ!!」

 という話がディテールの耳に入った。

 執務室は城の3階に位置し、2つ階段を昇れば屋上の高見台の塔へと続いていた。

 ディテールはその高見台の塔へと続く階段を昇り、更に螺旋階段を駆け足で昇っていくと先に到着していた将校のジャガールという年配の兵士が険しい顔をして立っていた。

「ジャガール、正体不明の戦艦があると聞いたが…」

 ジャガールは冷や汗を拭きながら、指をまっすぐ天に指した。


 それは目を疑うような光景であった。


 鉄で作られたのか、鉛で作られたのか分からない黒い金属でできた戦艦が3隻、上空を飛んでいた。

戦艦の先頭には大砲がついており、そこから何発も砲弾が城下町へ向かって撃っていた。

 城下町は王城との間に厚い城壁で隔てていたのだが、目の前には炎の海と化していた。

耳を澄ませるとあちこちで悲鳴が聞こえる。


 ―ディテールは「アドラステアが一夜にして陥落した」という記述を思い浮かべながら唖然と立ち尽くすしかなかった。


 空は朱色に染まり、地の色は赤い。

 炎によって城下町全体が飲み込まれ、黒い煙があちこちから出ている。


 地獄とはこのことを表すのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る