第3話 最高魔術師ニーナ
巨木の下のバルコニーで、セフィとディティールはお茶会を始めた。
仄かに香ばしい香りのする様々な種類の焼き菓子―――ベリーが載せられたマフィンや、ふんわりとしたバームクーヘン、シフォンケーキが一切れずつ、色んな形のクッキーといったものが並べてあった。
ディティールはクッキーを一つ摘んで、口に運んだ。
焼き加減が絶妙で、甘さ控えめの味が広がり、用意された紅茶と一緒に啜れば紅茶の香りと甘さが重ねられ、絶品という他なかった。
ディティールが懐かしさと共に、セフィ手作りの焼き菓子と紅茶を楽しみながら、二人は世間話を始めた。
「ここに来るのは、本当に久し振りだ。セフィはいつまで経っても変わらないな。」
「あら、それは褒め言葉として受け取っていいのかしら。」
セフィは自分の分の紅茶を注いでいた。
「私が社交辞令だ、と言ったら、セフィは機嫌が悪くなるではないか。」
「当たり前のことを聞くのね。」
「これでも幾らか礼儀は憶えてきたつもりなのだぞ。」
「それはとても賢明なことね。貴方には、他に仕事があるのだから、基本的な作法くらいは身につけて貰わないと。」
「しかし、王子というのも苦労するな。セフィはこんなことを100年も続けていたのだろう?」
「正確には150年ね。」
「皆して私の一つ一つの挙動をを気にするのだ。まるで落ち着かない!我が家だというのに、あそこはまるで牢獄のようだ!」
「それが王族というものよ。」
セフィはディティールが口を捲し立てて、政治に意見を言うだけで何もしない官僚のことや、文書にだけ目を通して印を押すだけの貴族領主、また日々城の中を切り盛りしている働き手の女官や兵士達が自分のことを何と評価し、噂話をしているか、ということ、王子という身分の狭さなど、悪態を繰り返した。
セフィはお茶を啜りながら、頷いたり、途中で窘めたりしてディティールの話しを一通り聞いていた。
「そのうち、貴方にこうやって話しを聞いてくれそうな、令嬢が現れるといいのだけれども、何時になったらそういう人が来てくれるのかしらね。」
ディティールの話しを聞き終えたセフィは、溜息をつきながら何度めかになるお代わりの紅茶をディティールに注ぎ込んだ。
ディティールは少し言い過ぎたか、と自らの愚行を悔いた時は、既に遅かった。
「王族の、それも成人した歳であれば、花嫁候補の一人や二人はいるでしょうに。貴方、その話はいつも保留にしているか、反故にしていると聞いているわ。他に好いている女人でもいるのかしらね。」
わざとらしい溜息をつき、横目でちらりとディティールを見る。
ディティールはカップに注ぎ込まれた紅茶を眺めた。
紅茶の香りはディティールの求める答えを導き出してはくれなさそうであった。
「そういえば、いつだったか、貴方が女の子を連れて此処へ来たことがあったわね。
あの子は今、どうしているの?」
意味ありげな視線でセフィはディティールに問いかけると、ディティールは小さく溜息をついて、砕けた物言いを改めた。
「――母上、その少女だった者が、今行方知れずなのです。」
セフィはディティールから視線を逸らさずに、小さく頷いた。
「ええ。そうみたいね。」
「母上であれば、何処へ行かれたのか、ご存知なのでは、と思いまして。」
「それで、此処に来たの?」
「ええ…。」
セフィは持っていたカップを置いた。
「やってみるけれども、あの子は強いわ。私の魔術で見つけられるとも限らない。」
「しかし、もう他に方法がないのです。
知らせを受けた時、すぐに捜索隊を編成して各地方へ行かせましたが、手掛かりはありません。
王城にいる魔術師達にも協力を乞いてもらっていますが、ひと月以上経っても未だ見つからず…。」
「あの子は、ニーナはとても強い子だわ。でも、もしかしたら、何かに巻き込まれたかもしれない。
それで、私の処に来たのね。」
ディティールは頷いて、カップから顔をあげた。
「お願いします。もう、母上以外に頼れる者はいないのです。」
「やってみるわ。少し待っていて。」
セフィは目を閉じた。
ディティールはゆっくりと空気がうねるような感覚を感じた。
ニーナ、というのはディティールの少し上の幼馴染の女性で、乳母のビヨンセの実の娘にあたる人だ。
ニーナの実家、オルセ家は代々王家に仕える家柄であり、優秀な魔術師を排出していた。
ニーナは生まれつき高い魔術能力を持っており、現在は国の最高魔術師という称号を得ている。
魔術というのは自然からあらゆる力を借りて発揮できる能力である。
それ故、力のない者が魔術を施行しようとすれば、自然の理から大きな影響を受け、最悪絶命してしまうことすらある、危険も兼ねそえた存在だった。
ニーナの力は、未だ計り知れないが、未来を読み、軌道を変えることまで出来るのである。
実は近年、友好関係を築いていたアスタリア王国が、遊牧民を従えたステラシア国に占拠されてしまった。
ステラシア国にとって、ディアロス国の最高魔術師は邪魔な存在にも成り得る。
それを懸念して、ディティールはニーナが失踪してからひと月の間に密偵を送り込んで情勢を探っていたが、アスタリア王国は閉鎖されてしまい、内情が探れない。
友好国からすれば異なることで、もはやアスタリア王国は陥落し、国そのものが滅亡するのも時間の問題かと思われた。
そのような国家間でのニーナの失踪は、国としても痛手が伴う。
それまでのアスタリア王国、ステラシア国の動向を示唆出来たのは、ニーナの力故と言っても過言ではなかった。
ステラシア国が次に狙ってくるのは、地形からと友好関係を築いていたディアロス国に違いない、と危惧した。
ステラシア国侵攻時に備え、国王はニーナから様々な助言を得て、対策を練っていた。
そんな時、突然前触れもなくニーナが居なくなったのである。
最初は疲れかと思われていたため、3日程は誰も気に留めなかった。
しかし、5日目になり、病気にでもなったのか、とディティールはオルセ家を尋ねると、オルセ家では既に騒動になっていたのだった。
そうしてひと月経つのだが、何一つ手掛かりがない。
ニーナは礼儀正しい性格なので、もし自らの身に何か起こる予兆があれば、前もって居なくなることを周りに告げることも出来たはずだ。
猫の手…いや、ネズミの尻尾を掴む気持ちで逸っていた。
そういうことで、ディティールはセフィを訪ねようと決心したのだった。
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