第2話 暗闇の魔女
ディティールは、森の中を真っ直ぐ歩いたかと思うと、急に脇道に逸れて獣道に入った。
狭い道なき道を右へ左へと迷うことなく進んでいくと、今度は反対方向へ足を向けた。
かと思うと、すぐに右方向へ歩き、次は左へ進んで迷わず獣道の中を進んでいった。
「暗闇の森」と呼ばれるこの森は、夜のように暗い。
なのに、ディティール王子は灯りを灯すことなく、その足取りは確かであった。
右へ左へと歩を進んでいくと、再び人の手が入った道へ戻ってきた。
かと思えば、すぐ脇道に逸れて獣道へ戻る。
ディティール王子が一人の伴を連れて行かない、その最大の理由が誰もこの王子の足取りについていける者がいないからであった。
ディティールはその王子という身分のため、伴を連れて「暗闇の森」へ入った経験が幾度もある。
しかし、この王子の複雑で迷わずに進む足取りに、臣下達は追いつけないのである。
かといって、この暗い森に灯りを点せば、異空間に繋がるのか森の入り口まで戻されてしまう。
そして方向感覚を失い、遂には臣下達が置いてけぼりにされ、森の主である魔女の魔法で王城へ飛ばされることがしばしば起こるのである。
王子と同伴した近衛達にとっては、王子は見失うし、急に景色が変わったと思ったらいつの間にか城へ戻っている、という不可解極まりない状況に陥るので、溜まったものではない。
そういう経験を嫌というほど味わった臣下達の中には、王子が「森へ行く」と言うと、止めることすらせず、溜息だけついて見送るだけの者が出てくるのが常である。
ベテランともなると、ブツブツと文句を言い、嫌な顔を王子に向けながら
「行ってらっしゃいませ」
と言って丁寧に頭を下げ、自ら護衛を放棄するのである。
新米兵士はそのことを知らないので、王子を悪く言う話をするのだが、有能なベテラン臣下達は慣れっこになっていて、素知らぬ顔をするのである。
そういう訳で、ディティール王子が政務を終わらせて
「『暗闇の魔女』に会いに行く」
と言えば、王子は晴れて自由の身になるのである。
その手を何度か使い、最近は城下町へお忍びする芸当までやってのけている。
しかし、王子という立場上世間の目があるのも事実である。
特にこの半年はお忍びで城を抜け出す、などということは皆無になってきていた。
ということで、今回の王子の奔放は、久し振りに羽伸ばし出来るのであろう、と周囲はため息混じりに思っていた。
しかし、王子は真剣だった。
至って深刻な事態であったからだ。
「暗闇の魔女」に会う今回の理由は、王子としての責務を果たすためだった。
ディティールは迷わずに獣道を進み、木々の間をくぐると、狭かった視界が開き、涼しい風を感じた。
天上まで届くかのような大きな大木が一本、中央に聳えて立っている広場に出た。
天からは太陽の光が木々の間から零れ落ち、小さな小鳥達の歌声が微かに届いた。
大木の周りを囲むようにして、木々は密集しており、自然に広場が出来たとは言い難いような光景が広がっている。
巨木の下には、バルコニーが備わっており、巨木を住居にしたような形で、巨木の幹には洗濯物が干してあった。
まるでその巨木が最初から用意してあったかのように扉は幹との境目がなく出来ており、その扉の前に美しい女性がにこにこしながら立っていた。
女性は、白く足先まで長いフードを頭から被り、空色の長い髪の毛の束を幾らか垂らし、扉までに打ち付けられた数段の階段の最上段に佇んでいた。
「もうすぐ来る頃だと思っていたわ。私の王子。」
ディティールは女性の顔がはっきりと分かるところまで近づくと、優雅な動作で一礼した。
「お久しぶりです。…………母上。」
「あらまあ、随分な格好をしているのね。
きちんと身なりを整えてから、レディーの前に来るものよ。」
女性は階段を降りて、ディティールの目の前まで歩くと、ディティールの服や頭の毛に絡みついた木の葉や雑草などを手で叩いて取り除いた。
ディティールは渋い顔をしながら、されるがままになっていた。
「すみません。急な訪問でしたので、母上が喜びそうな手土産を持ってくることは出来ませんでした。」
「そんなことはいいのよ。さあ、久し振りにお茶を楽しみましょう。
あなたが好きな物を用意して待っていたのよ。」
ディティールの服から充分払い終わると、女性は満足した顔をして、バルコニーの方へ案内した。
ここで読者諸君に気をつけて頂きたいことがある。
ディティールは齢18であるが、しかし、この目の前の女性は、どこからどうみても20そこそこにしか見えないのである。
なのに二人は親子とも言える会話を繰り返しているのだ。
二人が並んで立っていても、第三者から見て親子には全く見えない。
女性の髪の色は空色であるのに対し、王子の髪の色は黄金色なのである。
女性の瞳の色が青空の如き、蒼く澄んだ瞳であるのに対し、王子の瞳の色は夕焼けのように赤い色なのである。
本当に二人は親子なのであろうか、と思えるほどの違いがある。
しかし、それは本当のことであった。
というのも、この女性、名前はセフィというのであるが、300年前に王家の者と婚姻を結び、100年以上政権を担っていた経験があるのだ。
つまり、二人は親子どころか、ディティールの曾々々々祖母にあたるのである。
しかし、女性というものは複雑な感情を持っているので、自分のことを王子に「母親」と呼ばせているのである。
そして、この女性こそ「暗闇の魔女」と呼ばれている人物なのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます