第9話 女神さまは甘いものが好き

 ボロボロに朽ちた拝殿、くすんだ賽銭箱、欠けた狛犬の像。乱れた玉砂利の隙間からは雑草が生い茂る。鳥居は石のような灰色となっていた。さらに、なぜかこの場所の桜だけは枯れ果てており、とうに人の手を離れているのは明白だった。

 気付けば、お守りの光や糸は消えてしまっている。


「あっ、ひょっとしてここが例の最後の神社……! っていやいやそれはないか。かなり古びてるし、もうずいぶん長い間使われてないお社のはず……ん?」


 凪が見たものは、社の中に落ちていた木製の神額。埃を被ったそれには、『神人和楽』という言葉が記されている。人と神との、結びの言葉。


「あの神額は……ひょっとして天乃湯神社うち摂末社せつまつしゃなのか? かなり昔に合祀された社ならその可能性もあるだろうけど……ただ、ここはもう……」


 今にも崩れそうな拝殿の柱にそっと触れる凪。

 六年間神社で育ってきた凪には、なんとなく理解出来た。

 この神社には、もう神様はいない。だから人も来ない。まるでここだけ現世界から切り離されたかのように静かで、物悲しい世界だった。

 それでも凪は、社へ向かって丁寧に頭を下げ、手を合わせた。

 かつてこの場所で生きたであろう人々と神様へ、礼儀と尊敬の念を込めて。


「んじゃ、登山道に戻っ……」


 灰色の鳥居。いつの間にかそこに何羽ものカラスが止まっていた。闇そのもののように黒い彼らは鳴き声を上げることもなく、じっと静かに凪の方を見つめている。


「カラス……? いや……」


 凪は全身の血がスッと冷えていくのを感じた。


 直感する。〝あれ〟はよくないものだ。


 そう感じた凪がすぐにこの場を離れようと足を踏み出したとき、


「――っ! うわあぁっ!?」


 突然カラスたちが一斉に羽を広げて飛び立ち、凪の方へと向かってきた。さらにクチバシで凪の髪や制服、鞄を激しく突っついてくる。

 凪は必死に抵抗し、鞄を振ってカラスたちを散らそうとするが、彼らの動きは止まらない。それどころか、今度は凪の鞄についたお守りを狙って突き始める。既に古くなっていたお守りは破けてしまい、凪は慌ててお守りを掴んだ。


「やめろ! これはダメだ! あの人との――唯一残った縁なんだッ!」


 必死にお守りを守ろうとする凪。カラスたちに背中を突かれ、その鋭い痛みに耐え続けながらも、凪がお守りを手放すことは決してなかった。


 すると、お守りがまた桜色に光り始める。

 その光の在処が、破れたお守りの〝中〟であることに凪は気付いた。


「えっ!? な、中に何か……っ!」


 カラスたちは、まるで光に怯えたように凪のそばから離れていく。

 凪の手は自然とその光へと伸び――お守りの〝中〟にあったものを取り出す。


 それは、一枚の折れた和紙だった。

 広げてみれば、その和紙には美しい桜紋の『御朱印』が印されている。


「これ……紙の御朱印、か?」


 次の瞬間、朱印が激しく光り輝いて桜吹雪が巻き起こる。凪は思わず目を閉じた。


「うわっ――!?」


 そして、再び目を開いたとき。



 桜吹雪の中から――一人の少女が現れた。



 ふわり、と静かに凪の前へ降り立った少女は、そっとまぶたを開く。


 彼女の大きな瞳を見た瞬間から、凪は少女のあまりの美しさと、姿そのものから醸し出される清廉な雰囲気に言葉を失っていた。

桜に似た美しい色の髪は腰に届くほど長く、鈴の付いた白いリボンで両サイドが一部ずつ結われている。大きな瞳には曇りがなく、肌は白磁のように滑らかで、愛らしい容姿は神様にとびきり贔屓をされたかのよう。身に着けている和服は巫女衣装によく似ているが、二の腕や腋の部分が露出していたり、スカートが短くなっていたりと、随所で独特な作りをしていた。


 今まさに咲き誇った桜のように艶やかな少女は、凪よりも幾分か幼い容姿をしていたが、それでも凪は強く惹きつけられる。


 少女は周囲のカラスたちを一瞥してから、明るく凪に笑いかける。


「キミの心は、とってもキラキラしてるね!」

「……え?」


 少女は大きな袖を揺らし、小さな両手を広げて告げた。


「《さくらさくら。我が御魂と言霊により結び、清め祓う。八百萬之神々共に》」


 その身体から、優しい光が解き放たれる。



「――《祓(はらえ)・桜花天承(おうかてんしょう)》!」



 少女は神社全体に広がるような綺麗な音の拍手(かしわで)を打ち、両手から生まれた幾枚もの桜の花びらが桜吹雪となって社を覆うように広がっていく。すると、その花びらに触れたカラスたちが光の粒子となって空気に溶け、幻だったかのように浄化されていった。


 凪はしばらくその光景に見惚れて――それから視線を彼女へと向ける。


 幼き少女は、勢いよく凪へと抱きついてきた。


「わぁ~~~やっと見つけてもらえたぁ~! ありがとありがとぉ~~~!」

「うわっ!? えっ、ちょ、ええっ!?」


 すりすりと頬ずりをされながら、凪は困惑をそのまま口にする。


「ちょ、ちょっと待った! 待ってくれ! どういうこと!? 君は誰っ? それにさっきのは? あのカラスたちも! この神社も! お守りもっ!」


 すると、少女は凪に抱きついたまま顔を輝かせて答えた。


「ごめんなさい、まずは自己紹介しなきゃだよね! サクラの名前は、『桜大刀自サクラオオトジシン』です! 君の名前はっ?」

「サクラオオトジ……? それって神様の……あ、俺は凪。七瀬凪、です」

「ナギ! 助けてくれてありがとう! ほんとーに、ありがとーっ!」

「ど、どういたしまして。よくわからないんだけど、それで、君は一体……」

「うん、サクラはこの神社の祭神です! もう神社はボロボロになっちゃったけどね」

「……え? さいじん? え? じゃあやっぱり神様ってこと!?」

「ハイそうです! 桜にのせて幸せはこび、あなたのご縁を結びます! サクラって呼んでね! えへっ!」


 花咲く笑顔のハイテンションに対して、混乱から何も答えられない凪。

 そこで、ぐぅ、と彼女のお腹が鳴った。


「あうう。そういえばずぅ~っと何も食べてなくて……お腹すいたよぅ」


 腹部を押さえながらへにゃ~とだれてしまうサクラ。凪は「あっ」と思いついて、先ほど残しておいた桜餅と温泉まんじゅうを差し出してみた。


「ちょっとしたものなら持ってるけど、これでよければ、た、食べる?」

「ああ~! これっ! 桜餅とおまんじゅう! サクラの大好物です~~~! いいのいいのっ!? 食べちゃってもいいんですか!」


 キラキラと期待に満ちた眼差しを向けてくるサクラに、凪は無言でうなずく。


「わぁ~~~い! いただきまぁす!」


 するとサクラはたった一口で桜餅を頬張り、なんとも幸せそうに顔を蕩けさせる。

 凪は、どうやら神様も甘味が好きらしいことを知った。

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