第9話 犯人が告げられ、真相は語られる

 彼は黙ったままだ。何かを思い返しながら、悔しそうに唇を噛む。

「何故あなたが夏鈴ちゃんを殺したのか。それは、苦しかったんですよね? 何も知らない彼女を見ているのが。これから不幸を知るであろう彼女を生かしておくのが」

「……はい。だって夏鈴ちゃんは、いい子でしたから……」

 佐々木拓郎は項垂れた。彼は彼女を一番近くで見ていたからこそ、感じていたのだ。彼女は、紀子には、決して愛されないのだと。

「ここからは少し複雑になります。あくまで想像ですので、違ったら訂正してください」

 改めて、断りを入れた。

「では、始めます。紀子さんはこう述べました。『夏鈴ちゃんは、私の娘ではない』と。それに対し、佐々木さんは驚いた。何故か。それは、夏鈴ちゃんは、正人さんと紀子さんの間の子であると思っていたからです」

 佐々木さんは頷いた。

「佐々木さんが、夏鈴ちゃんが愛されていないと思った理由。それは、、ではないですか?」

 佐々木さんと紀子の顔が驚愕の色に染まる。その反面、荒井は「やはり」という顔をした。

「……反論がないので先に進みます。佐々木さんと紀子さんの関係は今も続いている。二人は愛し合っていた。平日は正人さんの帰りが遅いこともあり、佐々木さんは仕事がない時間は足繁く通い、紀子さんとの愛を育んだ」

 主人は落胆した顔をする。どうやら、気付かれていなかったようだ。

「佐々木さんは、正人さんと紀子さんとの間には、すでに愛情はないと感じていた。だからこそ、二人との間に生まれてしまった夏鈴ちゃんを可哀想に思った」

 しかし。ここで話を一旦切る。私はポケットから家族写真を取り出した。

「こちらの写真をご覧ください。これは、半年ほど前に、佐々木さんが撮影した家族写真です。正人さん、紀子さん、夏鈴ちゃんが写っています」

 一同が、その写真に釘付けになる。

「私は、どうも夏鈴ちゃんは、正人さんにも、紀子さんにも似ていない。そう感じたんです。では誰に似ているのか」

 私は、視線を彼女に投げる。

 五十嵐明美の顔は、信じられないといった表情へと変わった。

「いえ、そんなはずは……。だって私の子どもは……」

「そう。生まれて間もなく、何者かにより誘拐された。そしてその子はまだ、見つかっていない」

 ここで巫部さんが入る。

「私の方で少しばかり、調査いたしました。明美さんの子どもは、生まれて三日ほどで、産婦人科の病院から姿を消した。警察は子どもが誘拐されたとし、必死に探したが、見つからなかった」

「そうです。見つからなかったんです。だから私は、何となく私に似ているなって感じた、夏鈴ちゃんを、まるで我が子のように……」

 明美の顔には涙が溢れた。薄らとではあるが、本能で感じていたのだろう。この子は、もしかすると、と。

「夏鈴ちゃんは、本当に、私の子なのですか……」

「はい。これは鑑定すればわかることです。あとで、鑑定してみましょう」

 ここで一息つく。

 私は真っ直ぐ、紀子を見つめた。

「……何を。だって紀子は私との間で妊娠し、子どもを産んでいるのですよ。じゃあ私の子は、何処にいるんですか!」

 主人は反論する。しかし、紀子は何も言わない。

「たしかにそうですね。

「……まさか」

 主人は察したようだ。

「そうです。

 そう。夏鈴ちゃんとその子どもは、ほぼ同じ時期に生まれた。偶然にも。

「では、何故夏鈴ちゃんが盗まれたのか。それはあまりにも、自分が産んだ子どもが佐々木さんに似ていたから、自分と佐々木さんとの子を北海宅で育てるわけにはいかなかった。という理由だけではない。もう一つ、重大な理由があります」

 ここで私は、主人を見つめる。

「……ばかな……」

 たまたま夏鈴ちゃんは明美の遺伝が強かったのか。明美によく似ていたため、気付かれにくかった。

「紀子さんは、何処かで正人さんと明美さんが不倫をしている証拠を掴んだ。そして、明美さんが妊娠し、それが正人さんとの子であることを知った。だから、夏鈴ちゃんを盗んだ。正人さんと明美さんとの間の関係を壊し、無かったことにしようとした」

 そっと紀子を見やる。俯いた彼女の表情からは、もう先ほどまでの柔らかな印象はない。

「私は結婚をしたことがないですし、ましてや現在恋人もいないので説得力はありませんが。相手の不倫は許せなくても、自分も不倫をしてしまう。そういうものなのですね」

 低い声で告げる。この場にいる全員の表情が翳る。

「紀子さん。あなたはこのまま夏鈴ちゃんを大人まで、育て上げるつもりはありましたか?」

 残念なことに、紀子は頷かなかった。

「夏鈴ちゃんは、誰との間に生まれた子とも気付かない父親と、表面上でしか家族の振りをしてくれない母親と、六年もの歳月を過ごしたのですか」

 あまりにも残酷な彼女の運命に、話していて胸が苦しくなってきた。それでも私は、夏鈴ちゃんのために話し続ける。

「実はですね。この事件の背景に関わってくる人物は、これだけではないのです。夏鈴ちゃんが誘拐されたあの日、夏鈴ちゃんの病院に勤めていた産婦人科医が、小石川さん。あなたですね」

 小石川は頷く。そう。彼は、産婦人科医であった。

「あなたは昔から紀子さんと知り合いだった。どのように相談を受けたのかは知りませんが、紀子さんからの指示ではないですか? 夏鈴ちゃんを誘拐することをほう助した。そうですね?」

「……。はい。さすがですね」

 小石川は諦めたように、語りだした。

「紀子さんには大きな借りがありました。昔、私が金銭面で非常に苦労していたときに、彼女と出会いました。……ええ、一年ほどですが、交際していました。そのときに、大変助けてもらったので……」

 ……なるほど、ここにも男女関係があったとは思わなかった。

「彼女から相談を受けていました。……どうしても、夫と不倫相手の子を殺してしまいたいと。でも殺すのはいけません。せっかくこの世に生まれた大切な命ですから。私は必死に説得した結果、紀子さんは、殺しはしない。自分の手で育てる。と」

 小石川は必死で弁解した。その時点の最善の策であったと。

「殺しはしないことを約束した以上、手伝わないわけにはいきませんでした。彼女、相当本気で、夏鈴ちゃんの存在を憎んでいましたから」

「なるほど。そのとき小石川さんが条件として指定した、約束をちゃんと紀子さんが守り、夏鈴ちゃんが無事に育つのを見届けるために、今もこうやって、共犯だというリスクを抱えてでも会いに来ているということですか」

「……はい」

 小石川にとって、これ以上どうしようもなかったのだろう。

「……そして鈴城さん。あなたは、紀子さんから、何か相談を受けてはいませんでしたか?」

 次に声をかけられると覚悟していたのか、淀みなく、話し始めた。

「実は、相談を受けたことが何度かあります。夏鈴ちゃんは、実は私の子ではないと。それがどういう意味かはわかりませんでしたが、子育てをすることが苦痛となっていることは、何度も聞いていました」

「そうですか。ありがとうございます」

 この中で荒井だけが、ひたすらオロオロしていた。

「荒井さんは、どうやら、紀子さんとは特に何もなさそうですね」

「……ええ、何もありません。本当に」

「いえいえ。ありがとうございます」

 どうやら、話は出揃ったようだ。

「誰が悪いのか。と言われると、正直何とも言えませんが。今回の夏鈴ちゃんの殺害においては、佐々木さんの単独犯ということになってしまいます」

「……わかりました。はい。私が犯人で間違いありません。そして、お話いただいた内容で、ほとんど間違いはありません」

 佐々木さんは、淡々と話し始めた。

「私は、夏鈴ちゃんが私に見せる寂しそうな表情を見るのが本当に苦しかったんです。紀子と二人で過ごしているときの話を、私が行く度に話してくれました」

 それはこんな具合だった。紀子は溜め息をつくことが多く、おままごとや絵本の読み聞かせはしてくれたものの、嫌々やっているように見受けられた。どうしても、自分の娘の暮らしぶりと、比べてしまうのだろう。北海家は主人の働きもありかなり裕福な生活を送っているが、佐々木さんの家に住む本当の娘は、そんなことはない。細々と生活し、娘が欲しいものがあっても、「我慢して」と言うしかなかった。しかし夏鈴ちゃんはそうではない。好きなものがあったら、主人は何でも買い与えた。それが許せなかったのか、夏鈴ちゃんが紀子に物をねだったときは、大層不服そうな顔をしたという。

「夏鈴ちゃんは、自分が恵まれているだなんて、そりゃあわかりませんよ。まだ子どもですし。それが当たり前だったんです。だから、紀子の様子を見て、『お母さん、何か怒っているのかな』って、私に不安を吐露していました」

 その度に佐々木さんは、「夏鈴ちゃんは悪くないよ」と言い聞かせていて、紀子には、「仕方ないんだ」と言い聞かせたそうだ。

「私の稼ぎはいい方ではありません。私と紀子の娘、花凛かりんには、色々なことを我慢してもらいました」

 ……

「……何故、読み方が同じなのですか」

 これには、紀子が答えた。

「拓郎との子に名前を付けたのが先です。凛とした花。とっても真っ直ぐで、美しい花のような子に、育ってほしかった。そして、あの子を引き取ったとき、私は呼び名を間違えたくないと思い、同じ読み方にしようとしました。そしたら、夏に生まれたというのもあり、夏の鈴で夏鈴。これも、良い名だと思いました。だから……」

 紀子の声は消えいった。明美の顔を見たのだろう。あまりにも、悲痛な表情を浮かべていたのだ。

「彼女は随分と大きくなってしまった。幼稚園に通い始めて、外の人々の生活を知るようになると、気付くことが多くなってくるんですよね。『私って、邪魔なのかな』『何で、お母さんは不機嫌なの?』『いない方がいいのかな』って……」

 佐々木さんの自白は終わった。

「これで、私からの説明は以上になります。巫部さん。何か、補足することはありますか?」

 あとは巫部さんに委ねる。巫部さんは、この場にいる全員を見渡しながら、話し始めた。

「補足というわけではありませんが。夏鈴ちゃんが生きた六年は、どんな六年だったのか。皆さん、よく考えてほしいです」

 巫部さんの言葉には飾りはない。だが、この言葉が、彼らにとって一番堪えたのではないだろうか。

 ――何故彼女は、たった六年しか生きられなかったのだろう。

 彼女は、幸せを、知ることはできたのだろうか。

 生きる喜びを、知ることはできたのだろうか。

 生まれた意味を、実感することはできたのだろうか。




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