第3話 一節 集まった情報を整理していく
七人の証言を聞き終えた私は、まずは集まった情報を整理することにした。
整理した結果、気になることを挙げていくとしよう。
私が探偵として大事にする感性は、人間が持つ表情、感情である。
そんな私が気になったのは、娘の死に対する悲観的な感情があまり見られないことであった。
招待客ならまだしも、実の親が悲嘆にくれず、淡々と、紀子に関してはやや嬉しそうに私の質問に答えるのには違和感を覚える。普通は、取り乱すはずではないだろうか。
そうすると、紀子の証言に説得力を感じてしまう。
実の娘ではないからこそ、冷静でいられるのではないだろうか。
では、夫婦間で食い違う、娘に対する証言は一体何故生まれたのか。
この疑問により、さらにもう一つ、気になる点が生まれた。
――それは、娘は誰に似ているのか、ということだ。
何故気にするかといえば、無論、あまりにも、娘の死に意味があるとしか、思えないからだ。
娘の誕生日にパーティーを開くような家庭の両親が悲嘆に暮れないのは何故か。それは、何かしらの理由で、娘の死が利用されているからではなかろうか。
そう思いついた私は、亡くなった娘の顔を拝むことを望んだのである。
私は、紀子のいるキッチンへと向かった。
「すみません、奥さん」
少し柔らかめの表情を心掛ける。
「大変失礼とは存じますが、夏鈴ちゃんのお顔を、拝見したいと思いまして。警察が来る前に、何が起こったのかを、少しでも証拠として掴んでおきたいのです」
私は、慎重に言葉を選んだ。これまでの会話と比べ、明らかに緊張感が場を漂っていた。
「……ええ。構いませんが」
少々の間を置き、私の言葉の意味を何度か反芻したのであろう。理解した上で、承諾したように思える。
「ありがとうございます。よろしければ、主人にもその旨、お伝え願えないでしょうか?」
ええ、と紀子は頷いた。……よし、とりあえずこれで仏の顔を拝むことができる。
「あ、あとですね、よろしければ、ご家族全員が写った写真をですね、何枚か拝借したいのですが」
この発言にはさすがに紀子も怪訝な顔を見せた。何を探ろうとしているのだろう、と不審なものを見つめるような視線を感じた。
「えーっと、それはどういった意味があるのでしょうか?」
声に若干の力みを感じた。この声は、緊張した状況において発せられるものである。
「当然疑問に感じますよね。説明不足ですみません。私はこう考えているのですよ」
あえてここで言葉を切る。紀子は、その言葉の続きを待っているようだった。
すると、その続きを遮るように、近くで喧騒が起こったのである。
「お前がやったんだろ!」
「違う! 僕じゃない!」
揉み合いになっているのだろうか。いくつかのガラス製品が床へと落ちる音が聞こえる。
「不味いな」
私は反射的に彼らのもとへと駆け寄った。
揉み合いになっていたのは、荒井と鈴城であった。
荒井が鈴城の胸倉を掴んでいる。鈴城の口の端からは、殴られたのであろう、切れて血が垂れている。
「一旦! 落ち着いてください!」
慌てて制止に入らざるを得ない状況だ。さすがに、二人目の被害者を出すわけにはいかない。
「こいつが! 犯人に間違いないんだって!」
取っ組み合いにより体力を消耗した荒井が、息を切らしながら叫んだ。
その声色からは、酷い憎しみが感じられる。
一体、荒井はどれほどの感情を鈴城に抱いているのだ。
「荒井さん、お気持ちはわかります。しかし、この場での争いは、荒井さんにとって不利な状況に置かれるかもしれません。あとで、話は聞かせていただきますから。一旦、落ち着いてください」
たどたどしい口調となってしまったが、何とか言いきった。荒井は不服ながらも、鈴城から手を放し、大きな舌打ちを一つした後、奥の部屋へと去っていった。
荒井が去った部屋には、鈴城と私が残された。鈴城の首には、先ほど掴まれていたときの跡が薄らと残っている。
「すみません。夏生さん。お見苦しいものを」
「いえいえ。それより、大丈夫ですか。かなりの力で首を掴まれていたように思いますが」
「……ええ、なんとか」
「一体、何故に荒井さんと争いを」
「それがですね、どうやら紀子さんとお話している様子を荒井さんに見られていまして」
「なるほど。その内容がまずかったのですか?」
「まあ、そうですね。はい」
なるほど。鈴城は目線を落とした。それほどまずい内容だったのだろうか。
「差し支えなければ、どんな内容だったのか、お聞きしたいのですが」
「ええ、そうですね。では簡潔にお話します」
鈴城は少し間を起き、いつもより低めの声で丁寧に言葉を紡いだ。
「これで貴女は、自由になれますね。と」
――自由? 一体どんな事象からの解放なのか。娘の死は、紀子に何をもたらすのだろう。
「それだけでは話があまり見えませんが、わかりました。その一言を聞いた荒井さんは、貴方に対して犯人ではないかと判断したようですね」
「はい。そうだと思います」
「それにしても随分と荒井さんは激昂されていましたが、これまでに荒井さんと面識はありますか?」
鈴城は頷いた。何か嫌なことを思い出したのか、少し不満気な顔を見せた。
「ええ。主人と彼は仕事仲間のようですね。私もそのような者です。主人とは三年前に知り合いました。そこからはずっとお世話になっています」
なるほど。では、鈴城と荒井は仕事上ではやはり、ライバル同士だったのだろうか。
そんな疑問に応えるように、鈴城は口を開いた。
「ああ、同業者ではありません。彼は車関係の業種で、どうやら主人の会社の商品を運搬するための車両を提供していたようですから。私は医療関係の業種です。ですので、とくに仕事においての衝突はありませんでした」
仕事においては、か。敢えて強調されたその言葉が引っかかる。
「では、それ以外では衝突があったということですか」
「ええ。それはある日の朝のことでした。私がうっかりして、彼の乗っていた車に、後ろから衝突してしまったんです。視界も悪く、単調な道のりでした。それで眠くなってしまって。そしたら、ゴンって音が前方から聞こえ、慌てて前方を確認したら……。向こうはかなり急いでいたようなので、事故処理の際にとてもイライラしていて」
なるほど。文字通りそのままの衝突である。話を聞く限りでは、鈴城が百パーセント悪そうだ。
「その日を境に、どうしてもバツが悪くなって、この邸宅で偶然お会いしても、まともに顔も合わせられない状態で。それも良くなかったんでしょうね。益々印象が悪くなる一方だったのかと」
鈴城は項垂れた。たしかにその通りである。これでは、難癖つけられても仕方のない状況かもしれない。
「とにかく、荒井さんをあまり怒らせないようにした方がよさそうですね。これでは怪我人が増える一方ですよ」
「たしかにそうですね。下手したら死体が増えるかもしれませんし」
次に死体になるのは君ではないか? というツッコミはグッと我慢して抑えておく。この話は冗談ではなくなるかもしれないのだから。
そんな会話を遮るように、近くで携帯電話のバイブ音が聞こえた。
「っと、すみません。電話が」
どうやら鈴城の仕事用の携帯電話にかかってきたようだ。
「あ、大丈夫です。ただし、申し訳ありませんが、建物外へは出ないでいただきたい」
鈴城は私の言葉の意味を瞬時に理解し、携帯電話を耳に当てながら、人のいない収納スペースへと消えていった。
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