第8話 女神の美声です!
とある平日の放課後、俺の姿は池袋駅からほど遠くないカラオケの一室にあった。近年池袋は再開発が進んでおり、主要公園のリニューアルに加え、劇場や映画館などが目玉の複合施設も数々オープンしており益々活気にあふれている。
成長を続ける池袋の中でも昔からあるカラオケ施設。周りにはファミリーレストランやアニメショップにゲームセンターまでもが乱立しており、少し歩けば乙女ロードと呼ばれる特定の女性層向けの通りや、プラネタリウムや水族館を併設する大型複合施設が存在している。
様々な層と様々な施設が入り混じる奇妙な土地は初めて訪れる者にとってまさに異世界に感じられるかもしれない。現に俺の目の前に座るリルさんも初めて訪れる池袋に気圧されていた。
といってもリルさんの場合は異世界から来たためにいろいろカルチャーショックを受けているのかもしれないが。カラオケ店を訪れて最初のリアクションは初めて見るドリンクバーに対する感動だった。押せば押すほど出てくるドリンクに目を輝かせたリルさんは目の前で十個のコップに様々なジュースを注いで持ってきている。
中にはフロートや温かい飲み物までもあり、目を輝かせながら次々に口にしていく。おそらくこの次は小学生のころに誰しもが試みたドリンク同士の合成に配するだろう。コーラやメロンソーダの合成くらいなら可愛いものだが、たまに血迷った馬鹿が緑茶とオレンジジュースを混ぜ始めるから困ったものだ。作る前から不味いってわかっていても、つい作っちゃうんだよね。
と、まあ状況説明はこの辺にしといて、なぜ俺らがカラオケ店にいるのかというと、もちろん遊びに来たからではない。今日は二人で真剣な話をするためにわざわざ池袋まで来たのだ。
「リルさん、そろそろ本題に入ってもいいですか?」
「はい! ユトさんは何が知りたいんですか」
「漠然とした答えになりますが、俺が行くことになる異世界についてです」
そう、今日俺たちがこうしてカラオケ店を訪れた理由は異世界についてを話題にするからだ。話をするくらいなら別にカフェでもいいじゃないか、なんて思う人がいるかもしれないが、俺の目の前にいるのは絶世の美女なんてありふれた言葉で語るには足りないほどの天使である。そこらのカフェに入った日には周囲から注目を集めて話どころではない。ましてや異世界の話なんか出来る訳がない。
だから俺は秘密の話をするのに最適な個室であるカラオケ店を選んだのだ。ここなら周囲から注目を集めることも話を聞かれることもない。だから店員さん、さっきから何度も廊下を行き来して部屋の様子を伺うのやめて! 別に今日はエッチなことしないから! 期待しているような事なんて何もしないから!
「そもそもリルさんは女神なんですよね?」
「はい! 私は女神リルカルデリアです!」
「じゃあ俺が行く異世界ってリルさんの世界ってことですか?」
「それは違います。私が普段過ごしているのは俗に天界といわれる場所です。私は天界から自分が担当する世界を見守っていて、今回その世界が危機に瀕しているためにユトさんに助けを求めました」
なるほど、やはりそういうパターンか。普段から異世界について自己学習をしている俺は異世界に行く方法として転生と召喚という二種類が存在し、その起因となる人物がその世界の人間、ないしは別次元の高次な存在ということを知っている。
そして今回は別次元の高次な存在が異世界召喚を試みるパターンだろう。
ま、これが分かったところで別に何かいいことがあるって訳じゃないんだけど。結局のところ異世界なんて行ってみきゃどういう場所か分からないし、どんなに準備したところで不測の事態というのが起きるに決まっている。
何かに精通しているオタク気質な人間なら異世界でも自己を貫けるのだろうが、俺みたいに人生をちゃらんぽらんに生きてる人間は結局のところ異世界に適応するしかない。慌てて学びだした交渉術だって実際に役に立つかなんてわからない。でも時間があるなら何もせずに異世界召喚を待つより、何か少しでも自分のスキルアップを行った方がいいにきまっている。
「その世界ってどんな場所なんですか?」
「とてものんびりした心地のいい世界ですよ。人もみんな優しいし、ご飯だっておいしいです!」
俺の脳裏に浮かぶのは中世ヨーロッパの片田舎をモチーフにしたような世界。なんで日本人が行く異世界ってどれも技術レベルが日本より劣ってるんだろう。たまには二十四世紀末くらいの技術水準にある異世界に行っても面白いと思うんだよな。
でもその場合、俺TUEEE要素が体感できないから意味ないのか。何世紀も前から来た人間が無双できるとしたら古文が読めるくらいだけど、言語体系が違ったら最早アンティーク扱いだもんな。動物園のパンダになるくらいなら神になりたいって思うのは普通か。
「魔王の目的は?」
「詳しくはわかりませんが、前例から照らし合わせても世界征服は堅いかと」
「となると俺は魔王を倒さなきゃいけないんですね」
「そうなります!」
期待のまなざしで俺のことを見つめるリルさん。こんな美少女に期待されるなんてとても光栄なことだが、俺なんかに魔王を倒せるんだろうか。
「異世界に行く際に召喚特典だったりログインボーナスはあるんですか?」
「うーん、その辺は個人差が出てしまうので何とも……」
「個人差があるんですか!?」
「はい! いきなり世界最強クラスになる人もいれば、いきなり借金を抱える人だっています。中にはそもそも人ではない生物になる人だって」
「借金ですか!?」
おいおい冗談はよしてくれ。ゼロから始める異世界生活ならまだしも、マイナスから始まる異世界生活なんて聞いたことないぞ。
「あと大体の人は不遇な立場になってます!」
付け加えるように説明するリルさんだが、それはなんとなく予想できる。だって俺も「あんなのがまさか!?」みたいな展開大好きだもん。
てかリルさん絶対に異世界に対する興味失ってるって。なんか最初よりもどんどん説明が雑になってる気がするし、今なんてマイクを物珍しそうに触ってるし。いろんな角度からマイクを不思議そうに観察して触るリルさんは捉え方によってはえっちぃ感じだ。
「あのユトさん、これが噂に聞くマイクというものなのでしょうか?」
「はい。もしかして初めてですか?」
「知識としては知っていますが、実物を見るのは初めてです」
ほう、天界にはマイクがないのか。まあマイクなんか使わなくても魔法で大きな声は出せそうだし当然か。俺はリルの持つマイクに手を伸ばすと、リルさんの手を撫でるようにマイクのスイッチを入れる。
「これで何か喋ってみてください」
「こ、こうです……凄いです!」
いきなり部屋の中に反響した自分の声に驚いてしまうリルさん。けれども興奮した様子でマイクを握りしめると、いろいろな言葉をマイクに吹き込んでいく。
「これがマイク、凄いです!」
「気に入ってもらえたようで良かったです」
「マイクって歌を歌うときに使うんですよね?」
「まあ、そうですけど」
目を輝かせながら俺の方を見つめてくるリルさんの瞳は俺に何を求めているのかすぐに分かった。
「何か歌いますか?」
「いいんですか!?」
「ええ、元々ここはそういう場所ですから」
カラオケ店は歌を歌う場所であり、断じて嫌らしい行為をする場所ではない。だから扉の外に張り付くように部屋の中を覗いてるそこの店員さんは怖いからそろそろやめて。
「実は私、歌には自信あるんです!」
「本当ですか」
自信満々そうにマイクを握りしめるリルさんの目は早く歌わせろと言わんばかりに俺のことを見つめる。それどころか先ほどからまだかまだかとウズウズしだしている。
歌に自信のある女神様がどんな美声を聞かせてくれるのか興味はあるが、天界の歌がカラオケにあるはずもない。そのことをリルさんに伝えると、リルさんは気にする素振りも見せずに答える。
「大丈夫です! 私、日本の歌も歌えますから!」
「な、なるほど」
俺の腕をがっしっと掴むリルさんの全身から早く歌わせろオーラが漲っている。俺がリルさんに機械の使い方を教えると、リルさんは驚くべき早さで機械の仕様を理解し、次々に曲を入れていく。
そしていよいよ一曲目の前奏が流れ始めると、リルさんはマイクを両手で握りしめて立ち上がる。画面を見るその眼差しは真剣そのものである。
俺はどこかで聞いたことあるような前奏に首をかしげるが、言葉が喉に引っかかっている間にリルさんの歌声が部屋中に響き渡る。
それは女神にしてはとても図太く、やけにこぶしのきいた声だ。俺が想像していた声よりも数段低く、身体に響いてくる。おまけにどっかで聞いたことのある歌だが、導入部では全然わからず俺の心をモヤモヤさせる。
だが二重意味で俺の心に住み着いていたモヤモヤは、リルさんの歌う曲がサビに入ったところで雲散霧消した。というか、全部を吹き飛ばされたような感覚だ。
『また君に~恋してる』
そう、リルさんが歌っていたのは演歌だったのだ。俺の目の前には演歌を熱唱する女神がいた。
そしてその日も俺のスマホには三亀瑠璃からのメッセージが届いていた。
三亀瑠璃『ねぇー、連絡無視しないでよ!』
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