第4話 異世界に行こうとします!

「うっ……」


 頭部にひどい鈍痛を感じ、俺は目を覚ました。目の前に広がる白い天井は俺の家の天井のものではないのに、どこか懐かしさを感じさせるような感じさせないような。


 窓から差し込む光が俺の下腹部を照らしている。周囲を見渡すとそこは記憶にない初めて見る部屋だった。自分がベッドに寝かされていることに気づいた俺は次第に意識を失う前のことを思い出して状況を察する。


 ああ、ここは異世界か。俺、異世界に来ちゃったんだ。


 意識を失う前、正確にはラブホテルで俺がリルさんに襲い掛かろうとしたあの瞬間、俺は確かにアレを見た。リルさんを守るようにして展開された半透明の光の壁。


 それは現代科学では証明できないような代物であり、異世界に詳しい人に聞けばあれが魔術的な何かだということは容易に想像できるだろう。つまりリルさんは美人局でもニューハーフでもなく、本物の女神なんだ。


 勝手に勘違いした俺が一人で突っ走ってしまったが、リルさんの言っていたことは本当だったんだ。俺は異世界に召喚された反動で意識を失い、今こうして異世界の一室で目を覚ましたに違いない。


 ああ、まさか自分が異世界に来ることになるとは。これまでも様々な作品を見てきて数々の異世界に憧れてきたが、いざ自分が異世界に来てみると意外にも冷静だ。いや、今は頭が混乱して状況をうまく整理できていないだけで、部屋の外に広がる世界を見たら心が躍り出すのかもしれない。


 期待と不安が入り混じる中、俺はベッドから立ち上がろうと足を外に出そうとする。


「まだ安静にしていなきゃだめだよ」

「うぉっ!?」


 突然自分以外の声が耳に届いて俺は驚きのあまり声を上げてしまう。慌てて背後を振り返ると、そこには椅子に座りながら何かを書類に書き込む白衣の男の姿があった。


 白衣の男は書き込んでいた書類を近くに置くと、俺の方を見ながら挨拶をする。


「久しぶりだね、悠人くん。大きくなったね」

「え、麻田先生!?」


 そこにいたのは俺がよく知るお医者さんだった。年齢は今頃五十代後半だろうが、服装を見る限り現役バリバリの外科医に違いない。


 でもなんで麻田先生が異世界にいるんだ。もしかして麻田先生も俺と同じように異世界に飛ばされたとでもいうのか!? 確かに麻田先生は外科医として名医といわれるくらいの実力を持っているが、超人高校生ではないぞ。まあ、俺も高校生じゃないんだけど。


「ど、どうして麻田先生がここにいるんですか?」

「どうしてって、悠人くんが僕の勤める病院に担ぎ込まれてきたからだよ」

「麻田先生は異世界でも病院に勤めているんですね」

「異世界? 頭を打って混濁してるのはわかるけど、異世界とまで言われると再検査が必要かな」


 ふむ、どうにも話がかみ合わないな。てかここは本当に異世界なのだろうか。窓の外からはサイレンが鳴る音だったり、車のクラクションが聞こえてくる。


 異世界にしては技術レベルが進歩しすぎではないだろうか。確かに南方のお医者様は江戸時代に革新的な医術を持ち込んでいたが、科学技術までは持ち込めていなかった。


 つまり、そういうことだ。ここは異世界ではないんだ、現在進行形で俺が暮らしている日本だ。


「俺、どうして担ぎ込まれたんでしたっけ?」

「覚えてないのかい? 君はラブホテルで張り切ったために転倒して頭を打って意識を失ったんだ。それは当時の担当医だった僕からすれば悠人くんがここまで元気に生活できていることは嬉しい限りなんだが、さすがにラブホテルで転んで救急搬送されるのはいかがなものかと思うよ。それに連れの彼女さんはとても心配してたよ」


 や、やめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。恥ずかし過ぎるだろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお。


 なに、俺はラブホテルで張り切ったために転倒して頭を打って意識を失ったから救急車でこの病院まで運び込まれたの!? なにそれ、めっちゃ馬鹿な男じゃん。救命救急の皆様に申し訳なさすぎるよ!


「まあ幸い打撲程度で済んだからよかったけど、くれぐれも気を付けるんだろ」

「すんません……」

「僕はこれからオペがあるからもう行くとしよう。久しぶりに元気そうな悠人くんに会えてよかったよ」

「俺こそ、恩人である麻田先生に会えてよかったです」


 俺の方を見てニッコリと笑みを見せた麻田先生は扉を開けて部屋から出ていく。その後ろ姿は十年前とまったく変わらず俺が憧れるほどにかっこよかった。


「ユトさん!」


 と、俺が回顧しているのもつかの間、勢いよく扉が開くとリルさんが俺の部屋に入ってくる。意識を失った俺が救急搬送されたのだから、付き添いにリルさんがいたのは当然といえば当然なんだろうが、すべては俺の勘違いが招いたことなので申し訳ない。


 羞恥のあまり俺が顔を背けると、リルさんは俺に向かって勢いよく頭を下げながら謝罪した。


「ごめんなさい、ユトさん! 私、驚いちゃってつい……」

「リルさんが謝ることなんて何もないですよ。全部俺の勘違いのせいなんですから」

「でも……」


 や、やめてくれ……そんなに申し訳なさそうにしないでくれ。そんな顔をされたら勘違いして襲い掛かった俺の立場がないじゃないか。


 リルさん最初から自分が女神で勇者を探しているといっていたじゃないか。それを緊張のあまり血迷った俺が曲解してこのような結果になったんだ。リルさんには全く非がない。だから顔を上げてくれ……。


「ほんと、俺の早とちりが招いた結果だから。リルさんは悪くないから。それよりも、もう一度さっきの話を聞かせてください」

「でもユトさん……」

「今は俺よりも世界の方が大事です」


 俺はつい嘘をついてしまった。本当はその世界のことなんでどうでもよかったのだが、少しでもリルさんの罪悪感を軽減しようと話題を変えたかった。だから仕方なく俺は思ってもいないことを口走ってしまったのだ。


「リルさんは本当に女神なんですよね? それで俺を勇者として異世界に呼びたかった」

「はい……私の本当の名前はリルカルデリア、女神リルカルデリアと申します。私の使命は魔王軍の進軍によって危機を迎えた世界を救うために異世界から勇者を召喚することでした」


 もしこの話をラブホテルで聞かされていたなら俺は微塵も信じなかっただろう。むしろそういうプレイだと勘違いしていたかもしれない。


 ただ今の俺はリルさんが魔法を使った姿を見ている。疑う余地がなかった。でも疑問が何もないと言われると、それは別問題である。そもそもなんで異世界の女神が出会い系アプリ使っているのかという根本的な疑問が残っていた。


「ところでリルさんはどうして出会い系アプリなんかを?」

「お恥ずかしい話なのですが、私は女神でも魔力が少ない方で……」

「魔力の節約のために出会い系アプリを?」

「はい。出会い系アプリでしたら魔力を使わずに色々な人と出会えるとインターネットで見たんです」


 なんという理由だろうか。魔力を節約するために世界を救う勇者を出会い系アプリで探す女神がどこにいるだろうか。そもそも出会い系アプリを使っているような勇者が世界を救っていいんだろうか。


 確かに世の中には実力があれば性格や生い立ちなんてどうでもいいみたいな風潮はあるけど、だからといって出会い系アプリを使うような勇者に救われる世界なんて悲しすぎるぞ。


 僕の世界は勇者様に救われたんだ! 女神様が出会い系アプリで出会った勇者様を連れてきて世界を救ってくれたんだ! 仮に後に童話になったとしても何とも締まらない話である。それこそ桃太郎がお供を黍団子ではなくSNSで募集する並に締まらない。


 個人的にはそんな勇者は嫌だと思ったが、世界が危ないと言うならここは一肌脱ごうじゃないか。立川悠人二十歳童貞。こんな俺でも誰かのために役に立つというなら少しばかり努力するのも悪くない。


「事情は分かりました。俺でよければ世界を救いましょう」

「ユトさん……ありがとうございます……」


 嬉しそうな表情で俺の左手を両手でそっと包み込んでくれるリルさん。こんなかわいい女神様が隣にいてくれるんだから頑張らないわけにはいかない。


 病院のベッドで俺は覚悟を決める。世界を救ったら、リルさんにプロポーズするんだ(死亡フラグ)、と。


「さあ、行きましょう、リルさん。二人で世界を救いに」

「あ、えっと、それなんですけど……」

「どうかしましたか?」


 突然挙動がおかしくなるリルさん。具体的には俺の手はそっと握ったままだが、若干湿り始めており、先ほどから視線があっちこっちに泳いでいる。


 まるで何かを隠したいけどうまく隠せない子供のようだ。


「リルさん?」

「えっとですね、私は魔力が少ないって言ったじゃないですか?」

「はい。だから出会い系アプリを使ってたと」

「実はさっきプロテクションという魔法を使っちゃって……」

「まさか……」

「はい、そのまさかです……」


 俺の脳裏に嫌な予感が半分とちょっとだけ期待が混じった喜びが湧き上がる。


「実はさっきの魔法で魔力を使いきっちゃって、向こうの世界に行けなくなってしまいました」

「あぁ、女神様……」

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