第3話 主導権握ります!

「勇者?」

「はい、勇者です!」


 戸惑いながらも問い返した俺に寸分の迷いもなく頷き返したリルさん。先ほどまで俺の中を駆け巡っていたはずの電気信号が一斉に活動を停滞させ、ドクドクと脈打っていた心臓も止まったかのように静かになっている。


 俺はいきなりこの状況を俯瞰しているような錯覚に陥った。


 先ほどまでリルさんが美人局だろうがニューハーフだろうが関係ないほど俺の脳内は性欲で満たされていたのだが、今となっては溢れ出るように湧いていた性欲は砂漠の井戸のように枯れてしまった。


 俺に勇者になってほしいと懇願したリルさん。勇者とはあの勇者で間違いないのだろうか。近年アニメ業界で乱立している異世界にいったら勇者になってチート能力で敵を倒していたらいつの間にかハーレム作っていましたみたいなチーレム物に出てくる勇者のことだろうか。


 いや、でも逆に最近は異世界で俺TUEEEする勇者は飽きられてしまったからギャグに走ったり、敢えて勇者ではないパーティーメンバーを描く物語が流行っているからそう言うパターンかもしれない。


 でもリルさんは勇者といったからおそらくパーティーメンバーはないだろう。となると召喚された勇者だけどなぜか国王から嫌悪されて苦境に立たされながらも己を貫く豚野郎な勇者パターンかもしれない。


 ほんと最近は毎日のように異世界へ行く人が出てきているから下手をしたら日本の十五歳から二十歳くらいまでの人口構成比だけ極端に落ち込んでいるんじゃないかと心配になるよ。日本じゃ有望じゃない人材だけど異世界に流出していったら、その分を補填するために異世界から連れて来なきゃいけないのにそう言う物語はあまりないよね。


 このままでこの国の税制度は大丈夫なんだろうか。


 と、ラブホテルで美少女を前にしているにも関わらず、まるで関係ないことを考え始める俺であった。


「勇者というのは、あの勇者ですか?」

「はい、あの勇者です」

「あの異世界に行って世界を救うあの?」

「はい、異世界を救ってくれる勇者です」

「あ、そうですか……」


 うーん、読めない。マジでリルさんが何を考えているのか全く読めない。


 もしこれが美人局なら異世界に行くといってホテルを出ると黒塗りの高級車に連れ込まれてどこかの事務所に連れ込まれるということだろうか。いや、でもさすがに黒塗りの車で異世界に行けると思う人なんて皆無だよな。


 だが待てよ。突然富士の樹海で異世界に繋がる穴を見つけてしまった国が異世界にオタク文化を普及させようとしたり、突然銀座辺りに出現した異世界への門への対処のために探索に行かされるなんてことがあるかもしれない。けれども二つの事例に置いて勇者であるとは言えない。


 となると実はリルさんが俺の片手剣ペネトレイト・レイピアよりも立派な大剣グラスボンバーを持っていて、勇者として互いの剣で語り合おうという案じに違いない。異世界というのは日本人離れしたリルさんの容姿にことを指していて、異世界という名のリルさんを救うんだ。そうだ、そうに違いない。


 つまりこれは勇者プレイだ!


「わかりました、リルさん。俺は勇者役に徹しましょう」

「本当ですか! ありがとうございます!」

「リルさんのためですから。それにリルさんも勇者役なんでしょ?」

「いえ、私は女神です」

「なるほど、リルさんは女神ですか! 確かに女神のように美しいですもんね!」


 なんということだ……まさか勇者が剣を交える相手が女神なんて……。


 女神と剣を交える勇者なんて聞いたことねえよ。何でそこまで頑なに女神にこだわるんだよ、ここまで来たらもう女神じゃなくて剣神くらいにしてくれよ。俺よりも立派な大剣グラスボンバーを持っているんだから。


 最初こそ予想外の展開に俺は俯瞰するような立場をとってしまったが、いざ勝負となれば再び俺の身体が滾り始める。例え相手が自分よりも立派な剣を持っていようとも、リルさんが巨乳でとても可愛いことには変わりないんだ。


 きっとリルさんは俺より立派な大剣グラスボンバーを使って俺のことを服従させようとしてくるに違いないが、俺は大きさだけで屈するような柔な男じゃない。ネットで培ったテクニックを駆使して絶対にこの戦いの主導権を握ってやる。


「それでリルさん、世界観はどんな感じなの?」

「えっとですね、魔王軍が人類を征服しようとしていて……」

「なるほど、魔王が敵ですね」


 戦いの舞台設定は魔王軍が攻めてくるような王道な世界観。しかしこれでは魔王から人界を守る勇者と女神という構図になってしまい、勇者プレイとは言えない。


 そこで俺はリルさんに提案する。


「リルさん、魔王軍やめましょう」

「えっ!?」

「代わりに勇者を召還した女神が実は黒幕だったってことにしましょう」

「え、え、でも……」

「そして女神は勇者を前にしてこう言うんです。『ふん、今更気づいたって遅いわ』って!」

「ちょっと待ってくだ……」

「いいから俺の言った通りに言ってください!」


 俺はリルさんに主導権を握らせんとばかりに自分のペースに持ち込もうとする。そして俺が攻めに転じると思っていなかったリルさんは案の定、焦る様子を見せていた。


「はやく!」

「は、はい! ふん、今更気づいたって遅いんですから!」

「くっ、まさか女神が黒幕だったなんて……」


 俺は自分の心臓を抑えつけるようにホテルの床にうずくまる。やはりこういう時は相手に一服盛られて立ち上がれないシチュエーションの方が燃えるというもんだ。


「だ、大丈夫ですか!?」

「違うよ、リルさん。そこは『ふふ、ようやく薬が効いてきたようね』です」

「え、あ、はい。よ、ようやく薬が効いてきたみたいです」

「くっ、だがここで負けるほど勇者は落ちこぼれてはいない!」


 力強く叫んだ声が部屋の中に響くと同時に俺は勢いよく立ち上がると上に来ていた服を脱ぎ捨てる。そして薬が効いていないことに動揺したリルさんに向かって吐き捨てるように叫ぶ。


「なななんで服を脱ぐんですか!?」

「今こそ勇者の力を見せてやる!」

「え、えええええええええ」


 明らかに主導権を握られてしまったリルさんは動揺して動けない様子だ。やはり大剣グラスボンバーを持っているとはいえ、自分が想定していない事態には弱いようだ。


 そもそも人間は自分の予想を超えた事態に遭遇したときに思考を止めてしまう癖がある。それは俺がリルさんと出会った直後にラブホテルへ入った時に起きたのと同じである。


 リルさんは俺の予想を超えるためにいきなりラブホテルへ入室し、その上で勇者プレイなどという世界でも稀なプレイ内容を試みたのだろう。確かに俺も最初は面食らって思考を止めそうになってしまった。


 だがここで俺が驚異的な適応を見せ、そしてこちらから設定を変えることで今度はリルさんの予想を俺が超えた。運がよかったと言えばそれまでだが、この瞬間、俺はこの空間の主導権を握っていることに変わりはなかった。


「いくぞ、悪しき女神!」

「え、あ、え!?」


 今なお動揺の色を見せるリルさんに向かって俺は大きな一歩を踏み出し、飛び掛かろうとした。このままいけば俺がリルさんをベッドに押し倒す形になり、その後もこちらから様々な攻撃を繰り出すことができる。


 常識的に考えれば上半身裸の男がか弱そうな女性に飛び掛かる様子は犯罪だが、ここはラブホテルの一室という完全な密室。例え相手が何者であろうと、俺は今この時をもって真の漢になるんだ!


 飛び掛かる俺の右手がリルさんの胸に触れようかとしたその瞬間だった。


「プ、プロテクション!」

「ゴフッ」


 俺は右手を始め、頭部から左肩に掛けて強い衝撃を受けたと思った刹那、まっすぐ床に向けて落下を始めていた。そしてわずかな時間を挟んで俺の身体の前面を強い衝撃が襲う。


 一体何が起きたのだろうか。まるで突然見えない透明な壁に衝突して倒れ込むような感覚に俺の思考が追い付かない。


「だ、大丈夫ですか!?」


 俺に向かって心配そうな声をかけてくれるリルさん。リルさんの前にはまるで彼女を守るかのように現れた半透明の光の壁を視界に収めながら俺は意識を失った。

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