第262話 いつも見ていた

 そうして様々な結末が、様々な場所で迎えられていく中、戦の中心にいた男は、

「アレサンドロ……アレサンドロ!」

 と、呼びかけられている。

「アレサンドロ!」

 と、頬に当たる指の感触が、昏倒したアレサンドロを目覚めさせた。

 細く、繊細で、さらりとした指だ。

 背中に押し当たる地面は固い。

 見知った男の、やや青ざめた顔がのぞきこんでいた。

「アレサンドロ」

「ん……ハサン」

「よしよし。どうだ、痛みはないか」

「さあ……どうだかな。動いてみねえと……」

「おっとと、待て待て待て」

 ハサンはあわてたような声を出して、起き上がろうとするアレサンドロを押さえつけた。

「よく見ろ。彼女はまだ眠ったままだぞ」

「彼女……?」

 あ!

 アレサンドロはこのとき、胸の上の重みと、黒髪に気づいた。

「カ……!」

 ばくん、と、心臓が跳ね上がった。

「いや、まったくよくやってくれたぞ、アレサンドロ。ここまでのところ、まずまず理想どおりに事は運んでいる。カラスはこうして助かり、あれも……おい、なにをしているのだ、アレサンドロ」

「いや、あの……」

 アレサンドロは、おこがましくも胸に抱いていたカラスを大事大事にハサンに預け、すぐに、まかせたとばかりに身をひるがえした。

 そして、

「痛え!」

 と、ひっくり返った。

「イ、テテ、テ……なんだ、こりゃ」

「馬鹿め。おまえの分身ではないか」

「へえ?」

 アレサンドロはしたたかに打ちつけてしまった顔面をさすりさすり、目の前の壁を見上げていった。

 光のもれる、いくつかの裂け目のようなものがあり、金属や石のように見える部分があり……。

「獅子王、おまえ、獅子王か!」

 やっとそれが、上下にふたつ重ねられた、巨大な手のひらだと気がついた。

 三人は、獅子王が腕をまわして作った輪の中にいたのである。

「そうか」

 アレサンドロは、『あの瞬間』のことを思い出した。

 あの赤い針を、カラスから抜き取ったときのことである。

 突如、まばゆく発光したあれは、やはり爆発物だったのだ。

 とっさにそれを放り捨て、カラスの上に覆いかぶさったところで記憶は途絶えているが、間違いない。爆音も聞いた。熱風も感じた。

「それを、おまえが助けてくれたってのか、獅子王」

 獅子王は、つんとすましているように見えた。

 ……いや、待てよ。

 アレサンドロは首をかしげた。

 獅子王は、旋風のメグレズの風を受けて吹き飛ばされてしまっていたはずだ。

 それが、腕を勝手に動かしてみせたというのはもちろんのこと、ひとりで駆けつけてくることなど……、

「ハ。できるな。できてもおかしくねえ」

 なにしろ、乗り手の言うことさえ聞かない、頑固な意志を持ったN・Sなのだから。

「さて、アレサンドロ。私はいつまでこうしていればいいのかな?」

「あ?」

「カラスだ。このままでは、私が助けたことになりかねんぞ」

「あ……」

 アレサンドロは赤面した。

「お、おう。じゃあ、そうことにしておいてくれ」

「馬鹿。ここにきて照れるやつがあるか。いいからこっちへ来い」

「いや、あ、いや、駄目だ」

「なぜ」

「なぜってよ……」

 やはり、恥ずかしいからに決まっている。

 昔のあれやこれやより、つい先ほどまでの、あれやこれやが。

 唇にはまだ生々しく、カラスのうなじの、あのなめらかな肌感触が残っている。

「とんだ王子様だな。早く来んか」

 と、それでも、アレサンドロがいやいやしていると、

「ふふ、ふ」

 ハサンの腕の中で、清涼感のある笑いが起きた。

「カラス」

 ハサンの呼びかけに応えて、その目蓋がふわりと開いた。

 美しい視線はもちろん、まず自分を抱きかかえる男に向いて、

「ひさしぶりね……オズワルド」

「おお……覚えていてくれているとは、思わなかった」

 ハサンの声が少し、うるんだようだ。

「大悪党には、なれた?」

「ご覧のとおり」

「そうね、どこからどう見ても、そう見える」

 カラスは、おどけ調子にそう言った。

「しかし、なぜだろう。あなたはひさしぶりの再会だというのに、驚いているふうでもないな」

「ええ、いつもではないけれど、N・Sの中にいることもあったのよ。そういう意味でも、あの男は完璧ではなかったのね」

「あの男」

「オオカミ」

「ああ」

「もどかしい思いをしたわ」

「では、カラス。もしや私の弟子は、あなたが?」

「背中を押しただけ」

「だとしても、感謝を」

 ところどころ疲れたようにカラスがため息をはさんだ以外、小声で、きびきびとかわされた会話は、ひざをかかえて獅子王の装甲に同化しようとしているようなアレサンドロまでは、わずかにしか届かなかった。


「さて、見てくれカラス。あの男だが」

 そんな声が聞こえたので、アレサンドロはどきりとした。

 じりじりと、誰かがにじり寄ってくる音がする。いや、誰かなどと言うことはない。

 それは間違いなく、カラスだ。

 心臓が高鳴り、獅子王の手のひらにすがりついた手が、霧吹きを吹いたようにじっとりとした。

 ああ……。

 どうだろう。カラスは自分に気づかないかもしれない。

 先の戦からは、もう十六年もたっている。

 身長も二十センチは伸びたし、髪もだらしなく伸びた。

 いや、そもそも昔の自分は、エディンやブルーノと比べれば、その他大勢のほうだった気もする。

 う……!

 うずくまっていた背中に、いたわるように手が当てられた。

「顔を見せて」

 ……ああ。

 なつかしいカラスの声だ。

「あなたでしょう。私を、助けてくれたのは」

 アレサンドロは、強い酒に酔ったような心地で声に従った。

「……カラス」

「アレサンドロ」

「俺が、わかる?」

「あなたは変わらない。またそんな目で私を見るのね」

 このとき、ハサンはカラスの声音に、これは、というものを感じ取った。会話のニュアンスを拾うといったことに関しては、自分の耳と感覚に絶対の自信を持っていた。

 つまり、これはもしかすると、もしかするわけだ!

 ハサンは目を閉じ、荒削りの想像ではあったが、近い将来目の当たりにできるかもしれない、ひとつの光景を思い浮かべてみた。

 それは、思わず笑いがこぼれてしまうほどしっくりしていた。

 さして大きくはない神殿の中で、椅子から立ち上がり、高く帽子を投げ上げる人々。あふれる歓声に応えるふたり。

 王様万歳!

 王妃様万歳!

「さあ」

 と、カラスが力強く言ったので、ハサンはさりげなく目を開いた。

「まだ終わってはいないはずよ。あの子はいまも戦っている」

「あの子?」

 頭のしびれたアレサンドロには、とっさにそれが誰であるか思い当たらなかった。

「カラスのあの子よ」

「ユウか! てことは……!」

 コルベルカウダが危機なのか。

「違う」

 と、ハサンは手を貸して、アレサンドロとカラスを立ち上がらせた。

「ユウは来たのだ。相棒を助けるために戦場へ来た。そしていまは、オオカミと戦っている」

「あ……!」

「行きましょう、アレサンドロ」

 カラスの言葉を、ハサンが引き取った。

「もうすぐすべてが終わる。そしてはじまるのだ」

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