第263話 恐るべき男

 魔人オオカミがセロ・クラウディウスを名乗り、将軍機『旋風のメグレズ』に搭乗していたということはユウも知っている。

 そのメグレズの固有能力は、風を起こす、ということだったが、いま剣をまじえているN・Sの体さばきも、まるで風のようだった。

『なるほど、読めたぞ、ヒュー・カウフマン』

 オオカミはその白銀の尾を、気持ちよく、ふさふさと揺らしながら言った。

『君は魔人か。魔人カラスか』

 ユウはなにか、珍獣にでもなったような気がした。

『まったく、魔人はよく人間のふりをする。あのジャッカルのように、人の世界で生きるために便宜的に、という者もいれば、人との関係を結ぶために、という者もいる。ここで面白いのは、人と魔人が養子縁組を結んだ場合、多くは魔人側が『子』になるということだ』

『え?』

 そうなのか、と、思った瞬間、手の甲を、す、と、刃がそいでいった。

『しかし、N・Sに『書きかえ』の力がそなわっていたとは知らなかったな。しかもそれは、進化に近い。もう調べつくしたと思っていたが、フフ、そう甘く見るものではなかったか』


 いまや、ジーナス山周辺で活発に動いているのは、N・Sオオカミと、新N・Sカラスのみと言っていいだろう。

 空のコルベルカウダに攻撃を仕掛けていた一軍は、

「こりゃいくらやっても駄目だ」

 とばかりに、少し前から監視態勢へと移行していたし、地の戦場では負傷騎士の回収作業以外、L・Jによる、まるで調練のような隊列の編成ばかりがおこなわれている。

 その調練の進捗状況は、逐一、本陣へともたらされたが、彫像のように屹立する総司令、ジークベルト・ラッツィンガーは、

「うむ」

 と、重々しくうなずいて見せるだけで、それ以上の指示を与えようとはしなかった。

「閣下」

「コッセルか。連絡は」

「ございません」

 ラッツィンガーの唇から、うなるようなため息がもれた。

 ここで待っている連絡とは、もちろん帝都からのものである。

『戦闘の中止を命ずる』

 という宣言か、あるいは、

『レッドアンバーの仲間を捕らえた』

 という最悪のシナリオか。

「閣下」

「うむ……どのように転ぼうと手は打ってある、と言うのだろう」

「いまは待たれるより他はございません。それよりも、ケンベル将軍が……」

「ケンベル殿が?」

「超光砲のメラクを捨てられ、行方知れずと」

「そこまでは聞いている」

「無事との連絡がまいりました。どうやら、決着もつけられましたご様子で」

「では、テリー・ロックウッドを……?」

 おだやかに微笑んだコッセルが首を横に振ったので、ラッツィンガーは、

「そうか」

 と、たまっていた息をはきだすように胸をなでおろした。

「しかし、つくづく、おかしな戦だな、コッセル」

 戦とはつまり、変動を求めることだ。

 その結果と結末には常に、大なり小なり足し引きが存在する。

「我々はいま、その足し引きをゼロに調節しながら戦っているのだ。なにも得ぬように、なにも失わぬように」

 コルベルカウダをながめ、遠く帝都にまで想いをはせている主人のかたわらで、コッセルは静かにうなずいた。

 ……さて。

 と、この老紋章官は胸に手をやった。

 布越しに感じる四角い感触。胴鎧さえ帯びぬその懐には、実は届いたばかりの帝都からの電信、『戦闘の中止命令』が秘匿されている。

 セロ・クラウディウスが死ぬか。アレサンドロ・バッジョが死ぬか。

 いずれにせよ、ひと区切りついた適切な時機に、

「ただいま帝都から……」

 と、それは提出されるのだ。

 コッセルは思う。

 クラウディウス、レッドアンバー、そして、我ら。

 冗長な三すくみはもう結構。

 ここで戦を止めてしまっては、一角を崩すせっかくの機会が無駄になる。

「ふふ」

 ラッツィンガーは凛々しい眉を下げて笑った。

「おまえは私が弱っているときほど、したり顔をする」

「これはこれは、滅相もございません」

 コッセルは顔をつるりとなでた。


 このようなコッセルのたくらみを、オオカミは知っているのだろうか。

 それは、もちろん知っている。

 だが、やはりこの男にとっては、どうということはないことなのだ。

 生?

 死?

 それが終着点であった時代はもう終わったのだよ、コッセル。

 新しい肉体に記憶を入れかえれば、『我々』はいつでもやり直すことができるのだから!

 しかし、そうは思ってもオオカミは、実のところコッセルが恐ろしい。その頭脳から編み出される策がというよりも、コッセル自体に不気味さを感じている。

 大海のような存在と言えばいいだろうか。

 普段は、石を投げても嵐を起こしてもまったく動じることはなく、こちらに手を出してくることもないが、あなどって深みに踏みこもうものなら確実に足をすくわれてしまう。

 しかも、実際に邪魔をしてくるのは大海にあやつられていることも知らない小さな波や渦……元老院や鉄機兵団、もしくはレッドアンバーのようなものなのだから、なおさらたちが悪いのである。

 そうだ。常に演者たちの背後にいる、書き割りの背景のような男と言ってもいい。あるいは、その舞台監督……。

 オオカミは首を振って考えるのをやめた。

 どうせ、それも今日までのことだ。

 これからは、と、首輪をはずす自分を想像した。

 コッセルという男が目障りであったのは、グライセンという同じ檻の中にいたためだ。

 その檻を今日、私は破って出ていく。

 緋色と荒野の似合う、あの、いとしの主人とともに……!

『う……』

 胸に響いたかすかな痛みによって、美しい幻想はかき消されてしまった。

 見るとN・Sの胸の中心に、黒い柄巻のエド・ジャハン刀が突き立っている。この事実に驚いたのは、他ならぬ加害者のユウであった。

 ユウが大刀を手放すと、オオカミは二、三歩あとずさった。

『ああ……』

 オオカミの口から、満足したような長い息がもれた。

『二度目だ』

『え?』

『二度目だ。あのときもカラスは、光炉を、傷つけられなかった』

 オオカミは非常に苦しそうにしながらも、胸から突き出た大刀の柄を、指先でゆっくりとなでさすった。

『まったく、情の深い生き物だよ、カラスというやつは。生きる道を、いつも残しておいてくれるのだから』

『オオカミ……う!』

 ユウは、ぐらりと揺らいだその身体をとっさに抱きとめようとした。こちら側にのめってきたので、反射的に手が伸びたのである。

 そこを、斬られた。

 カラスの胸を斬り上げたオオカミの剣は手応え不十分であったことをすぐに察して、流れるように、しかし叩きつけるように袈裟斬りへと移行した。

 まずい!

 ユウは右腰の小刀を抜いた。

 手加減などできる状況ではなかった。

『オオカミ!』

『ハ、ハ、これで満足だろう! 満足だろうな、コッセル!』

 ここでなぜオオカミが、他軍の紋章官の名など口にしたのか。考える暇も与えられないまま、ユウは目をむかされることになった。

 気迫十分に振り下ろされたオオカミの手。

 そこには、先ほどまではあったはずの剣が握られていなかったのである。

 なにものにもさえぎられることなく小刀は走り、胴を離れた白銀の首が、ぽおん、と、青白い空に飛んで、ユウは、さも痛快であるといったような笑い声を聞いた。

 ハハ、ハ!

 これで……自由だ……。

 

『ユウ!』

 その声は、しばし呆然と立ちすくんでいたユウを現実へと引き戻した。

 随分とひさしぶりに聞く、相棒の声だ。

 駆けてくるのは、N・S獅子王とN・Sコウモリ。

 そして、コウモリの手のひらで、気だるげに身をもたせかけているのは、

『カラス……うわ!』

 獅子王の太い腕に抱きしめられて、ユウは少しばかり苦しい思いをした。

『聞いたぜ』

 アレサンドロのささやきは、ユウの耳の奥に響いた。

『おまえ……カラスだってな』

 獅子王の腕の力が、さらにほんの少し強くなった。

『縁ってやつだな。これが、縁ってやつなんだな』

『……ああ』

 ユウは、本当にそのとおりだと思った。

 カラスを愛し、カラスを相棒に選んだ、アレサンドロ。

 カラスに二度までもたてつかれた、オオカミ。

『そうだ、オオカミは!』

 ユウとアレサンドロが振り返ると、その大刀の突き立った白いむくろのそばには、N・Sコウモリがうずくまっていた。

『ハサン、オオカミはどうなった』

『まぁ待て、アレサンドロ。結論を出すにはもう少しかかる』

『ああ?』

『そうだな、カラス?』

 コウモリの手のひらで、カラスはうなずいた。

 身を乗り出して、気品高く、じっと、N・Sオオカミを見すえたまま、

「彼はそういう男よ。見た目にだまされてはいけないの。たとえここで死体が見つかったとしても、それは死んだ証拠にはならないかもしれない」

『それは……』

 どういう意味だ。ユウの言葉をさえぎったのは、高らかに鳴り響いた角笛の音だった。

 

 戦闘行為の中止を命ずる!

 戦闘行為の中止を命ずる!

 これは、帝都よりのご勅令である!

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