第225話 回顧
「散歩に行こうか」
親とも慕うジャッカルにそう誘われたので、アレサンドロは、なんのためらいもなくついていった。
ここは、帝国南西部領アンザス。その西端地区。北の白鳥城よりも春が早いため、枯れ草の重なりの中に、淡い緑と、まれに小さな紫の花を見出すことができる。
午前の晴れ渡った空の下、時折強い風が吹いて、草原はすがしくサアサアと鳴った。
……もうやっつけたかな。
アレサンドロは、巻き上がる自身の髪を押さえつけてそう思った。もちろん、ユウの仇討ちのことである。
大丈夫だろうか。怪我などしていないだろうか。そうマンムートの仲間たちもよく口にする。
しかし皆、ひととおりの心配をしたあとには、口をそろえてこう言うのだ。
正しいおこないには、必ず神の加護がある。
そのとおりだとアレサンドロも思う。上手くやっているに違いない。
いま、どこかで見たことのある鳥がぱっと飛び立っていったのを見送って、アレサンドロは不思議と、ますます大丈夫だという心地になった。
「ああ、本当にいい天気だ。あそこで休んでいこうか」
ジャッカルはそう言って、先の集落を指さした。かつては農夫たちが住んでいたものだろうが、石造りの屋根はことごとくが抜け落ちている。
崩れ残った石段に腰を下ろすと、雪の残る北の稜線を見渡すことができた。
「どれがジーナス山かな?」
「ああ、あの、正面の」
「ああ、あれが」
ジャッカルは、その細い目を開こうとしてか眉を上げ、なるほど、と、つぶやいた。
「神とともに捨てられた山。捨てられた土地……か」
いまからおよそ十五年前。獣神トガの信仰禁止とともに放棄された土地が、まさにここであった。
「帝国も馬鹿なことをしたもんだぜ。神殿が魔人を生んだなんて、そんな噂を真に受けてよ」
「……うむ」
「まあそのおかげで、なんの気兼ねもなくここに住めるんだ。俺たちにとっちゃあ、ラッキーだったのかもしれねえな」
「ふふ、うれしそうだな、アレサンドロ」
「え?」
「カラスか」
「せ、先生。俺は、別に……!」
「ふ、ふふ、隠さなくてもいい。彼女が生きていてくれたことは、私もうれしい」
アレサンドロは、かっと熱くなってしまった自分の頬を隠そうとした。心の中を言い当てられたからというよりも、三十歳にもなってこんな話題でうろたえてしまう、自分自身のウブさが恥ずかしくなってしまったのである。
そんな自分を見るジャッカルの面には、以前のような困惑や悲しみはない。
それどころか、
「せ、先生……?」
「ああ、いかんいかん」
と、ひとすじのうれし涙のようなものをこぼしたので、アレサンドロは驚いてしまった。
「歳のせい、などと、魔人が言うのはおかしいかな」
ジャッカルは頬をなでるようにして照れ笑いした。
「おまえは本当に、魔人を愛してくれているのだなあ」
「ちぇっ、なにを、いまさら……」
「昔……昔な。獅子王様に、こう問われたことがある。ジャッカルよ、どうして我々は人間の姿へと生まれ変わったのだと思う、と」
「それは、その」
「そう、理由だな。どうやって、ではなく……」
「なぜ人間にならなければいけなかったか?」
「そう。そう言いかえてもいい」
それは世間では、最も優秀な生物の姿を模したのだと、実に驕慢に言われているが……、
「先生はなんて?」
「なにも言えなかった」
「獅子王は?」
「うむ、それがな」
ジャッカルは身じろぎして、
「動物が人間へと転生するのは、人間と、つがうために違いないと、こうおっしゃられたのだ」
「なに?」
「私はもちろん否定をしたが……ある意味あれは、正解だったのかもしれない。いや、これからのおまえの世界では、それも許されて欲しいと、そんなことをな、ふと、いま思ったよ。は、は」
アレサンドロの胸は騒いだ。
騒がさずにはいられなかった。
人間とつがう?
まさか獅子王は、
「人間とデキてた? そうなのか、先生!」
ああ、うむ、と、ジャッカルは鼻をかいて、今度はひどくさびしげに微笑んだ。
「ヤナ、といったかな。こう言ってはなんだが、まるで、泥の塊が布を巻いたような、どこがいいのかわからないような娘でなあ……」
……そうか、先生はこの話がしたくて俺を誘ったのか。アレサンドロが察したのはそのときだ。
以前、ジャッカルは言っていた。コルベルカウダは、魔人と人間が決してまじわることのできないものなのだという印象を強く自分に植えつけたと。獅子王とヤナは、きっと悲しい結末を迎えたのに違いない。
ジャッカルの話は、まさにそのとおりのすじだった。
ヤナは死んだのだ。
手順を踏むことを嫌い、思いつきのままに魔人と人間をつなごうとして、兄に、建造中のコルベルカウダを見せてしまったばかりに。
「当時の人間の暮らしというのは、いまよりもはるかに……シンプルだった。畑はあったが実りは少なく、狩猟も採集も、いまよりずっと身近なものだった。そんな人間に、自動で開く扉や新種の生き物見せたらどうなるか。言われたよ。化け物たちめ、と」
ヤナは集落へ連れ戻され、悪魔憑きとして崖の下へ放り捨てられてしまったのだという。
そしてコルベルカウダは幾度か襲撃に合い、その鎮圧後、獅子王はひとり、姿を消したのだった。
「本来ならばそこで、コルベルカウダは捨てるべきだったのかもしれない。だが我々の中にはまだ獅子王様を必要とする気持ちがあったのだ。我々はコルベルカウダを完成させた。そうすればまた、戻ってきてくださるような気がしていた。しかし……」
「獅子王は戻らなかった」
「仲間たちも皆、絶望して去っていった。私とヤマカガシはコルベルカウダを封印し、それ以降は常に、人間の文明とのバランスを考えて生きてきたのだ」
「……」
「この景色を見てごらん。これが魔人だ」
「え?」
この廃屋ばかりの荒野が?
「これを、このまま自然にそわせるのか、手を入れ、人にそわせるのか。それが獅子王様の考えておられたことであり、おまえのやろうとしていることだ。ただ獅子王様の千年計画を、おまえは、たったの五十年で成さなければならない」
「……ああ」
「やってみなさい」
アレサンドロは、はっとなって、ジャッカルを見た。
「私は、そばにいるよ」
「先生……!」
と……。
突如起こった通り風が、アレサンドロの口をつぐませた。
なんだと見れば、世にも美しい瑠璃色のN・Sが着陸の体勢に入っている。
「クジャク……!」
「行こうか、『鍵』が来たらしい」
ジャッカルは故郷へ行くような顔をして、すっくと立ち上がった。
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