第223話 似た者同士

 ぎょっと、ユウは立ちすくんだ。青天の霹靂であった。

 その叫び声を上げたのは自分ではなく、誰か、他の人物だったのである。

 それは男の声だった。躊躇のない声だった。大きく、炸裂弾のように弾けて、わあんと拡散して消えた。

 そしてすぐに城が、目を覚ました。

 おかしい……!

 周囲を見まわして、ユウがはじめに思ったのはそれである。

 哨戒の騎士に見つかったのならば、その男がこの場にいなければおかしい。だがいない。

 ひとりで盗賊団を足止めする自信がなく逃げたのか。いや、そんな臆病者は、そもそも声を上げたりはしないはずだ。まず賊を見つけた時点でこっそりと詰所まで戻り、人を集めて包囲網を張る。

 ユウはともかくも走った。戸惑いに乱れた足音と、号令と、火影が、四方から近づいていた。

 ささやかな小庭園への開口部を見つけ、これ幸いと一歩、足を踏み出した瞬間、

「あ……!」

 またしても不意打ちであった。

 外にいた何者かによって、壁ぎわへ引き倒されたのである。

「テ、テニッセン?」

「しいっ!」

 口をふさがれたと同時に、ばらばらと足音が通りすぎていく。

「……よしよし」

 言って手をのけたテニッセンは、城中の盗人とも思えないほがらかさで笑っていた。

「テニッセン、どうしてここに!」

 アジトに残ったはずではなかったのか。

「おまえこそ、どうしてここにいる」

「それは……」

「逃げてきたのか」

「……その」

「いや、いい、それでよかった」

「え?」

「行こうか。出口を知ってる」

 のっそりと立ち上がったテニッセンのうしろ姿を見て、ユウはここでようやっと、この男が叫び声の主だったことを理解した。

 しかし、また、どうして……。

 ぴんと閃くものがあった。

「そうか、バーナーか」

「バーナー?」

「バーナーだ。あんたはバーナーをはめるために帝都から移ってきた。そのために、この城での盗みをくわだてた。そういうことか!」

「待て待て、おまえこそ、とんだ食わせ者だ、ニコ」

 いぶかしげな顔で聞いていたテニッセンの目が、このとき青白く輝いた。口もとに残した笑みとあいまって、ものすさまじい威圧感である。

「錠前師の息子? なるほど、すっかりだまされた。帝都の鉄機兵団か」

「違う……!」

「違う?」

 ク、フフフ、と、テニッセンは肩を震わせて笑った。

「そうか。まあなんにせよ、このまま帰すわけにはいかんぜ!」

 あっ、と、危険を察したユウは、ぬかるみに倒れこむようにして身を低くした。

 髪をかすめていったのは刃風だ。

 テニッセンがナイフを抜いたのだ。

「だから、違う!」

 と、ユウは転がり立ち上がり、坪庭の中央に鎮座する、水の枯れた噴水付近まで飛びすさった。

 テニッセンはあわてず騒がず、すべるように追い詰めてきた。

「テニッセン、俺は……!」

 と、上体をのけぞらせて刃をかわし、

「ヒュー・カウフマンだ」

「ヒュー……?」

「ヒュー・カウフマン!」

「ま……魔術師の弟子?」

 このとき起こったのが、捕物開始の大音声である。

 バーナーたちの怒号。ちゃんちゃんばらばら。

 ユウとテニッセンは一瞬、そちらへ気を取られたが、すぐにどちらからともなくうなずき合い、また壁ぎわまで走って身をかがめた。

 いまは下手に動かないほうがいい。ふたりは目顔でこの判断を共有し、同時にお互い、これはなかなかの修行を積んだ男で、時が違えばいい仕事仲間になったかもしれない、などというようなことを感じ合った。

「俺は吸血鬼の下にいたんだ」

 テニッセンの告白を聞いて、ユウは、やっぱり、という思いだった。

 帝都の吸血鬼バングと北の魔術師ハサン。このふたりの商売と関係は、あらためて説明するまでもないだろう。

「それが、どうして……」

「こんなところにと思うだろうが、もう五年も前になるかな、堅気の商売をしてた妹夫婦の店に、バーナーのやつが押しこみをかけたんだ。かわいい盛りの甥っ子、姪っ子もいたのに、まあ、ひどい有様だったとさ」

「……」

「仇討ちなんてつまらんことはやめろ。吸血鬼はそう言った。だがこいつ、許せんよなあ。俺は許せなかった」

「ん……」

「わかるか」

「わかる」

「わかるよなあ。だから俺はちょいと休みをもらって移籍したってわけだ。……え? 堂々とはたし合い? そんなことをしても殺されるのがオチだ。相手は筋肉ダルマ。俺は……さっきの振りまわしかたを見ただろう。刃物なんてあつかったことがない」

 テニッセンは手の中のナイフをぽんと泥雪へ投げ捨てて、だいたいこんなのは、まっとうな盗人の使うものじゃないと言い訳をした。

「とにかくそんなわけで、ようやく今日だ。今日で全部、かたがついた。あいつはこれで縛り首。これで俺も心置きなく……」

「どうする?」

「戻る。バングのところへ。その実、どうしようかって気はあったんだ。なにも知らない妹は、いつも俺に腰を落ち着けろと言っていた。よければ、一緒に住もうとな。その遺志を尊重して足抜けしようかと、まあさっきまで迷ってたんだが……駄目だな。妹たちには悪いが、やっぱり俺はヤクザだよ。は、は、は」

 ユウはうらやましくなった。

 この笑顔で明日の朝を迎えられたら、どれほどいいだろう。

「それにしても、悪いことをしたなあ。バーナーがおまえの腕を欲しがったもんで声をかけないわけにいかなかったんだが、迷惑だったろう」

「いや……俺も、仇を討ちに来たんだ」

「ん?」

「メッツァー・ランゴバルト。これから行ってくる」

 テニッセンの彫りの深い目が、丸々となってユウを見た。

 そしてすぐに、

「そういうことか」

 と、合点した。

「はは、利用されてたのは、こっちだったってわけだ」

「すまない」

「いや、いい。しかし、おまえ、うらみが薄いな」

「え……?」

「うらみが薄い。なにがなんでもヤろうって腹じゃない。そうだろう?」

 どきりとするようなことを平然と言って、テニッセンは、だから気づかなかった、と、また楽しげにくつくつと笑った。

「きっと、先があるんだろうなあ」

「……先」

「そう先だ。たとえば仕事、仲間、女。きっとおまえには、まだまだやりたいことがたくさんある。先があるから過去が薄くなるんだ。それは悪いことじゃない。素晴らしいことだ」

 恐ろしさのあまり行き先を見失ったと、そのような気分でいたユウにとって、これは目から鱗だった。

「だがそういうことなら、今日はグッドタイミングだったな。メッツァー・ランゴバルトはいま、風邪で寝こんでる」

「風邪!」

「ああ。だから俺も今日を選んだ。トップが寝こめば下の者はゆるむ。下の者がゆるめば城もゆるむ。素人のバーナーでも入りやすくなる。そうだろう?」

 ユウは興奮を隠せなかった。

 なるほど、まさにグッドタイミングだ。それならばゆっくりと顔検分ができる。

「やつの寝室は本館だ。あのでかい通路を行けば、ホールに出る。最上階までのぼれ。そこにいる」

「わかった、ありがとう」

「なに、貸しにしとくさ」

 テニッセンは照れくさそうにカギ鼻を揉んで、

「さて、行くか」

 やおら、ぐいと腰を伸ばして立ち上がった。

 新しい部隊がやってくる気配もなく、城の目が、バーナー一味に向ききったいまが、逃げどきなのであった。

「じゃあ、ここで、さようならだ。モルマリー……と言ってもわからんか、あの酒屋の親父さんも、もとは吸血鬼の手下でな。引退してここで静かにやってたのを、今回、無理やり引き入れた。だから俺は、あの人だけは逃がしてやらんと」

「そうか」

「上手くやれよ。いつかどこかで一杯やろう」

「あ、そうだ、テニッセン、頼みがある」

 ここでユウが思い出したのが、ララの顔である。

 ララにはモチとともに逃げろとは伝えたが、どこへどう逃げろとまでは言っていない。

 それどころか怖がりなわりに大胆で、直情的なあの性格だ。この町に残りたいと言う可能性もある。そしてそれを、モチは、おそらくいさめられない。ユウは信頼できる人物にララを託そうと思ったのだ。

 女の子をひとり、隣の町まで連れていってもらいたい。

 そう話すとテニッセンは深刻な顔をして、

「……これか?」

 小指を立ててきた。

「ん……まあ」

「これだな?」

「だから、そうだ」

「ヒュー!」

 ほら言ったとおりだ。

 テニッセンはそう言わんばかりに、ユウのわき腹をつつきまわした。

「ヒューヒュー、いいともいいとも。しかしあれだ、俺が連れていくのはいいとして、突然会いにいってもあやしまれるだろうな。なにか一筆書いてもらわんと」

「ああ、それなら大丈夫だ」

 ユウは、ぴゅ、と、短く指笛を吹いた。

 合図の相手はモチである。

 モチは案外近くにいて、かぎ爪にしっかりと太刀をわしづかんで、東塔の先端から、軽い真冬の雪片のように舞い降りてきた。

「ホウ、あまり遅いので、今回はもう、あきらめたのかと思いました」

「まさか、これから行ってくる」

「こちらは?」

「ああ、テニッセン」

「協力者ということでいいのでしょうか」

「ああ。でも彼はすぐに町を出る。モチとララもそれについて行ってくれ」

「ホ?」

「ララをどう逃がすかまだ決めてなかったろ。テニッセンとなら安心だ。俺はカラスを使うから心配ない」

 ユウはモチから返された剣帯と刀とを腰に収め、他人の目から遠ざけるために、ペンダントのようにして持ち歩いていたふたつの指輪をもとへ戻した。

「ヒュー」

 と、テニッセンが腕を取り、

「頭をからっぽにしていけ。ああしてやろう、こうしてやろうなんて段取りは、大概、そのとおりにはいかんもんだ」

「……わかった」

 ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……と、バーナーのわめき声が、このとき城中に響き渡った。

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