第222話 憂鬱の城

 さて……。

 ユウとララの縁を支えたのが、言いたいことがあるならば……というアレサンドロの言葉だったとしたら、ユウと仇相手の悪縁を支えたのは、間違いなく、

『まずは無心になって仇首を目指せ』

 この言葉であった。

 ここまで冷静に手を打ってきたようなユウだが、実のところまだ、仇の名を知らされたあの日の、あの恐怖を克服できたわけではない。

 ただ、この仇討ちをハサンから与えられた仕事のように思いこむことで、そういった感情に蓋をしてきたのである。

 確かに、ハサン好みの手口を真似るのには時間も神経も使ったが、目の前の問題に対してがむしゃらに向き合っているときは、血まみれの記憶に背を向けることができた。

 結果、逃げ帰るという手段で縁を断つことなく、ここまで来ることができた。

 ハサンがいなければなにもできない。道しるべがなければ、自分の仇さえも追えない。

 イエスマン、ここに極まれり。

 この町に到着するまではそんな自分に罪悪感を覚え、幾度も幾度も許しを請うてきたユウであったが、いまではもうこれは仕方がない、結果さえよければと、いっそすがすがしい気持ちにさえなっていたのであった。

 しかし。

 ここにきて、その心を沈ませたものがふたつある。

 ひとつは、テニッセンの所属する盗賊団で、これはあまりにもお粗末というか、自分の知る裏社会の大物たちと悪い意味で格が違いすぎたために、がっかりとさせられたのだった。

 腕が未熟というのならばまだいい。ユウも見て見ぬふりをする。だが首領のバーナーをはじめ、引き合わされた二十人全員が追いはぎのようであるというのはどうにもいただけない。

 たとえば声が大きく身なりは不潔、腰に山刀を差しこんで、酒の強さが男の強さだと思いこんでいる。格下は服従をしいられ、ユウは太い足で何度も蹴倒されて、あざけり笑われた。

 かばってくれたのはテニッセンと、アジトとなっている酒屋の主人、このふたりだけだった。

 ふと、ユウは興味をそそられて、テニッセンのことを酒屋の親父に聞いてみた。学者的で都会的なテニッセンは、追いはぎの列に加わるには、かなり異質な気がしたのである。

 親父は声をひそめて教えてくれた。

 そもそもあの男は、帝都の別の盗賊団にいたんだよ、と。

 それがバーナーの一味に加わったいきさつについては、まあ、いろいろあって、ということだったが、どうも昔、テニッセンのほうが、なにかの出来事で恩を着たらしい。

 それをきっかけにして帝都を抜け、それ以降バーナーのブレインとして、情報収集から作戦の作成、根まわし、衣食住の手配まで、裏方作業をすべてこなしている、ということだった。

 帝都から……。

 ユウは感心するよりも、ますます奇妙な心地になった。

 どのような恩かは知らないが、帝都にあった地盤を捨てて田舎に入るというのは並大抵のことではない。

 商人であれば年収は半減、いや、ものによっては三分の一にも満たなくなるだろう。それに寄生する盗人もまた、推して知るべしだ。

 それを捨ててきた。しかも、あの追いはぎに仕えるために。

 ユウはどうしても邪推をせずにはいられなかった。

 しかし、それをテニッセン本人に問いただそうとせず看過することに決めたのは、事を荒立てたくなかったのと、テニッセンに悪いという気が働いたからであった。

 盗人らしく一線を引きながら面倒見よく接してくれるテニッセンという男を、ユウはいつの間にか、好意を持って見るようになっていたのである。


 ユウの気を沈ませたふたつめの原因は、北の白鳥城の中にあった。

 まず、今回の盗みについてだが……。

 目当ては東塔、宝物庫。

 行動開始は昼日中。

 酒屋の配達馬車に隠れひそんで城門をやりすごし、穀物庫に入って夜を待つ。

 深夜の鐘を合図に勝手口から潜入し、厨房、配膳室、小食堂、大食堂を抜け、建物内を東へ向かう。

 ……まるで、自分の屋敷のようだ。

 と、これは、盗人のひとりの言った台詞である。

 その言葉どおり、これらの行程にはなんの不手際もなかったと言っていい。このつとめには参加せず、酒屋の親父とともにアジトに居残ったテニッセンの下調べと計画が、上手く、はまった形であった。

 ではいったいなにが、ユウを憂鬱にさせたのか。

 それはまさに、その順調さに他ならならなかった。

 先も言ったとおり、ユウはこの大作りな男たちを、盗人ではなく追いはぎだと評価している。

 商家への押しこみならばいざ知らず、裏社会では、ひびの入った薄いガラス板とも形容される城というものにそんな連中がもぐりこもうということ自体驚きで、盗みなどできるはずがないと、はなから失敗覚悟でついてきたのである。

 それがなんと、上手くいっている。

 哨戒の騎士は眠たげに歩いているだけで注意力散漫。その姿の見えないところでは、多少おしゃべりをしようが、山刀をがちゃがちゃ言わせようが問題ない。

 メイドをひざに乗せて、ひそひそやっている騎士までいたのには、ユウは愕然を通り越して唖然となった。

 それだけではない。

 よく見れば、雪明かりに光る窓ガラスは四隅が曇り、骨董美術品の裏側には埃が集まっている。その美術品も贋物ばかりではないか。

 この城は腐っている。

 ユウは思った。

 規律も、忠義も、報恩もない。

 それはつまり、頂点に立つ執政官・メッツァー・ランゴバルトの、非常な暗君ぶりを表していた。

 くそ……。

 こんな男だったとは。

 村ひとつ分のうらみを受けるべき男が、こんな地方の城の中ひとつ管理できない無能者だったとは。

 顔を合わせただけで失禁し、逃げ惑うような男だったらどうしよう。

 泣いて命乞いをされたらどうしよう。

 いつ襲ってくるかもわからない自分自身の怖気のことはさておき、ランゴバルトをひと目見て、名君だと思ったら、うらみを呑んで帰る。それはもう決めている。

 暴君だと思ったら、うらみを晴らして帰る。それももう決めている。

 だが、暗君であったときはどうするか……?

 崇高な目的の先に、必ずふさわしい敵が待っているとは限らない。

 仇討ちの悲しい側面と、それがもたらした困惑に、ユウの身と心は重く沈んだのであった。

「……おい、ソランデル」

 ユウは、はっとなって顔を上げた。

 心臓をつかまれる思いがしたのは、目の前に錆の浮いた鉄壁が、圧倒感すさまじく立ちはだかっていたからだった。

 いや、違う、これは扉だ、と、思い至るまでに、やや十秒はかかっただろうか。

「仕事だ」

 と、言われても動かないユウに、周囲から嘲笑があびせられた。

「ちぇっ、ガキめ」

「誰だあ、こんなやつ連れてきたのは」

 ニヤニヤと首をまわしたバーナーの、太いソーセージをつなぎ合わせたような指が、ユウの首すじをやんわりと揉んだ。優しげな手つきだが、そこには脅迫的な力がこめられている。

「開けろ、一分待ってやる」

「ここが、宝物庫……」

「他にどこがある!」

 バーナーはスキンヘッドを振り立てて噛みつくように言ったが、ユウはそれを、別に怖いとも思わなかった。むしろ、ここまでどうやって来たのか覚えていない、恐ろしいのはそれであった。

 これでは駄目だ。

 ユウは首を振った。

 とにかく顔だ。相手の顔を見て考えよう。

 冷静さを取り戻すために、ざらついた冷たい扉へ額を押し当てた。

 集中しよう。集中しよう……と、錆のにおいを吸いこんだ。

「……中に、誰かいる」

「なにぃ?」

「騎士かもしれない」

 よほどあせったのか、バーナーはユウを押しのけて鍵穴へ張りついた。

「むむ、確かに、いや、どうだあ、そんなはずはねえ。ええい、くそ、見えねえな。おい、誰か確かめろ。執政官だと事だぞ」

 その隙を見て、ユウはあとずさった。中に人がいるなどというのは真っ赤な嘘である。

 このままここを離れ、大廊下まで戻る。

 そして、ありったけの大声で、

「泥棒だ!」

 と、叫ぶ。

 このたるみきった城でも、さすがに大騒ぎになるはずだ。その混乱に乗じてランゴバルトのもとへ行く。

 柱のかげに身を隠して、ぱっと駆け出したユウは、ここは地下階だったのかと思いつつ石の階段をのぼり、カーペットの廊下へ飛び出しざま、大きく空気を吸いこんだ。

「泥棒だ!」

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