第218話 道はまたふたつに
「それにしても驚くではないか。まさかコルベルカウダの復活に、あのディアナ猊下が盗んでこられたという岩と、あの日のソブリンの鍵が必要だったとは。これはもう出来すぎていて恐ろしいな! 恐ろしい!」
「すべて、あの男の手のひらの上、か」
「ああ、そう言ってもいいだろう。だがそれがどうした。いま現在運命を握っているのは、はたしてどちらだ?」
「……どうも、こちらとも思えんが」
「ンッフフフ、まったく、君という男は」
会議後のお決まりのように開かれてきた、このハサンとクジャクの話し合いも、これで何度目となっただろうか。
いつもはどちらからともなく声をかけ、人目につかない場所や時間を選んで会ってきたものだったが、今日はそれと少し違う。夜の巡回をしていたクジャクが、偶然、その順路の中で、ハサンの姿を見かけたのである。
天井灯の消えた食堂に、ほの明かり。
そういえば以前にも、このようなシチュエーションで話したことがあったと、このときクジャクは、ふとなつかしさのような、しみじみとしたものを胸に覚えた。
あれは確か、前のマンムートの食堂だったか……。
近づいてみると、ハサンは、ランタン型の光石灯を相手に酒を飲んでいた。
ひとりかとたずねたところ上機嫌に誘われ、そして、先の会話となったのであった。
「クジャク君。君はもっと自信を持っていい」
ハサンはいかにも酔ったふうに、ふわふわと揺れた。
「君の弱音や自虐、運という言葉。すべて、いままで思うような結果を出してこれなかった、その表れなのだろう。だが、こう考えてみてはどうだ。あの日の結果が出るのはこれからだと。これから出るのだと。君は、よくやっている」
「フ、フ、もういい。それより……」
「コルベルカウダか?」
「そうだ」
「やはり復活には反対か」
「おまえは弱音と言うだろうがな」
あのとき、コルベルカウダについての一定の説明を聞き終えたハサンは、現在休眠中というそれの、復活を提案した。
ひとつは、もちろん、カラスの命を守るため。
そしてもうひとつは、自分たちの目的のため。
報復ではない。
「建国だ」
それも、この帝国の中に建てるという、途方もない計画であることを忘れてはならない、と言うのであった。
「国には人が必要だ。土地が必要だ。そして交渉のカードが必要だ。どれが衰えても国は滅びる。どれが侵されても国は滅びる」
だから、コルベルカウダだ。
ハサンは力説した。
「夢を見るなだと? とんでもない。これの夢はもう、なかばまでかなえられている」
あとはその夢が一代かぎりで終わらぬよう、手をつくさなければならない。
そのためにも、これを利用しない手はないと言うのであった。
しかし……。
それを聞いてクジャクの胸に起こった憂慮を、ひとことで言い表すとこうなる。
オオカミの片棒を、かつぐことになるのではないか?
オオカミがコルベルカウダを欲しがっている。これはもう動かしがたい事実であると言っていいだろう。
そのためにあの男は、時間と手間をかけてきた。
最終段階において必要になるという、ジャッカルの承認。これだけのために国さえ動かした。
だから……と思うのだ。
だから、あの男の前にさらすのは危険すぎる。
欲しいものは、どのような手を使ってでも手に入れる。あれは、そういう男なのだ。
カラスのことは当然忘れてはならないが、たとえば、封印を解除するふりをしながら、別働隊が動いて救い出す、という選択肢はないのか。
「おまえも取りつかれているのではないか、コルベルカウダに」
クク、と、ハサンの喉が笑った。
「ああ、そうかもしれんな。あれは実に、魅力的な代物だ」
「おまえは、また」
「そう怒るな、クジャク君。これは本当のことだ」
「む……」
このとき。
光石灯へ視線を転じたハサンの面上から、酔いという仮面が、すとんと落ちた。
あらわになったのは、はっとするほどのノスタルジアである。
「不思議だな。私の人生ははじめから、コルベルカウダを、アレサンドロに捧げるためにあったような気がする……」
そして、ふ、と、ごまかした。
「というわけで、クジャク君」
「……なんだ」
「私もコルベルカウダが欲しい。邪魔をすると言うなら、容赦はせんぞ」
さて……。
その翌朝のことである。
同じ食堂で朝食後の茶を楽しんでいたハサンのもとに、アレサンドロと、ユウがやってきた。
「おはよう、アレサンドロ。なにか事を起こすには絶好の朝だな」
「ああ。いま、いいか」
「ンン、もちろん」
これを上機嫌と見たのか、ほっと、口もとをほころばせたアレサンドロは、あごをしゃくって、ユウをうながした。
「フフン」
と、露骨に鼻白んで見せたハサンの真向かいに、ユウは腰を下ろした。
「……で?」
「仇が、見つかった」
「仇……」
ユウの家族の埋葬を手伝ったハサンである。無論すべてを知っている。
「それは……おめでとうと、言ってやるべきなのだろうな。どこにいる」
「ウスコ」
「そこでなにを?」
「執政官」
「ンッフフフ、なるほど、憎まれっ子世にはばかるというやつだな。だが、神は見逃されなかったというわけだ」
ユウは、こっくり、うなずいてみせた。
「しかし、うれしいという顔でもない」
「……」
「どうした」
「怖え、ってよ」
「怖い?」
「ああ。そうだよな、ユウ?」
うなずくユウを見て、ハサンは鼻でため息をつくようにしたが、馬鹿にしているふうでもない。それは目を見れば明らかだ。
「ユウ」
と、名を呼ぶその声が、ひどく真面目であったので、ユウの姿勢は自然と改まった。
ハサンはそれから随分長く、言葉を選んで、黙っていた。
「ならばやめるか」
「え……?」
「嫌ならばやめるがいい。おまえが討たなくとも、いつか時間が死を与えてくれる。あとはそれを、自分自身が許せるかどうか。それだけのことだ」
ユウは、つんと痛くなった鼻を押さえた。
なさけなさに涙が出そうになったのだ。
「おい待てよ」
言ってアレサンドロが、かき分けるようにして入ってきた。
「そんな言いかたはねえだろ。こいつはあんたに、背中を押してもらいてえんだ」
「背中を? おまえこそどうかしているぞ、アレサンドロ」
「なに?」
「仇討ちは命がけだ。おびえてできるものではない。中途半端に背中を押させて、おまえ、私にこれを殺させるつもりか」
「そうじゃねえよ。もっとこう、あるだろ。根本的な解決方法が」
「私は医者ではない。恐怖を消してやることなどできんな」
「……チッ。じゃあなにか、あんたは、こいつがずっと、けじめをつけられねえままでもいいってのか」
「だから私は、やめろ、とは言っていない。決めるのはこれ自身だ」
「決めたくても決められねえから悩んでんじゃねえか! 本当は行きてえ、でも怖え。怖えが行きてえ。そういうことだろ。それがわからねえあんたでもねえだろ!」
この間、ハサンの目はずっと、ユウにすえられていた。
ユウはその同情的な視線を、腿をつかんで受けていた。
ふうう、と、ひとつ、ため息が流れた。
「仇討ちを義務だと思っているか、ユウ?」
ユウは、胸に手を当てて考えてみた。
義務とは、少し違う気がした。
「ならば行ってこい。とりあえず顔を見てくるといい」
「……顔を?」
「結局、ここでいくら時間を使っても結論は出んのだ。たとえば、相手が大篤志家となっていたとしたらどうする。五十人も百人も孤児を引き取り、大切に育てていたとしたら。ここで決意を固めていったとしても、おまえはまた悩むだろう」
これにはアレサンドロも、しまった、という顔をした。
「もし、おまえが義務だと答えていたら、私は止めた。心を叩き折ってでも止めていた。やらねばならんからと、まわりも見ずに、ただ天誅と叫び、刃を振り下ろす。この刃は、間違いなく我が身をも傷つける。だがそうではないと言うのだから、とりあえず行ってこい。気楽にな」
「気、楽」
「顔を見る前に恐ろしくなってもいいではないか。神や、おまえの父親が、やるべきことを成してからにしろと言ってくれているのだ。おまえは相棒のために戻ってくればいい」
「……!」
「そしてもし恐怖に耐え、無事ウスコの町に着くことができたなら、これだけは言っておくぞ、情報だけで判断せず、必ず、その目で仇の顔を確認しろ。相手の顔を見れば、生かすべきか殺すべきかおのずとわかる。まあ、まずは無心になって、仇首を目指してみることだ」
「……ああ!」
ようやく決心のついたユウの頭を、アレサンドロの大きな手が、くしゃくしゃとなでた。
「これで満足かな、我が君?」
「ああ、やっぱりあんたは頼りになるぜ」
「フン、調子のいいことを。だがいいか、ユウ。アレサンドロも聞け。わかっているだろうが、こちらにもまだ仕事がある」
クジャクは先夜のように心配をしているが、会議はコルベルカウダ復活で結論を出している。
行動は今日から。
さらにその先に待っているのは、オオカミとの血戦だ。
「貴重な戦力を放り出し、そのまま帰ってきませんでしたでは困る。ここまで言って返り討ちなどということはよもやないだろうが、心が傷ついただの、空虚になっただのでははなはだ困る。ならば仇討ちを後まわしにしろと言ってやればいいようなものだが、どうも我らがリーダー君は、まず後顧の憂いを断たせたいらしい。そこで、ララを連れていけ」
「ララを?」
「そうだ、そばにいてもらえ。あの子はきっと、救いになる」
「……わかった」
ユウは、声が震えそうになるのを抑えるので、精一杯だった。
「よし、決まったな」
ぱんと手を叩いたアレサンドロが、ハサンとユウの手、そして我が手を重ね、
「帰ってこいよ」
と、言った。
「帰ってこい」
これはハサンが言った。
「俺たちはみんなで待ってる。次に会うのは、コルベルカウダの中でだ」
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