第217話 最後のピース

 アレサンドロとクジャクは顔を見合わせた。

 オオカミの目的が、ジャッカルだった?

「ちょっと待てよ。そいつはいったい、どういうことだ?」

「彼はヒーローを待っていたのだ」

「ヒーロー?」

「そうだ」

 言いながら、ハサンは、す、と、目蓋を閉じた。そのまま、寝入ってしまいそうな姿である。

「アレサンドロ・バッジョ。私はこの男が、物語のヒーローなのだと思っていた。しいたげられてきた弱者を解き放ち、人道はずれた悪を力で正し、広く慕われ、愛され、いずれ国を興す。しかし、どうだ。よく考えろ」

 ぽかりと目が開いた。

「この英雄譚の裏には、常に悪がいなかったか。悪に助けられつつ、ここまで来たのではないか」

 言葉に詰まった聴衆を尻目に、ハサンはいくつか例をあげた。

 たとえば、ホーガン監獄島。

 N・Sを手に入れた元奴隷がそこへ向かう。これは火を見るより明らかだ。

 それなのに、鉄機兵団は後手にまわった。

 たとえば、天使。

 見た目に反して、もろさの目立った兵器であったが、いまはそれは関係ない。あれはおそらく手駒である将軍たちにも倒せるよう工夫した結果であり、この国のためだろう。

 だが、天使の団の非道ぶりを見せつけることには成功し、結果、それに対して宣戦布告をおこなったレッドアンバーは国民の好感を得た。

「そうして悪は、自ら、見せかけのヒーローを育てながら、世界中にメッセージを発信し続けた。どうした、真のヒーロー、出てこい。おまえの愛する子どもが命をかけているぞ。このまま、すべてが上手くいくと思うか? ブレーキが必要なのではないか? 心の支えが必要なのではないか? 出てこい」

 しかし、ジャッカルが現れることはなかった。

「そこで、最後に打たれた手が……」

「処刑か」

「違う。それだ」

 ハサンが目を天井にすえたまま、ぴたりと指さしてみせたのは、アレサンドロの手の中の試験管であった。

「この中にも疑問に思った者はいるだろう。どうだ。ジョーブレイカー君、君も思ったのではないか。切り札の使いかたが雑だと」

 壁を背に立つジョーブレイカーは静かにうなずいた。

「これは実に大きなヒントだった。もし私がオオカミで、アレサンドロ自身に利用価値を見出していたとするならば、とてもあのような場面で手放す気にはなれん。少なくとも注入する魂は、エディンのように利口で、従順なものを選ぶ。しかしやつは狂った殺人鬼を選んだ。我々を籠絡することよりも、アレサンドロをどうにかしなければならない、その危機感をあおることを選んできた」

「……」

 そしてあとは、ハサンいわく一本道である。

「盆の窪に刺さった針。ものを知っている者ならば、恐ろしくて手が出せるものではない。今回は手間がはぶけたが、本すじでは医者を探すことになっていただろう。医者といえば魔人の医者、ジャッカルだ。我々はジャッカルのもとへ行く。そこで針を除去されたアレサンドロは言う。先生、カラスが生きていた。カラスもきっと、これと同じものを埋めこまれているのに違いねえ。先生、助けてくれ。先生!」

 ハサンは、がばと起き上がった。

「あなたにこれが拒絶できるか!」

「う、むう……う!」

「アレサンドロ、おまえにカラスを見せたのもそのためだ。ジャッカルを表舞台に引きずり出す。それが、おまえに与えられた役割だった。いやいや、その役割に限定するならば、もしかすると……先の戦から!」

「な、んだと……?」

「まだ仮説だがな」

 ハサンの喉から起こった高笑いが仮ブリッジ中に響き渡った。この男としては非常に珍しい感情の表しかたである。

 そしてそれは明らかに、正答に至ったという満足の哄笑であった。

「さて、本題はここからだぞ、諸君」

 ハサンは前のめりになって、腕を振った。

「なぜやつは、これほどの手をかけてまで、ジャッカルを欲しがった?」

 この問いに答えられるのは、ひとりしかいない。

「ジャッカル」

 呼びかけられたこの魔人は、瞬間、ぴくりと眉を動かした。

「まさか、ただ単純にうらみを買っていたという話ではないだろうな。あなたは、なにかを隠しているはずだ」

「む……」

「アレサンドロが、オオカミと戦う上で必要とするものだ。聖鉄機兵団、あるいはあの天使のような兵器にも対抗し得る武器。もしくは……」

「コルベルカウダ……」

「ヤマカガシ、それは……!」

 ジャッカルに肩をつかまれ、ヤマカガシは身をすくめた。しかし、ハサンは聞いてしまった。

「コルベルカウダ?」

「……それだな」

 つぶやいたのは、ジョーブレイカーであった。

「スダレフの資料の中に、その名を見たことがある」

「くわしく頼む」

「知らん。兵器だろうが、私が見たのはインデックスだけだ」

「フフン。ではやはり、おふたりにうかがおうか。コルベルカウダとは?」

 案の定、ジャッカルとヤマカガシの選択はだんまりだった。さて、それがいったい、どのような動機によるものか。

「先生、教えてくれ。俺も知りてえ」

「……アレサンドロ」

「教えたくねえって、その気持ちは、なんとなくわかる気がする。でもこれは、必要なことなんだ」

「う、む……む」

 ……ハサンは、自分の仕事はほぼ、見ること、聞くことだと思っている。情報収集が七割。その整理が二割、根まわしで一割。力の配分で言うとそのようなものだ。

 作戦を練ったりするのは、公式と条件が同じならばこれはもう誰が解いても同じ答えが出るのだから、別に重視していないわけでもないが、力を入れているわけでもない。ただ、そうしたことが嫌いでないのと、答えを導き出す速度には自信があるため、そちらのほうは、言ってみれば趣味的にやっている気持ちなのである。

 いま、ジャッカルの心は、五分五分と見えた。

 つまり、コルベルカウダなるものの正体を、アレサンドロにならば教えてもいいかもしれない、そう思っているようだった。

 ふむ……。

 ハサンの頭はめまぐるしく働いたが、結論を出すにはまだ、欠けているピースがある。

 ジャッカルは、すがってきたアレサンドロの手を包みこむようにして握り締め、大きく息を吸って語りはじめた。

「アレサンドロ。私はできれば、あれについて語りたくはない。前にも話しただろうか。魔人と人間は、所詮、住むべき世界が違うのだと」

「ああ」

「コルベルカウダは、私に強く、それを印象づけた。長い時の中で、それは幾度も立証された。くつがえることなどなかった」

「俺と先生は?」

「個人ならばいいのだ。問題は社会だ。文化に、迷信に、伝承だ」

「……」

「コルベルカウダは、確かに彼の言うとおり、おまえの助けになるだろうとは思う。だが……だがなあ……おまえはきっと、先の夢を見るだろう。このまま、世界はひとつになるのではないかと」

「なるさ。なる。きっとなる」

「落ち着きなさい。なったとしても一時期のことだ」

「けど誰かが……!」

「その言葉を皆が合言葉のようにとなえ、失敗していった。やはり駄目だ。コルベルカウダはあきらめなさい。カラスを救出するのに私の力が必要ならば、そこは当然、協力しよう」

「ならば、アレサンドロも死ぬ」

 え、と、ジャッカルは飛び上がり、声の主を見た。

 言うまでもなく、それはハサンである。

「な、なぜ……」

「なぜ? あなたを動かす方法は、もうそれしかないではないか。オオカミが次に打つ手がわかるか? カラスを殺すのだ」

「カラス……!」

「そうなるとどうなる。アレサンドロ、おまえはやつのもとへ行くな?」

「行く」

「ジャッカルの助けがなくとも?」

「ああ、行く」

 ハサンはうなずいた。

「ジャッカル、確かにあなたには、コルベルカウダを隠し続けるという選択肢も残されている。だがその場合、引き起こされるのは復讐の戦だ。これほど始末に負えんものはない」

「う……む」

「そして秘密を明らかにするというのでも、それは当然、早いほうがいい。じれたオオカミがカラスを殺してしまえば同じことだ。つまり、いましかない。いまでなければならんのだ」

 静かな恫喝はヤマカガシを震え上がらせ、そして、ジャッカルの胸ぐらへとつかみかからせた。

「ジ、ジャッカル! ジャッカル!」

「……」

「先生」

「し、しかし……しかしあれは、本当にそういったものではないのだ」

 コルベルカウダ……。

 それが、この世界の空から消えて二千年にもなる。

 獅子王と呼ばれた魔人の王と、八賢人の作り出した天空城がそれであった。

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